Scene2 酒場《バッコス》なんてさようなら その2
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フン! と鼻息ひとつ鳴らすと、店長はカウンターを飛び越えてホールに降り立った。
そして奇声を発しながら〈ダブルバイセップス〉を決めた。
それは上腕二頭筋を強調する、ボディービルダー特有のポージングである。
すると、もともと肉厚であった店長の筋肉が、さらにもう一回り大きくなる。
続けて〈アブドミナル&サイ〉〈サイドトライセップス〉〈ラットスプレッド・バック〉など数々のポージングを極めながら、全身の筋肉を拡張してゆく。
「くふう~~どうですかアンナさぁん。これがわたしの真の筋肉です。もう昔のわたしとは違う! いまやわたしの肉体は弾丸さえも弾くのです!」
筋肉で釣り上げられた笑顔で、アンナをねめつける店長。
「ごきげんよう。」
望み通りにアンナが銃撃を加える。
「きええぃ!」
店長が気合いを入れると、弾丸は厚い胸板に少しだけ食い込んで止まった。
「ふはあっ!」
さらに掛け声ひとつで、弾丸は押し返されて地面へ落ちた。
「これであなたは手も足も出ないっ! 大人しく帰っていただきますっ!」
誇らしげに筋肉を見せつける店長。
だがアンナは微笑みを手向けると、天上に向けて撃った。
吊るしてあったシーリングファンのコードが切れて、店長の脳天に直撃する。
ふぎぃっ、と声にならない声を上げて店長は倒れた。
「バックス、もういいかしら? わたしたちお腹空いてるの。これ以上やるんだったら、機嫌が悪くなるから、そのつもりでね。」
優しく語りかけたアンナに、伏したままビクッとおびえた店長……
しかし、いささかの逡巡ののち、ふたたび立ち上がるとまたも奇声を発した。
「きええええぃぃ!! バグ酒があれだけだと思ったら、大間違いだぁっ!」
店長はポケットからリモコンを取り出して、ボタンを押す。
すると壁掛けの大きな一枚絵が落ちて、扉があらわれた。
扉を開けると、中には酒樽が積まれていた。
「残念でした、アンナさん。今日は商工会の打ち上げをやっていたのです!」
店長がそう叫ぶと、居合わせた客が一斉に立ち上がり、揃いの法被を羽織った。
「いきますよ!商工会青年部のみなさん!」
『おぉー!』
掛け声とともに青年部会員たちは樽を取り出して、天蓋をハンマーで叩き割る。
強烈なにおいが漂う酒を、手際よく柄杓で注ぎ分けていった。
『乾杯ー!』
活気あふれる青年部会員たちは、一気にバグ酒をあおる――
かくして、アンナはむくつけき大男たちに取り囲まれてしまった。
「そんなもの飲んで、将来ハゲても知らないからね。」
アンナは腰のホルスターに拳銃をしまうと、指の関節をボキボキ鳴らす。
ようやく銃口から逃れたノエルだったが、そんなノエルに、
「逃げたら撃つねっ。」
とアンナは冷ややかに言い放った。
青年部会員の肥大した手が伸びてくる。
アンナはその手を握り返した。
互いに手と手を取り合う、力比べの形となる。
「握り潰してやらァァァ!」
大男に押されてズンと沈み込んだアンナだったが――
アンナは涼しい顔をしていた。
「じゃあ次はわたし。」
アンナは大男の両腕つかんだまま、ひねり上げる。
「にぃぃぃ!?」
大男が悲鳴を上げたがもう遅い。
アンナは大男をぶん投げた。
地面に打ちつけられた大男はあっさり失神してしまう。
「力比べだったら、わたし負けたことないの。」
「ふぬぉぉぉ!!」
雄叫びとともに、青年部会員は次々とアンナに飛びかかる。
しかしアンナはそんな男たちを、ちぎっては投げ、事もなく蹂躙していく。
投げられ、極められ、折られた青年部会員は、あえなく消沈となった。
「あら、もう終わり?」
アンナがふうと一息つくと――どこからか声が響いた。
『ふっふっふっふ……』
含みを持ったいやらしい声は、店内のスピーカーから流れているようであった。
そういえば、店長の姿がない。
青年部会員とやり合っているうちに、姿をくらましたようである。
『アンナ! いや、アンナさん……』
染みついた恐怖は拭えないのか、マイク越しでも呼び捨てにできない店長の声。
『今日という今日は、一滴も飲まずに帰っていただきます。』
ファンファーレが鳴り響いた。
壁がせり出てきて、隠し部屋が開かれる。
おそらくこの店は、店長が対アンナ用に改築しまくったのだろう。
壁の中からあらわれた店長は、妙な機械を身にまとっていた。
それは強化外骨格の一種で、より攻撃に特化した武装外骨格と呼ばれるものである。
「それ、軍事品? よく手に入れたね。」
『あなたに勝つためなら、ローン地獄も怖くない!』
武装外骨格。それは『神の遺物』という希少なオーバーテクノロジーを利用した兵器である。
市場に出回らない逸品を、関係者に横流しでもしてもらったのだろう。
店長が脚部のリニアキャタピラーを空転させると、キュインキュインと轟音が上がった。
『鍛え上げられたわたしの肉体を、肉の弾丸として射出する!』
「えっと……つまり『突進』ってこと?」
『わたしの思いを届けるには、これしかないっ!』
店長はすでに泡を吹き、目を血走らせていた。
バグ酒の影響だろうが、これでは狂人、いや狂犬、いや狂猪である。
『わたしがこうなったのもォッ、あなたのせいだぁァッ!』
キャタピラーが地面に触れると同時に、高速射出される店長。
アンナがひらりとかわすと、直線上に倒れていた青年部会員たちが吹き飛んだ。
さらにその激突は、もはや爆撃のように分厚い壁をえぐる。
しかし店長は、その強靭な肉体に護られて無事であった。
「あーあ、またお店が無茶苦茶ね。」
アンナが無邪気に笑うのを――ノエルは部屋の隅から眺めていた。
こんなおかしな人たちの邪魔には、絶対にならないでいようと、そっと隅に移動していたノエル。
ことごとく砕けゆく、テーブルと椅子。
粉々になるグラスとビン。
ぶちまけられる料理と酒の数々。
突進する狂人と、宙を舞う大男たち。
現実離れしているゆえに、むしろ幻想的にさえ見えてくる。
さらに、それらを軽々とかわしてくアンナは、その金髪のせいか闘牛士を思わせた。
ぱすん、ぱすん。
アンナの銃弾が脚部の管にあたって、武装外骨格から液体が漏れ出した。
黄緑色に発色したそれは、どうやらバグ酒である。
常にバグ酒を体内に巡らせる構造のようであった。
『ぬふォッ。アンナさん、熱い、熱いよォッ、これだァ、これだァッ!』
「気持ち悪いなぁ、もう。」
この攻防にも飽きたのか、それとも空腹が限界を超えたのか、アンナは苛立ってきた。
『やっぱりわたしはアンナさんじゃないと燃えられない! それなのに、それなのに――』
突然店長は、ノエルを指した。
『なんですかぁ! この男は!』
「へ?」
ノエルの口から空気の漏れるような声が出る。
「別にいいじゃない。払ってくれるんだから、良い人よ!」
『良い人!? アンナさんの良い人!』
「陰険な顔してるけど、お金出してくれるんだから、良い人よ。」
『金持ちじゃなきゃダメなんですか! 所帯持ちじゃダメなんですか!』
錯乱している店長には、もう何を言っても通じない。
『憎い。アンナさんと一緒に居られるなんて……憎い……』
店長はゆっくりノエルへ向き直った。
『なんだその髪型はああああああ!!』
狂人が、ノエルに向けて射出される。
「知るかーーーーーっ!!」
絶叫のため、ノエルは身動きが取れなかった。
あたりに爆音が轟いた。