Scene3 予言者《ナービー》なんてさようなら その2
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屋根伝いに移動していたノエルが、ふと足を止める。
「悪いが、ちょっと行ってきていいか?」
「行くって、どこに?」
とノエルが指したのは煙草屋であった。
辻の角にある煙草屋は老舗のようで、開け放たれたガラス窓の向こうでは、白髪の婆さんが座ってミカンを食べていた。
「ノエルって煙草吸う人?」
「そうじゃない。電話を借りたいんだ。」
見るとガラス窓の前には、公衆電話が設置されている。
「応援を呼ぼうと思ってな。」
「仲間がいたの!?」
すっとんきょうな声を上げるアンナ。
「そんなに意外か?」
「そうだよ! だって目つき悪いし、陰険だし、口も悪いし、なに考えてるかわかんないし、人付き合いも悪そうだし、組織とか向いてなさそうだし、独り言多いし――」
「わかったもう言うな。ツラくなる……」
まだ出会ってから1日と経っていないのに、えらい言われようである。
ノエルはうんざりしながら、苦し紛れにこう返した。
「ただの同僚だよ。」
「ふうん。『何でも屋』みたいなの?」
「まあ、そんなとこだな。――ふたりじゃ目立つから、おれひとりで行くよ。」
ノエルは、非常階段へと飛び降りた。
「はあい。」
アンナもすんなりと見送った。
もしノエルが逃げたとしても追わずにいようと思った。
けれどもとりあえず、待つだけは待ってみようと、アンナはその場に寝転んだ。
***
あたりに追手がいないことを確認してから、ノエルは煙草屋のガラス窓を叩いた。
「ばあさん、電話借りるよ。」
「あいよ。」
傷んだ白髪を後ろで一束ねにした婆さんが、不愛想にこたえる。
ミカンに夢中で、一瞥もくれなかった。
ノエルは慣れた手つきで番号を押すと、交換手を待った。
「――1059番地のユーリエル・カンヴァスを頼む。」
『少々お待ちください。』
電話がつながるのを待ちながら、ぼんやりと店内を見回す。
自宅の軒先を煙草屋に改装したというような店である。
屋内店舗もあるようで、日用品や駄菓子が並んでいた。
奥には居間があり、旦那らしき爺さんがクラムチャウダーをすすっている。
と電話がつながり、開口一番のハイトーンが鼓膜に刺さる。
『あ~ん、も~ぉ、ノエルぅ~』
高音域が、耳障りに感じられるのは、それが男声だからである。
『タイミング悪いよぉ~。ボクこれからお風呂に入るとこだったんだよ~。ほらノエルぅ、想像して、ボクはいま素っ裸だよ、あられもない姿だよ――』
「ユーリエル。用件だけ言う。黙って聞け。」
『ちょっとぉ。突然かけてきといて、扱いがひどくなぁい?』
そんな男のぼやきも、無視して話を進めるノエル。
この男が、ノエルの『協力者』のユーリエル・カンヴァスであった。
「車を用意してくれ。」
『え、もう廃車にしちゃったの!? ボク昨日渡したばっかりだよねえ? どうなってんのよノエルぅ! もっと大事に使ってよぉ!』
受話器の向こうで好き放題わめくユーリエルに、ノエルは青筋を浮かべた。
「理由が知りたきゃ、助手席に乗せてやるよ。」
これは不満と諦めをない交ぜにした、恫喝である。
『う……』
ユーリエルも、これはこたえたようで、
『それはご遠慮願おうかな……ボクも営業の経験がないわけじゃないけど……ノエルとの旅は別格ぅ。身体がいくつあっても足りねえっス。』
としおらしくなる。
「だったらすぐに来い。いまポークルムって町にいる。」
『あの、これからお風呂に……』
「却下。」
『お化粧もしなくちゃ……』
「それも却下だ。いま、すぐに、こい!」
しまいには語気が荒くなるノエル。
『はぁい……わかりましたぁ。』
とユーリエルは渋々承諾した。
「またふざけた車持ってきたら、おまえをガソリンタンクに突っ込んでやるからな!」
『格好良かったでしょ? ノエルにはぴったりだと思ったんだ~!』
「ふざけんな! 屋根さえありゃ、こんなことにならなかったんだ!」
『ノエルの場合、関係ないと思うよ?』
「うるせえ! いいから早くもって来い。」
ガチャン、と有無を言わせずノエルは電話を切った。
とても気疲れのする相手である。
ノエルはガラス窓を叩いて、煙草屋の婆さんに声をかけた。
「ばあさん、ありがとよ。」
「はいよ。」
婆さんはここでようやく顔を上げた。
「あんれまぁ!」
入れ歯が飛び出しそうなくらい大口を開ける婆さん。
「あたしゃ、あんたたちを見るなんて、久しぶりだよ。」
まるで同窓生を見るような眼差しをノエルへ向ける。
「どこかで会ったかい?」
ノエルがそういうと、婆さんはしたり顔で、
「わたしゃ『見える』性質なんだよ。」
とノエルの肩口を指した。
「――いまは……仕事中だ。」
察したノエルは、やや迷惑そうに返した。
「気をつけないとね。あんたたちがいるってことは、何かあるんだろう? そうだ、これを持ってお行き。」
そういうと婆さんはミカンをふたつ分けてくれた。
「悪いなばあさん。」
ノエルはミカンを受け取ると、辻を斜めに渡っていった。
***
ポークルムの住宅密集地は、空中散歩に打ってつけだった。
家と家の間隔も狭く、軽々と飛び越えることができる。
おかげで追手にも見つかることはなかった。
にもかかわらず、どこへ行っても数人の黒服が必ず待ち受けていた。揃いのスーツ、サングラス、腕時計、チーフ……なのですぐにそれとわかる。
それだけ動員をかけているのかもしれないが、どこか待ち伏せされているような感触があるのだった。
いよいよ不審に思いはじめたアンナがぼやく。
「わたしたち、泳がされてる?」
「そんなことはないと思うんだが……」
黒服たちは血眼になって捜索している。
そこにはったりはないように思われる。
「鼻のいい『バグ』もいるって言ってたけど……それかな?」
「鼻のいいやつは、あくまで追跡しかできない。だが――」
これは先回りである。
となると、逆に答えはしぼられてくる。
「予知する『バグ』がいるってこと?」
「その可能性も、あるな。」
あらゆることが起こりえる可能性、それが『バグ』である。
「そうなってくると『不具合』っていうか、『超能力』よね。」
「そういうアンナだって、超怪力なんじゃないのか?」
「わたしは通常よ。」
「おれには異常に見える。」
ノエルの皮肉にも、アンナはあっけらかんとして、
「言ったでしょ? 運がいいだけ。」
とこたえた。
「いずれにせよ――先回りされていたら応援と合流できない。」
「わたしが降りていって、あいつらを蹴散らしてこようか?」
逃げるのが面倒になってきたのか、力でねじ伏せようという魂胆らしい。
「そんなことしたら、今度こそおれは逃げる。」
ノエルは半眼で返した。
乱闘ひとつで酒場を崩壊させた女である。
繁華街でマフィアとやりあった日には――街が消し飛ぶかもしれない。
そんな映像が脳裏をよぎったのだった。
「それより、もっとスマートな方法がある。」
「何か考えがあるのね?」
アンナは興味深々といった面持ちで、ノエルを覗き込んだ。
「相手が『予知』できるんなら――それを使わせてもらう。」
ジャケットの下に着こんだホルスターから、ノエルは愛銃を引き抜いた。