Scene5 陰謀《プロット》なんてさようなら その1
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ミズカに捕えられているあいだに2日が経っていた。
それがわかったのは、クリプタの町に着いてからである。
町はすでに休息日を迎えていて、ノエルたちと曜日の間隔がズレていたのだ。
敬虔な町であれば、店が1軒も開いていないというのが、この休息日である。
やはりクリプタでも、飯屋を探すのに手間取ってしまった。
目を覚ましてからすっかり意気投合したアンナとユーリエルは、ノエルにはお構いなしに盛り上がっている。
店を見つけるあいだも、なんとか食堂を見つけてからも、テーブルに座ってメニューを眺めていても、料理を待つあいだも、皿が並んでからも、ふたりの会話は止むことがなかった。
ノエルはまるで婦人会に参加してしまった主夫のように、漫然と眺めていた。
「ユーリ、帰らなくてもいいのか?」
居たたまれなくなったノエルが、ぽつりとつぶやいた。
しかし口元マシンガンになっていたユーリエルには、火に油を注いだだけであった。
「なにノエル! ボクにまた砂蟲に捕まれっていうの!? あんな思いは二度とごめんだね! ってかさノエル、ボクのこと見捨てたよね? 普段ボクがどれだけノエルに尽くしてるかわかってる? ボクがいなかったらノエルなんかいまごろ、むしられて野良猫みたいにニャーニャー鳴きながら、雨にそぼ濡れてるところだよ? だいたいねえ、折られちゃったから、帰りたくても帰れないのっ! そりゃボクだって帰れるものなら帰りたいよっ! でもねえ帰れないから困ってるんだよ! だれのせい? ねえこれって誰に当たったらいいのかなボクは!」
「ああそうだな……」
疲れ果てたノエルは、生返事をするのがやっとであった。
「ユーちゃん大変だったね。わたしが起きてたら助けてあげたのに。」
「いくらアンナでも、砂蟲は無理でしょ?」
「よくわかんないけど、土竜ならやったことあるよ?」
「えっ!? 土竜ってなに!?」
「んー、砂漠を這うおっきな蛇って感じかな。ムカデみたいな足が生えててね。」
「きもちわるぅー!」
いつの間にか矛先がずれて、ふたりで話し込んでいる。
もう好きにやってくれ……
思わず「ふう」と息をついたら、それにさえも食ってかかるアンナとユーリエル。
「ため息なんてついてどうしたのさ、ノエルぅ。」
「ノエルはただでさえ陰気なんだから、これで辛気臭くなったら、もう終わりだよ?」
臨界点を超えたノエルは、疲労と諦めの入り混じった『解脱スマイル』をふたりに返すと、窓外へ視線を転じた。
すべての悩みを放置して、ぼんやり外を眺めると、食堂の喧騒もどこか遠い国ことのように感じられた。
街路樹の優しい木漏れ日が、ノエルに降り注いでくる。
――ああ長閑。
ノエルは向かいでわめき合うふたりを脳内から消し去り、独り優雅な食事を楽しむことにした。
が――
『クソアマがぁ!!』
野太い罵声が、それをぶち壊しにした。
声は表の通りから聞こえてきたようである。
と、ノエルが覗いていた窓に、女があらわれた。
ローブ姿でフードを被った女は、ふと追手を振り返った。
そのときに、窓ガラス越しにノエルと目が合った。
ノエルには、フードの奥に女の顔が見てとれた。
若くて、きれいな顔立ちをしているが、どこか凛々しさのある女だった。
『たすけてください。』
ガラス越しに、か細い女の声が聞こえた。
いや、聞こえた気がしただけだった。
慌てていて声が出なかったのか、女はパクパクと口を動かしただけであった。
女は、すぐに走っていってしまった。
そのあとを、人買い風の男が追いかけていく。
男女が去ると、まるでつむじ風でも通り過ぎたように、町に平穏が戻ってきた。
だが……やはりノエルは席を立った。
会話に夢中だったアンナとユーリエルは、小競り合いに気付かなかったようで、
「あれ? ノエルどうしたの?」
と目をぱちくりさせている。
「ちょっと、便所だ。」
そう言い残してノエルは食堂をあとにした。
***
「オラァ、捕まえたぞ! 手間かけさせやがって!」
人買い風の男が、女の腕をねじ曲げる。
その拍子に、女のフードが脱げた。
女は苦痛に顔を歪ませている。
「二度と逃げる気の起きねえようにしてやる。」
男は力任せに、女を壁に叩きつけた。
だが壁にぶち当たる前に、ノエルの腕が女を支えていた。
「あ? 誰だてめぇは?」
歯並びの悪い男が、唾を飛ばしながら突っかかってくる。
「通りすがりの紳士だよ。」
ノエルは男の神経を逆撫でした。
「気取ってんじゃねえぞ!」
逆上した男がノエルにつかみかかる。
だがノエルは、女を軽々と抱えてから、くるりと男をかわした。
そしてそのまま、男の背中に蹴りをお見舞いしてやる。
男はつんのめって、顔面から壁に激突した。
「うげっ!」
ノエルは女を降ろして、
「ちょっと下がってろ。」
と背後に追いやった。
「ヤロォ……そいつは商品なんだ、返してもらうぜ。」
男は手で顔を押さえながら、立ち上がる。
すでに男の腕時計にはひびが入っていた。
「おれもできれば関わりたくないんだが――」
男が飛びかかってきたので、ノエルは蹴り一閃で男を地面に沈めた。
「『願い』を聞いちまったんだ。」
倒れた男に背を向けて、ノエルは女に近付いた。
「どこへでも行くといい。」
それだけいうとノエルは、立ち去ろうとした。
だが、女はノエルの背中にすがりつき、またこう言ったのだった――
「たすけてください。」




