Scene6 聖域《アジール》なんてさようなら その3
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「宰相であるわたしと、次期聖マザーであるティナが一緒になれば、ウリザネアウスの力はより強固なものとなる。」
ラースの邸に呼ばれたティナは、こう迫られていた。
「ラースさん、お言葉はうれしいのですが……」
「わたしじゃ、不満だというのか。」
「…………」
「この国を思えば断ることはできまい。」
ラースは怪しい笑みを浮かべた。
「教えてください。ラースさんはいったい何をしようとしているのですか?」
「この国の――」
「いまでも聖域にお入りになりたいのですか?」
「…………」
「あなたの力は……『神の遺物』によるもの、ですよね?」
「…………」
「あなたは聖域に入るために、わたしを利用しようとなさっているのですか?」
詰め寄るティナに――ラースはゆっくりと口を開いた。
「わたしはティナに見せたいのだ。」
「……なにをです?」
「かつてティナがわたしに『聖域』という可能性を見せたように、今度はわたしがティナに『力』という可能性を見せたいのだ。」
「前に言っていた『かもしれない』ですか?」
「わたしの力は、いわば可能性だ。しかもまだその端緒でしかない。この力をより確実なものにしてゆけば、この国どころか、この星のすべてを手に入れることができる。」
「あなたは……何を言っているのですか?」
「まだわからないか? わたしは告白をしているのだ。」
「…………」
「わたしとともに、同じ夢を見ないかと言っているのだ。――どうだ?」
ラースはふたたび笑みを浮かべた。
目の奥が笑っていない、貼りついたような笑みであった。
そこにはかつてティナが見た、情熱的な研究者の面影はなかった。
「わかりました……お断りします。」
ティナはきっぱりと言った。
「なんだと?」
思いもよらぬ返答に、ラースは動揺した。
「ラースさん。あなたも変わったのかもしれませんが――わたしも変わったのかもしれません。」
「あん?」
「ラースさんの顔……いま見ると全然タイプじゃないんです。ごめんなさい。」
「――っ!?」
ラースは口をあんぐりと開けた。
ティナはきびすを返すと、走ってラース邸をあとにした。
それから数日後、聖域を守る巫女たちの村〈シビュレェ〉は、何者かに襲撃された。
そして一晩のうちに壊滅したのである。
***
「わたしは、聖域に逃げ込んだので無事でした。ですが一族のものはみな……」
「え、いやうん、ちょっと待っ――」
「いまでも祖母の言葉が耳に残っています。祖母はわたしに『聖域』を守るように言いました。」
「だからティナちゃん、ちょっと――」
「わたしは一晩、森の中で震えていました。そして翌朝、森から出てきたときには――村は焼き払われていたんです……」
一同はしばし沈黙した。
もちろんティナの悲しい話にであるが、内心どこかでラースの心中も察してしまった。
「これがラースの手によるものか――確証はありません。」
「いやたぶん間違いないっス。」
ティナは哀しげに話を続ける。
「ですが村を襲ったのは――天使でした……」
「はあ?」
ノエルとユーリエルの声が漏れた。
「本当です……4枚の羽で空を飛び、火の矢を放つ天使でした……」
「ティナちゃん、さすがにそれはないと思うよぉ?」
「本当なんです!!」
ユーリエルが疑うのも、もっともだった。
なぜなら天使は、地上での力の行使を制限されているからだ。
飛んだり、炎を放つというのは、まず無理なことである。
「まあ、羽が生えた『バグ』ってのは、ありなんじゃない?」
「た、たしかに……」
アンナに説得されてしまったノエル。それに――
天使に人は殺せないが、人にならそれはできる。
万が一、それが天使なのだとしたら、傷を負った人々に手を下したのは人間なのだろう。
「それに問題は、誰がやったかじゃなくて……どうしてやったか、だと思うけど?」
またしてもアンナが冷静に分析する。
「そうだね。腹いせとはいえ、聖マザーやティナちゃんがいなくちゃ聖域に入れないもんね。」
とユーリエルも冷静さを取り戻した。
「もしくは――聖マザーやティナがいなくてもいい方法でも見つけたか、だな。」
ノエルは自分で言って、これが一番正鵠を射ているように感じた。
おそらくラースは、自力で聖域に入る手段を発見したのだろう。
だが、巫女の村を襲ったのはやはり反響も大きく、ラースを怪しむ声も高まった。政界から巫女が居なくなり、ウリザネアウスはますますラースの天下となったからである。
こうして聖マザーを信奉する多くの人々の不信を買い――
ついには〈緑の信奉者〉という反乱勢力まで立ち上がったのだった。
「ってゆうかこれ、フラれた腹いせだよね。」
ユーリエルが我慢できずに言ってしまった。
「まあ、そうだよな。」
ノエルは疼きはじめた右の手をテーブルに置く。
手の甲の皮がめくれて、鱗のようなものができていた。
「あっ!?」
「『冥魚』ってのは、誰かが広めてたってことだよな。」
ノエルの射すくめるような視線に、ティナは黙ってしまう。
ティナの命を狙うものが、『冥魚病』を人為的に広めていた犯人であるということである。
そしてそれは、状況からみてラースに間違いないだろう。
ラースが人々に病を羅漢させ、治療し、信用を得たと考えれば筋が通る。
やはりラースに力を与えたのは、ティナかもしれない。聖域に案内した幼きティナによって、ラースは『冥魚』という怪しげな術を練る力を得たのだろう。
「ノエルぅ、それ痛い? ねえちょっと触っていい? うわーきもちわるぅ。」
ユーリエルがつんつんと鱗を触ってくる。
「ユーリ、ナイフから毒を解析できねえか?」
「無理だねー。これは毒じゃなくて、術みたいだから、すでに体内に入ってて、ナイフには何も残ってないよ。それに体内に入った術も、外からの解析を受けないようになってるね。よくできてるよ。」
「すみません……」
緊張の糸が切れたのか、ティナがぽろぽろと泣きだした。
「もうわたし……どうしたらいいかわからなくて……」
よほど辛かったのだろう。
国や、故郷だけでなく、家族も誇りも奪われたティナ。
それでもノエルたちに向かって巫女であると宣言したのは、挫けるわけにはいかないというティナの魂の底意地であったのかもしれない。
そう思うと、ノエルはぐっと奥歯を噛んだ。
「オッケー、任せておいて!」
アンナが元気よく立ち上がった。
「女の子を泣かすやつは、アンナちゃんが成敗してやるんだからっ。」
そういうとアンナは、優しくティナを抱きとめた。
その顔には、どこか母のような安からさがあった。




