死神と少女と新月と(2)
私,クレア・アリバーンが死神・スレアと奇妙な共同生活を始めてから半年が経過した。
死神と言っても,普通の人間と大して変わらない。食べるものも同じだし,普通にお風呂に入ったり,服を着替えたりするようだ。(スレアが血で染めたように真っ赤な上下を着てきたときはもう少しどうにかならないのかと聞き返してしまったものだ。)おまけに思っていた以上によくしゃべる。あまり会話をしないのかと思えば,暇を持て余して「世間話でもしましょうか,我が主。」なんて言ってくる始末。せいぜい違いと言ったら若干昼夜逆転気味,といったくらいだろうか。それでも,屋内ならば昼間でも普通に活動しているし,夜になったら眠るということもする。新月が近くなると若干睡眠時間が短くなっているようだが。
昼夜逆転気味の同居人のおかげで私の日中は退屈だった。午前中の早い時間は本当にすることがなく,スレアに連れてこられた大きな屋敷の中を探検したり,庭に出て(庭といっても異様に広い)その片隅に住んでいる黒猫の一家に話しかけて餌をあげてみたり。自分の部屋を片付けて,厨房で簡単に朝食を済ませ,書斎で読みたいだけ本を読み漁って,少し日が高くなり始めた頃,ようやくスレアは起きてくるのだった。人と関わることをなるべく避けなくてはならないらしい私は,今まで以上に退屈していた。
「ねえスレア,外には出ないの?」
「外,ですか。」
この半年の間幾度となく目の前の死神と名乗る好青年にぶつけた質問を繰り返した。
「夜間でしたらいくらでもお供いたしますよ,我が主。」
スレアにはこの半年の間幾度となく同じ返答を返された。いつもなら「夜は眠いから嫌よ。昼間がいいの。」と返すところだけど,いい加減ほとんどこの山奥にある屋敷の敷地から出ない閉鎖的な生活に飽き飽きしていて,今日の私の気分はいつもとは少し違っていた。
「夜ならいいのね?」
「ええ,構いませんよ。どちらまで行かれるのですか?」
「散歩。いいじゃない。あてもなく歩きましょうよ。」
「そうですか……。まあ,夜間ならば大丈夫かとは思いますが,我が主,あまり人と関わりませんようにお気を付けください。」
我が主といえど,私の力の暴走を抑えこめるだけの魔力はまだお持ちではありませんでしょうから。とスレアは付け足した。幸いにして,私はまだ,彼の力の暴走とやらに出会ったことが無い。それがどの程度のものなのかわからないし,こちらにどのような影響があるかもわからない。わからないけれど,死ぬことはないだろう,そう踏んでいた。
「スレアも来るんでしょう?」
「ええ,もちろんですよ,我が主。」
彼と出かけられる,その事実がなんとなく嬉しくて,旅行を楽しみにする幼い子供のように,私はワクワクしていた。
その夜。少し多めに昼寝をして元気になった私は,町娘のような簡素な服に,深緑のローブを羽織って玄関先でスレアを待っていた。久々に街に降りていくことができるのだ,正直ワクワクしていた。
「お待たせいたしました,我が主。」
現れたスレアは上から下まで黒一色,極めつけに黒いローブ。
「ほかの色も着てみればいいのに。」
「黒が好きなので。」
そう一言だけ言うと,彼は扉を大きく開けた。
「では,街までご案内仕ります。」
スレアに手を取られると,とたんに体中が浮遊感を覚えて足元がふらついた。周りの景色が涙に潤むようにして霞んで流れていく。思わず崩れ落ちそうになった私の背中を彼の大きな手が支えに来る。そう思った瞬間には,山の麓の街の路地裏に立っていた。死神の移動方法というのはなかなか過激なものだ。少し呼吸を落ち着けてから周りを見渡す。……ここには見覚えがある。
「移動に際して配慮が足りず申し訳ございませんでした。……もしここがどこだか知りたいのであればお答えしましょう。お会いした場所ですよ,我が主。」
「……そうだったわね。」
スレアに殺されるかと思った路地裏だったっけ。あの時は家出をして……「主,参りましょう。」
彼の声掛けに我に返る。久しぶりに歩く街は,昔とまた違って見えた。夜の街を行き交う人々は,お酒を飲んだ人もいるのだろう,少し夢見心地で朗らかな顔をして歩いている人もいれば,明かりを避けるようにして体を小さくして歩いていく人たちもいる。それぞれがそれぞれにそれぞれな顔をして歩いている街の中を,私も一抹の寂しさのようなものを覚えながら歩く。夜の街にしか現れない屋台からは美味しそうな食べ物の香りと,人々の笑い声が聞こえてくる。
「主,何か食べますか?」
「えっ,いいの?」
「せっかく来たのですから,楽しみましょう。今日はとことん主にお付き合い致す所存です。」
「じゃ、じゃあ!食べたいものがあるの!」
スレアの申し出に,私は一も二もなく飛びついたのだった。
私が食べたいと言ったのは,この頃街で話題になっている菓子屋の揚げ菓子だった。小麦粉で出来た生地の中に黄金色のはちみつをたっぷりと練りこんで,それを輪っかのようにしてからたっぷりの油で揚げて,仕上げに真っ白な粉砂糖をかけたものだ。屋台の前までいってスレアにねだって買ってもらう。手渡されたその揚げ菓子からは何とも言えない甘い香りがして,一口口にほおばるとえも言われぬ風味が鼻の中をくすぐった。サクサクとした食感が何とも心地良い。想像していた以上に美味しかった。
「美味しいですか?我が主。」
「うん!すっごく!ありがとう,スレア!私,これずっと食べたかったの。」
「主に喜んでいただけて幸いです。時々でよければまた買いに来ましょう。」
そう言ってスレアがふっと笑う。この笑顔に私は弱い。まるで,年の離れた妹を優しく気遣う兄のような表情だ。傍目から見れば兄弟と思われても仕方がないかもしれない。
淡々と静かに夜は更けていく。揚げ菓子のほかにも,透き通った空のような青色をした甘くて冷たい飲み物を飲んでみたり,港の方まで移動して海を見てきたり。夜の街を歩くのはたいそう楽しかった。私があの家にいた頃は実現し得なかったことが,ひとりぼっちになって死神と歩いている間に実現するとはまさか思わなかったけれど。
時間が経つに連れて,人通りが少なくなってきて,表通りにも沈黙が訪れ始めた。ぼんやりと襲い来る眠気に少し抗うことはできたけれど,久々の外出に流石に疲れは誤魔化せなかった。
「お疲れですか?我が主。」
「少し……久しぶりに長い間歩いたからかしら。」
「屋敷に戻りましょうか?」
「そうする……なんだろう,すっごく体が重いみたい。」
「では,先ほどの路地まで戻りますが……背負いましょうか?我が主。」
「大丈夫。歩けるわ。」
流石にここでおんぶされるほど子供扱いされるのは少し癪だった。一歩進むごとに沼の中を進んでいるかのような体の重さに戸惑いながらも,街の中を歩いていく。と,ふと目にとまった街の掲示板に,見覚えのある人の顔が書かれていた。
「……迷い人……私?」
半年前に行方不明になった娘を探している,という山の上の富豪からの捜索依頼だった。間違いなく,自分のこと。
「……主?」
「今日ね,飲み物が出てくるの待つ間にいろんな話を聞いたわ。山の上の富豪が娘を探してるって言うが,俺たち貧乏人には関係ないって。むしろ,あんなふうにお高くとまってる野郎が娘がいなくて困ってるのを見てせいせいしてるくらいだって。」
「そうですか。勝手に言わせておけばいいものを。お気になさること等ないと思いますが。」
「気にはしてないわ……ただ,」
自分はひどく世間知らずだったのだなと思い知らされただけで。
私はその一言を胸の中にしまいこんでそっと張り紙の前をあとにした。一歩歩くごとに沈み込んでいく体と意識。いつの間にか私はスレアに抱きかかえられて路地裏に運ばれていた。
「あまりご無理はなさらないでください,我が主。私の体は契約によりあなたの体を介して魔力を受け取って自分の物にしている。慣れるまでは屋敷に張った結界から外に出るのはなかなか大変なものなのです。」
「……先に教えてよね……そういうことは。」
「申し訳ありません。」
その言葉を最後に再び感じる浮遊感。気づけば屋敷の玄関前に降り立っていた。
「主,ご満足いただけましたか?」
「うん,とっても……。」
返事をするのさえ眠たくて。私は玄関先でそのままあっさりと意識を手放した。
翌朝。
「おはようございます,我が主。お加減はいかがですか?」
「……あなたの方が早いなんてね。」
スレアよりもたっぷりと眠った私は,昼過ぎに目を覚ました。ベッドの上に体を起こすと,いい香りのした紅茶がすっと差し出される。主張しすぎない品のある香りだ。
「お目覚めにいかがですか?それから昨晩食べた揚げ菓子を真似てみました。こちらもどうぞ。」
ベッドサイドの小さなテーブルに,甘い香りのする一口大のお菓子が置かれる。紅茶を一口啜ってお菓子を一つ手に取った。口に入れると,昨日味わったものよりもはちみつの香りが強く鼻をくすぐった。
「……おいしい。ありがとう。」
「お褒めに預かり光栄です,我が主。」
目の前ですっと頭を下げる死神。彼の恐ろしさを私はまだ知らない。
願わくば,知らないままで。
続かないはずが続いてしまいました。死神が後半ただの執事と化している件については放置することにします。