Scene1 銃弾《ブレット》なんてさようなら その1
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荒野を渡る街道を、一台のオープンカーが走っている。
思いっきり風を浴びている搭乗者は、だったら乗らなきゃいいのにというほど吹きつける風に苛立っていた。
「ポンコツ渡しやがって!」
無駄だとわかっていても髪を撫でつけずにはいられない。
搭乗者は若い男である。若いといってもサングラスをしているので顔はよくわからない。
ただそのなびかせた黒髪と、臙脂のシャツから覗かせる艶やかな肌が、男の若さを物語っていた。
男は忌々しげにセンターパネルのボタン――幌の張りだす絵が描かれている――を押した。
しかしガリガリと音がするばかりで何の変化もない。
連打していると、ボタンは転げ落ちて、座席の下へ消えていった。
「今度あったらタダじゃおかねえ!」
照りつける日差しは、容赦なく降り注ぐ。
果てしない荒野には、陽を遮るものなど何もない。
ビビッドレッドの塗装は底抜けに明るく、とても目立つ。
だが搭乗者のほうは、その険しい顔もあいまって暗い印象をあたえていた。首から下げている十字架も年代物で陰気である。
総じて『陰険』という言葉が似合うこの男の名は、ノエル・グロリア。その名のとおり、試練から愛される栄光を授かっていた。
***
行商が立ち往生しているのを認めて、ノエルは車を停めた。
運搬用の馬が、暑さでへばったようである。
フードを目深に被った行商が、ひたひたと近付いてきた。
「水を売ってくれねえですケェ?」
行商はすまなさそうに言った。
「行商が水を切らすなんて、何かあったのか?」
「賊ですケェ。一番安ィ水の袋を捨ててェ、逃げてきたんですケェ。」
そういうと行商は銀貨を1枚、ノエルに差し出す。
「安ィといっても、乾いたトコじゃあ高く売れますケェ。」
だがノエルは金を受け取らずに、
「おれはすぐ次の街に着く。好きなだけ持っていくといい。」
とトランクを開けた。
「ありがてえですケェ。」
行商はトランクから水の入ったタンクを下ろすと、まずは桶に水を張る。それから自分のコップにも水を注いで、ぐびぐび飲み干した。
馬のほうも水の匂いを感じたのか、ゆっくりと立ち上がる。
そこで――馬だと思っていたものが少し違っていたことに気付く。
普通の馬よりも足が太く、鳥のかぎ爪のようになっていた。
「なんだ、『バグ』だったのか?」
ノエルは行商に声をかけた。
「へえ。こいつだけじゃねえですケェ。」
行商が目深に被ったフードを取り払うと、湿った肌があらわれた。
こちらは両生類といったようなぬらぬらした肌で、目玉も飛び出している。
「あんたも『バグ』だったのか。」
「これも神サマの思し召しですケェロケロケロっ!」
行商は耳まで裂けた口を、ぱっくりと開けて笑った。
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起こるはずのない出来事。
常識から逸脱してしまった事象。
そうした『不具合』の総称を、『バグ』と呼んでいる。
『不具合』はいまや世界中に広がっており、珍しいものでもなくなっている。むしろ『不具合』が起きることが常態化してしまった世界、といったほうがいい。
人生に何が起こるかわからないように、世界にだって何が起こるかわからない。
ある日突然に『不具合』が目を覚ますという事態も、こうして常態化してしまえば、さして不思議でもなくなっていた。
***
「ところで旦那。厚かましいついでに、もうひとつお願いがあるんですケェ。」
行商がやや馴れ馴れしく話しかけてきた。
「お願い……」
ノエルは顔をひきつらせる。
「へえ。あれですケェ。」
行商は東の空を指した。
遠くに小さく、飛行船が浮かんでいるのが見える。
飛行船は底部からチカチカと、規則的な光を放っていた。
「EMラジオですケェ。聞かせてもらえねえですケェロケロ?」
「なんだ、そんなことか。」
ノエルはほっと胸を撫で下ろすと、コントロールパネルの『EM』ボタンを押した。
ダッシュボードに設置されている、卵型の金属球が点滅をはじめる。
飛行船から発信される電波を、この端末が受信しているのであった。端末の形から、卵《embryo》の頭文字を取って『EMラジオ』と言われている。
「ミカたんのファンなんですケェ。あの声を聴かねえと、一日やる気が出ねえんですケェ。」
光がおさまると、車載スピーカーから陽気な音楽があふれ出した。
行商は、すぴすぴすぴぴぴぴ、と鼻息を荒くしている。
音楽に続いて、今度は景気のいい女声が聞こえてきた。
『みなさぁん、こんにちは! というわけではじまりましたー、ミカと父ちゃんの〈マジカレード・タイム〉! お相手はミカこと、ミッチー・カイラスと』
『父ちゃんこと、ラガー・サイビエスでお送りいたします。』
『はあい、お願いいたしますー。さてさて、父ちゃん』
『はいはい、ミカちゃん』
『先週に続きまして、パニッシュドーナツの私だけの食べ方! ミカ的にはお湯でふやかしてソースをつけて食べるってのがマイフェバでしたが、もう一通お便りが届いたのでご紹介しまーす。ペンネーム「町工場のオネエちゃん」からいただきました。「オネエ」ってのが意味深ですねー(笑)!
パニッシュドーナツの私だけの食べ方!
「氷砂糖といっしょにミキサーで砕く!」
おぉ~ワイルドかつスウィート――――』
この牧歌的ラジオに、ノエルは少し気分が紛れた。
荒野に車を停めて、のんびりと風を感じるのも悪いものではない。
「あっしも、お便りを読んでもらったことがあるんですケェ! 『カエル商人』って言うんでケェロケロ!」
行商はうっとりと、ミカたんの美声に聞き惚れていた。
ご一読ありがとうございます!!