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ハレルヤなんてさようなら  作者: 八兼信彦
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Scene4 大蟲《インセクト》なんてさようなら その2

  ***


 またも荒野。

 『バグ』により、大地まで『再編』されてしまったこの世界では、都市周辺は荒野や森林に覆われていることが多い。

 果てしなく続く変わらない景色は――眠気を誘う。

 暢気なアンナは、すでに寝息を立てている。

 昨晩と変わらず、眠っている姿はあどけない。

 起きているときはハチャメチャで、寝ているときは無垢なんて子供みたいである。

 しかし時間が止まったかのように退屈な移動ならば、眠るのも仕方がないかもしれない。

 だが――

 数時間が経ち、ようやくノエルも異変に気がついた。

 いくら車を飛ばしても、景色がまったく(・・・・)変わらないのである。

 『景色が変わらない』というのは、普通は比喩であって、変わらないように見えるほど似たような景色が続いているということであるが、いまノエルが目の当たりにしている景色は、文字通りに『何も変わらない』のであった。

 いや、詳細に言えば、『何も』ではなかった。

 空に浮かぶ雲。

 普段であれば、気ままに風に流されてゆくあの雲が――少しずつ引き延ばされている。

 棍棒で延ばされるパスタ生地のように、いびつに延びていくのだ。

――これは『再編』なのか?

 この現象を説明するには、『バグ』以外の答えが見つからなかった。

 ノエルは車を停める。

 風は凪いでいる。

 それなのに、空の雲ばかりがじわじわと延びていく。

 いや、延びていくというよりは――

「延ばされている?」

 物理的に延ばされているのか、それとも時間をいじられているのかわからないが……異変のただ中にいることは間違いないようだ。

 アンナに声をかけたが起きる気配がない。

 そういえば、空間が引き延ばされているのに、ノエルたちが無事であるのもおかしな話であった。

 もし『再編』に巻き込まれたのであれば、車やノエル自身にも影響が出ているはずである。『再編』は自然災害と同じく、人を選んだりしないからだ。

 だが――自分たちは無事で、その周辺事態のみが変異しているとなると、これは――

「おれたちを中心に起こっている?」

 何者かが、意志をもって、ノエルたち目がけて天変地異を起こしているということであった。

 そしてそんなことが可能である者など、ノエルには思いいたらない。

 いや、神サマであれば可能かもしれない。

 しかし、神サマがわざわざあらわれて、こんな回りくどい啓示するとも思えない。

 そうやってノエルが潜考していると――

“くひひひひひっ”

 ノエルの耳元に女の囁き声が聞こえてきた。

“やっと気が付いたのぉー? ちょっと遅すぎぃー”

 ノエルは見回したが、声の主はいない。

“わたしを捉えることができないってことは、あんたたちの知覚って、人間ひとと同じくらいなのね。もうちょっと期待してたんだけど”

 心が読まれているかのように、声だけが響いてくる。

「あんた『たち』だと?」

 ノエルが虚空に向かって叫ぶと、荒野に砂粒が集結した。

 こんもりと砂山が築かれると、今度は風もないのにさらさらと砂が流されていった。

 砂の中には、男がひとり残されていた。

「ふええええ、ノエルぅ……怖かったよぉぉぉぉ」

 おいおい泣いているその男は、ユーリエル・カンヴァスである。

 淡いエメラルドの髪をゆさゆさと揺らしているのは、砂で成型された縄で、きくつ縛られているからであった。

「……おまえ捕まってたのか?」

「暗かったよぅ、狭かったよぅ、怖かったよぅ、暗かったよぅ、狭かったよぅ、怖かったよぅ、暗かったよぅ、狭かったよぅ、怖かったよぅ……」

 トラウマを負ったようで、会話にならないユーリエル。

“うろちょろされると目障りなのよね”

 また声が聞こえると、車のボンネットに砂粒が結集した。

 砂山が消えると、小さな女の子があらわれた。

 全身を植物の葉のような衣服で覆っている、年端もいかない少女である。

 短い髪には、植物の弦で編みこまれたレースが結びつけてあった。

「わたしは繊細にできてるの。」

 少女は挑発的に、ノエルを睨みつけている。

「心当たりがないな。人違いじゃないのか?」

違い? よく言うわ。」

 少女はボンネットからぴょいと飛び降りると、大地へ消えた。

 そして空間転移でもしたかのように、ユーリエルの背後へ地面から飛び出してきた。

「言ったでしょ? 繊細にできてるの。あんたたちが人間ひとかどうかくらい、すぐわかるわ。」

 少女が両手を広げて、空中で何かをつかむ仕草をする。

 すると少女の手から虚空へ砂粒が侵食してゆき――

 砂の陰影がそこにあるはず(・・・・)のものを描き出していった。

 ユーリエルの背後に、大きな翼があらわれた。

「ひぃぃぃ!? ノエルっ! はやく助けてぇぇぇ!」

 翼を鷲づかみにされたユーリエルが悲鳴を上げる。

「ユーリ、長い付き合いだったが――いざ別れとなると――べつに寂しくもないな。」

「ちょっとノエル! なに別れの挨拶キメてんのさ! 命がけで助けなさいよぉ! じゃなきゃ恨んだり、祟ったりするからねっ! ちょ、ノエルぅ!」

 じたばた喘ぐユーリエルだったが、ノエルには返す言葉がなかった。

 目の前の少女には、どう足掻いても太刀打ちできないと感じていたからである。

 生命における階級ヒエラルキーがあるとすれば、間違いなく少女はノエルの上位者であった。

「どうする? おにいちゃん(・・・・・・)。」

 そういって少女は悪戯っぽく微笑む。

 その生意気な口振りも、圧倒的優位からすれば当然かもしれない。

「ユーリ、最後に教えてくれ。こいつはいったい何なんだ?」

 ユーリエルは、震えながらもこたえてくれた。

砂蟲サンドワームだよぉ! ちょっと、最後ってなんだよ!」

「サンドワーム? なんだそれは?」

「『バグ』によって発生した新種の生き物っ! 助けてぇ!」

「ふうん、知ってたんだぁ。」

 少女は意外そうな顔をしたが、驚いてはいない。

「実体化した龍みたいなものだよ助けて、龍は精霊体だけど助けて、砂蟲サンドワームは実体を助けて持つ助けて生き物なんだ助けて助けて助けてぇ!」

 ユーリエルは補足しつつ懇願した。だが――

「悪ぃな、ユーリ。」

「へ?」

 少女がくいっと手を返すと、ユーリエルの右の羽がポキリと折れ曲がった。

「そんなあああっ!」

 哀顔で絶叫して、ユーリエルは気を失った。

 少女が手を離すと、翼を覆っていた砂も消え去り、そのままばたりと倒れ込んだ。


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