Scene3 予言者《ナービー》なんてさようなら その1
***
深夜。
ようやくたどり着いた宿屋で、アンナは臆面もなく言った。
「ツインで。」
「ほほう、こんなべっぴんさんとご旅行なんて、妬けますなダンナ。」
台帳係が軽口を叩く。
「新婚旅行なのっ。」
酒に酔って上機嫌なアンナは悪乗りをはじめている。
カウンターの下で銃口を突きつけられているノエルは、黙るしかない。
「お熱いですな。ダブルも空いてございますよ。」
「それも良いわね? ノエルはどっちがいい?」
「おれはシングルがいい。」
精一杯の悪態をつくノエル。
「小さなベッドで抱き合うのもいいわね。」
「そうゆう意味じゃねえ! 2部屋だ!」
「ほほほ、仲がよろしいですな。でしたらツインにしておきましょう。」
なにかを誤解した台帳係は、にやにやと筆を進めていく。
「それからオジサン、もうひとつお願いがあるの。わたしたち『泊まってない』ってことにしてくれない?」
「おや、いわくつきですかい?」
「駆落婚よ。応援してねっ!」
「これはまたお熱い! ええ、ええ、応援いたしますとも!」
気の回る台帳係は、明らかに偽名が書かれた宿帳にも、なにも言わなかった。
部屋まで通されると、アンナは真白なシーツがピンと張られたベッドに身をあずけた。
「ふぃ~。」
力を抜いて、ベッドへ沈んでいくアンナ。
しかしその手にはまだ、拳銃が握られている。
ノエルも自分のベッドに腰を下ろしてから、こう切り出した。
「それで――これからどうする気だ?」
「そうねえ、先にシャワー浴びていいよ。」
「シャワーのことじゃねえ!」
「ノエルひどい髪だよ? 絶対先に入ったほうがいいと思う。じゃないとわたし……笑っちゃう! っぷはははははっ! きゃはははっ!」
爆笑をはじめたアンナに、ノエルは眉間にしわを寄せると、黙ってシャワールームへ入っていった。
するとアンナも、そっとシャワールームへ近寄っていく。
だがふたたび顔を出したノエルと目がかち合ってしまい、ハッとたじろぐアンナ。
「……おい。」
「な、なに?」
「まさかとは思うが……覗くなよ?」
「普通逆でしょ? それを言うの。」
「おまえならやりかねんと思って。」
「う……」
目を泳がせるアンナ。
ノエルは、視線を落としてアンナの拳銃に目をやった。
「そろそろ銃を下してくれないか? おちおち風呂にも入れねえ。」
「ん~……いまいち信用できないんだよね、ノエルのこと。」
「人の風呂を覗こうとしてたやつの言うことか。」
「だからそれは……その……」
とやや口籠ってから、アンナはこう続けた。
「ノエルの正体を見てやろうと思ったの!」
「あ?」
「だってノエル、いまいち『人』って感じがしないのよ。」
「…………」
これには、ノエルも窮してしまった。
「でも――こんなに巻き込んでおいて、さすがに銃はもういいかな。」
アンナは拳銃をゆっくりホルスターへしまった。
信用とまではいかなくとも、人並みに感謝はしているようである。
「ふう。」
緊張から解放されて、ノエルがひと息ついた。
「ほんと、ノエルって変人よね。わたしのお願いを聞いてくれるなんて、もう天使くらいしかいないと思ってたのに。」
――ゲホッ、ゴホッ、ゲホッ!!
思わず咳込んでしまったノエル。
アンナは、ふふふっと破顔すると、ベッドに戻った。
ノエルは気まずくなって、そそくさとシャワー室へ逃げ込んだ。
ノエルがシャワーから上がると、アンナは寝息を立てていた。
酒場で大立ち回りを演じていたのと同じ人物とは思えないほど、あどけない顔で眠っている。起きているときは大人びてみえたが、こうしていると10代後半、20代になりたてといったところかもしれない。
「天使みたい……か。」
アンナの直感はあなどれないな、とノエルは思った。
ノエルは自分の愛銃を取り出して、ぼんやり眺める。
ランプ灯がゆらゆら照らす銃身には、山羊のほかにも、〈H&G〉という文字が彫り込まれている。
それは〈聖なる山羊〉の頭文字を取ったもので、田舎町のとある名工によって作られたものであった。
そしてその名工も、かつてノエルに同じことを言ったのだった。
『ノエルって、天使みたいだね。』
そういってはにかんだ彼女の顔は、いまでもノエルの目に焼きついている。
***
アンナはその豊かな胸をタオルで包んだまま、大股でノエルの前を横切った。
「羞恥心とか無いのか?」
「ぷっは~~~、生き返る~~~」
起き抜けのシャワーを浴びてきたアンナが、水さしをラッパ飲みする。
「デリカシーというか……これから先のアンナの人生が心配になるな。」
「ノエルはわたしのお母さんなの?」
といってアンナは、ノエルの目の前でレースのパンティーを履いていく。
ノエルは頭を抱えて、深いため息をついた。
「昨日会ったばかりだぞ。」
「そうゆうノエルこそ、可愛い女の子が横に寝ているのに夜這いもしないなんて。わたしの母国だったら『甲斐性なし』って、避難轟々ね。」
「おれは紳士なんだ。」
「わたしだって淑女よ。」
アンナは鼻歌まじりに下着をつけ終えると、タオルをはずした。
そのはち切れんばかりの肢体を、ノエルに見せつける。
「どう?」
「どうって、なにが?」
「きれい? って聞いてるの。」
「淑女は恥じらうものだ。」
「わたしが知ってる淑女は、みんな派手な下着を付けてたわ。」
「どの界隈だ。」
「貴族の義務ですって。」
「クソババアども。」
「ノエル、口汚いのはよくないわ。」
なぜだかアンナのほうが説教を垂れる。
「誤解してるみたいだけど、わたしは処女よ?」
「さっき『甲斐性』がどうとか言ってなかったか?」
「リップサービス。」
「どっちにしろサービスになってねえな。」
とふたりが言い合っていると、ドアがノックされて、台帳係の声が聞こえた。
『おはようございます、旦那さま、奥さま。怪しい男たちが嗅ぎ回っておりました。お気をつけください。』
恋の応援団となった台帳係は、黒服をうまく追い返したようだ。
「ありがとう。また来るわ。」
『再会できる日を、楽しみにしております。』
そういうと台帳係はフロントへ引き返していった。
ノエルが窓から外をうかがうと、たしかに昨日アンナを追っていた連中がうろついている。
「どうする、ダーリン?」
下着姿のアンナが、楽しそうに顔を近付けてきた。
「まずは服を着ろ。」
「つれないなー、ノエルっ。」
「これだと、車は押さえられてるだろうな……」
とノエルはぼやいたが、どのみちポンコツ車だったので惜しいとも思われない。
次の車を用意してもらうまでだ。
「ここに立てこもって、やり過ごしてもいいんだけど。」
アンナはベッドに倒れて、脚をくねらせた。
本気だか冗談だか艶っぽく振る舞おうとするアンナだが、ノエルにはそれがセクシーギャグにしか見えず、とりあえず受け流した。
「鼻がいい『バグ』もいる。あまり得策じゃない。」
「ちぇっ。」
アンナがつまらなさそうに舌打ちする。
「地上がダメなら、天井だな。」
ノエルは優雅にかしずいて、向かいの屋根を指した。
「空中散歩! ロマンティックぅ!」
アンナは目の色を変えると、さっさと着替えを済ませた。