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KAISEの憂鬱―ROMANCE

即興小説トレーニング お題:どこかの償い 制限時間:2時間(http://sokkyo-shosetsu.com/novel.php?id=184974) を手直ししました。

「どれが一番格好いいかね」

「うーん、右から三番目がいいんじゃない?」

「ここの髪の毛の、ふわっと感がいいかも」


 うーむ。

 貝瀬昭雄は唸る。


「でもねぇ、こっちは目がキラキラっとしていて、KAISEの魅力が出ていると思うんだよね」

「切れ長の目、王子様フェイス。合成じゃないこの魅力」

「TAIKIと絡ませて歌わせたいわー今度は」


 うーむ。

 貝瀬昭雄は、首を捻る。


 するんとした艶々の髪の毛。ぱっちりとした目。色白の肌。

 抱き締めたら、すっぽりと体に沿いそうな、華奢な体。

 酔っ払った昭雄の歌に、彼女は目を潤ませた。


 っつああああーーーーーーーー!!!

 と、叫び出しそうになって、昭雄はそれを表に出さず、脳内で悶絶しまくった。

 そして、頭の中で叫んだ。

「おかしいッ 俺はロリコンではないはずだ!相手は十六歳だぞ!自分の年を考えやがれ俺ーーー!!」


 人気アイドルグループ、ROMANCEのメンバーの一人、KAISEこと貝瀬昭雄は、最近ひとつのことで頭を悩ましている。

 元はといえば、身から出た錆だ。分かっている。酔っ払ったときの持ち帰り癖が悪いために、こんなことになったのだ。

 しかし、それがよもや、自分の頭から離れないレベルの思いに成長するとは。



「KAISE?かいせー!聞いてる?聞いてないね?お前のアー写の話をしているんだぞ。ボサっとするな!」



 メイキャップのルミが、その細腕で思い切り昭雄の頭を殴った。

 昭雄の目から火花が飛び散る。



「いって」

「ほらほら、ユーセイさんが撮ってくれたお前の写真だぞ。美しいだろ~」


 マネージャーの郡山が悦に入った様子で言う。ユーセイというのはアーティスト写真を撮る写真家である。

 エキセントリックな格好をしたユーセイは次の被写体であるメンバーのHARUKA(男)の準備をしつつ、昭雄に二本指でぴっと挨拶してみせた。

 いかん、と昭雄は目の前のデスクトップに並ぶ写真をチェックする。

 様々な機材が並び、フラッシュが焚かれる撮影スタジオ。遊びで来ているわけではない。仕事だ。今度の新曲のアーティスト写真を撮りに来たのだ。

 しかも、昭雄が書いた歌詞の新曲。ぼーっとしている場合ではない。


「いや、さっきルミが言ってたやついいと思うよ!」

「さっきまでボーっとしてたくせに何を言うんだか。ほんと、繊細な見た目と違って雑なんだから」


 ルミが黒い髪を掻き上げて、ふん、と鼻で笑う。

 髪の毛先から爪先まで、一片の隙もないようなルミに言われると、どうも身が竦む。格好良くみせたり、ステージで歓声を受けたり、演じてみせたりするのは好きだが、元来貝瀬昭雄という男は面倒臭がりだし、肩の力を抜いて生きている。

 アーティスト写真には、ナルシスティックな美貌に微笑みを乗せ、薔薇の刺繍がしてあるレースたっぷりの衣装を着た「KAISE」が写っている。

 じっくり、写真をチェックした昭雄は、がしっと肩を掴まれて覗き込んできたメンバーのTAIKIをそのままに、写真を指定した。


「これと、これとこれかな」

「右のも捨てがたいんじゃね?」

「しかし、王子様っぽくないから嫌だ。ワイルドはお前の担当だろ」


 と、TAIKIの方を向くと、TAIKIはゼブラ柄の上着に身を包んで嫣然と微笑んでいた。

 うおっ、と昭雄は声を上げる。


「うお、って何だ失礼だな」

「だってさ、今回のコンセプトって『ビクトリアン』じゃねぇの?なんでそんなギャル男みたいなゼブラ」

「『ビクトリアン』は大航海時代だからいいんだよ!」


 体格のいいTAIKIはスタイリストが衣裳を凝る。

 TAIKIはがっしり昭雄の肩を組んで、じろっと見た。


「それより最近お前、なんかぼーっとしてることが多いよな?なに、恋煩い?」

「ぶほぉ!!」

「え、図星?!てかぶほぉてアイドルじゃねぇから」

「だ、だ、だ、誰がそんなことを!」

「いや、お前が語るに落ちているだけだから。」


 ルミが呆れ顔で昭雄を見下ろす。

 しまった、折角仕事に夢中になって、忘れていたところなのに。

 昭雄の顔が見る間に赤くなって、その場にいた全員がおや、という顔をした。


「なんだこの反応は。思春期の童貞みたいな顔しやがって」

「KAISE・・・お前、純情ボーイなのか?」

「変なこと言うんじゃねぇ!!今仕事にそれ関係あるのか!!」

「大いにあるねぇ」


 郡山が、眼鏡の奥の目をすっと眇める。


「アイドルが恋愛しているのバレたら一大事なの分かるでしょ?」


 それはそうだ。

 週刊誌にでも写真が撮られたら、その途端、説明が求められ、悪意のフラッシュの嵐に遭うのである。

 TAIKIは肩を竦めてみせた。実はTAIKIは有名女優との交際が知れて、その悪夢に遭ったことがある。


「まあ、KAISEはこんな様子だから、結婚まで大事にしそうな気がするけどね」


 結婚。

 ロリコン。


 うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーー!!!


 と、また脳内で悶絶する。



「あ、またフリーズした」

「まったく仕方ないね」


 ルミは昭雄の長めの髪を一房とって、器用にくるりとカールさせた。


 昭雄は脳内で暴れ回る。

 彼が先月酔っ払って持ち帰ったものは、生身の女の子だった。

 それも身よりもない、途方に暮れた可愛い子だ。酔っ払っていた自分は彼女に歌をうたい、「笑顔の方が綺麗だ」じみたことを言ってのけた。

 すべて酔いのせいである。超、恥ずかしい。

 が、その後、事務所のアルバイトを紹介し、居場所がないという学校を転校させ、住まいを変えさせたのは、すべて理性で判断したことだ。

 居場所のない、悲しそうな彼女を放っておけなかった。


 ここまではよかったのだ。妹感覚だった。


 おかしくなってきたのは、彼女の笑顔を、目で追うようになってきてから。

 学校にいる彼女の姿を、事務所で働く姿を、思い浮かべるようになってから。

 事務所でわざわざ、ファンクラブ担当の部屋の前を通るほど、彼女を追っている。


 高校生の、女の子を。

 28の独身男が。


 駄目だ、それは流石に犯罪だ。

 そう思いながら、止められない。



 フリーズしている昭雄に、郡山が「そういえば」としれっと言った。


「新しく入ったアルバイト、しっかりやっているそうですよ。KAISEが連れてきたんだって?」

「っつあーーーーーーーーーーーー!!!今それを言うな!!!」


 現場に居合わせた全ての人間に、昭雄の思い人が知れてしまった瞬間だった。



  ○


「ここ、違うわよ。ちゃんと直して」

「はい」

「大事なことなんだからね」

「すいません」


 川崎美幸は肩を落とした。また同じようなミスをしてしまった。麗香さんを怒らせて当然である。

 アイドルグループ「ROMANCE」のファンクラブの登録費用は5000円だ。チケットの優先販売や会員限定のイベント、メンバー情報などをまとめている。これがために、ファンはお金を落してくれる。

 すごい、と素直に美幸は思う。テレビで観ていた頃はぼんやりと「アイドル」としか思っていなかったけれど、本当にすごい人に拾ってもらったのだ、と改めて感謝の念が湧いてくる。

 入金記録をチェックしながら、流れてくる新曲を鼻歌でうたう。



 君が涙に暮れたら

 すぐそばに この声を

 届くように 歌うよ

 風に乗って ふわり ふわり

 頬に流れる涙 ぬぐいたい



 ダンスナンバーで明るい曲なのに、歌詞は切ない。

 誰かを救いたい思いが詰まっている。

 このサビを聴くたび、美幸は泣きたくなる。温かくってたまらない。誰かのために、何かを届けたいという思いは、どうしようもなく愛おしいのだ。


 美幸が貝瀬昭雄に拾われたのは、全くの偶然だった。

 学校でプールに突き落とされて、その上、倉庫に閉じ込められそうになった。同級生にされたことだ。

 このままじゃ殺される。

 そう思って家に帰り、不倫のためか両親がいない家で着替えて、家を飛び出してきたその日、美幸は彼と出会った。

 美幸は、もうどうすればいいのか分からなかった。

 繁華街まで歩いてきて、止まらない涙はどうしようもない。自分は他人から「死んでもいい」「死ねばいい」と思われている、ということを自覚すると、あとからあとから涙が流れてくる。「いなくてもいい」と思われている。

 居場所なんて、何処にもない。

 どうすればよいのか分からなかった。

 何も期待しない、と普段は思っていても、悲しいのだ。

 世界から拒絶されて、どうしようもなく、悲しいのだ。


 どうにでもなれ、と思って佇んでいた居酒屋のご主人は、親切にも開店前に美幸を店に入れて、オレンジジュースを飲ませてくれた。

 いろいろ訊かれたが、すべて首を横に振って流して、結局ご主人は美幸が泣くがままにしてくれた。


 どれくらい時間が経ったか覚えていない。

 彼はいつの間にか、美幸の隣にいた。

 どうも陽気で、酔っているらしい。辛気臭く泣いている美幸に気付くと、「何で泣いているんだ、言ってごらん!」と強引に美幸の肩を抱いた。

 されるがままになっていたが、あれこれ大きな声で尋ねられ、仕舞いには心配そうに「泣かないで」なんて言われた。

 考えてみれば、そんなの、大人の口車に乗せられて危ういところだった。

 彼が、彼でなかったらどうなっていたか、美幸も分からない。

 彼は甘い声で、語りかけるように歌った。

 初めて彼の顔をみたら、どこかで見たことのあるような、優しい美貌を持つ男性だった。

 歌を聴いていたら、また泣けてきた。今度は悲しいのとは違う。誰かに寄り添おうとする歌詞が、声が、ほっとできて、嬉しくて、温かくて泣いた。

 冷え切った心に、こんな気持ちは初めてだった。



 その後、何故かお酒を自分は口にしてしまったらしい。

 そしてあれやこれやあった後に、この事務所で働くことになったのである。



 歌が聴こえる。

 事務所では、所属グループの曲を四六時中流している。特に、ROMANCEはこの事務所のトップアイドルだから、一日に幾枚ものアルバムが掛けられる。

 ROMANCEは五人グループだ。それぞれのパートを歌ったり、ユニゾンしたりしている。

 それでも、美幸は、あ、と気付く瞬間がある。

 KAISEの声だ、と。

 ROMANCEをテレビで観たり聴いたりしていたときは、一人一人の声の違いなどは分からなかったけれど、今は所属アーティストをROMANCEに限らず覚えてきたし、何度も楽曲を聴いているからどれが誰だか分かるようになった。

 それでも、「あ」という瞬間がある。

 かいせさん。

 それだけで、もうどうしようもない気持ちになる。


 駄目だ、高望みできない。私なんか、空気のようなものだもの。

 駄目だ、これ以上望んじゃ。

 お仕事も紹介してもらって、広い世界を教えてもらって、もうそれだけで。



「おわりました」


 ファンクラブ会長の麗香さんは、ちょっと怖そうな美人である。いつも無表情で、愛想はみせない。

 ファンクラブ運営を行っているグループのお姉さん方は、みんなそうだ。それぞれ美人で、愛想のない、にこりともしない人たちだ。

 美幸はこの人たちの中にいると、猛獣の檻の中に入れられたような気持で、とても緊張する。

 特に、麗香さんは仕事に厳しいし、びしりと言う。怖い。


 じっくりチェックした麗香さんは、「はい、ご苦労さん」と声をかけた。


「ありがとうございます」

「あんた」

「は、はいぃ!」

「ちゃんと宿題やってるの」


 美幸はぽかんとした。麗香さんはパソコンのディスプレイから目を外さない。

 おずおずと、答える。


「ちゃんと、やってます。大丈夫です」


 麗香さんは、そう、と頷いて、眉間に皺を寄せて美幸に言った。


「冷蔵庫にケーキが入っているから、食べていいよ」

「えっ」


 固まっている美幸を麗香さんは暫く無視していたが、「休憩時間中にさっさと食べなさい」とつっけんどんに言った。



  ○



 ファンクラブ運営グループの部屋の前で、うろうろする人間が数名。

 悪ふざけが大好きな、ROMANCEのメンバーとそのスタッフたちである。

 昭雄はメンバーに左右をがっちり固められながら、じたばたして「一体どういうこった」とパニックになっていた。

 みんなニヤニヤして俺を運営にいる美幸ちゃんに引き合せようとしているのは分かる。しかし、この見物人の多さは完全におもしろがられている。


 俺は美幸ちゃんへの思いを断ち切ろうと必死なのに!!!


「あのなお前ら、いい加減にしろよ」

「そんな堅くならなくったっていいじゃないか。美幸ちゃんはいい子だぞう」

「それは知っている」

「へぇ、可愛いね」

「お前絶対美幸ちゃんに接触するなよ!!」

「まあまあ、MAIMUも本気じゃないって」


 TAIKIもヘラヘラして言う。

 昭雄は不安で仕方がない。天真爛漫担当のMAIMUだが、交友的な意味でも下半身的な意味でも交際範囲が広いことでよく知られているのだ。


「それにしてもね、カイセがここまで純情だとは思わなかった。隠れて遊んでいるかと思っていたのに」


 頭脳派担当のHARUKAがさらりと言う。


「俺は真面目だぞ。堅実な家庭でラブラブで鬱陶しい両親の下で育ったんだ」

「憧れの夫婦は両親、みたいな?」

「あー。カイセの坊ちゃん育ちが知れる知れる」


 可愛い系担当のKAZUSAが悪態ついた。女装じみた格好をして可愛いと評判なわりに、毒吐くところが人気である。

 腕を組んでおかしそうに様子を見守っている社長が言った。


「まあ、週刊誌にマークされないように。相手は未成年なんだからな」

「そこ!問題でしょ、社長。分かるでしょ。だから俺、今必死で戦ってるんだって、恋心と!」


 社長はにっこり微笑んだ。


「どこの馬の骨とも分からない女と勝手に付き合われるより、健全にお付き合い出来る子とKAISEが一緒になってくれた方が面倒臭くない」

「えっ、そう?・・・いやちょっと待て、今感動しかけたけど美幸ちゃんの意見は!彼女にだって好きな人がいるかも知れないじゃないか!尊重しないと」

「あー、でもですね、ファンクラブ会長の麗香女史によりますと」


 郡山がしれっと情報を提供した。


「必ず、あの子はKAISEの声が分かるんだそうですよ」

「え?」

「CDを聴いていて、ユニゾンしていても、必ずKAISEの声を追って鼻歌をうたっているんだそうです」


 昭雄は固まった。


 なんだ、なんだ。

 そんなの。


 嬉しいじゃないか。


「あ、美幸ちゃん帰るみたい」

「ってええーーーーー!!!」


 事務所を覗き込んでいたMAIMUの一言で、無慈悲にも昭雄は事務所の方へ突き飛ばされ、後のみんなはさっと廊下の角を曲がって隠れた。

 姿勢が崩れて倒れそうになった昭雄の目の前に、可愛い愛しの美幸ちゃんが目を見開いている姿が迫った。



  ○



 美幸はペットボトルのお茶を飲む昭雄を気遣わしげに眺めた。

 少し、バツの悪そうな顔をして、昭雄は言った。


「いや、大丈夫。というか本当にごめんて」


 美幸は急いで首を横に振る。


 退社しようとした美幸に突っ込んできたのは、思い人の貝瀬昭雄だった。

 くわっと目を見開いた、驚いた表情で迫ってくる大きな大人の男を美幸は受け止めきれず、結局、押し倒されたような形になってしまった。

 美幸を潰さないようにうつ伏せになる昭雄の胸が目の前にあって、こんなに近いのって大丈夫かしら、わたしの心臓爆発しないかしらとドキドキしていたら、


「ごめーん!!!そんなつもりはなかったんだーーーー!!!!」


 と超絶パニックに陥った声が降ってきたので、慌てて彼の下から這い出た。


 その後、廊下の角から出て来たROMANCE関係者一同に爆笑され、まだ仕事中のファンクラブ運営の事務の皆様の冷たい視線を受け、昭雄には怪我がないかとか何とかパニックのままに訊ねられ、美幸はわけが分からないので、とりあえず「大丈夫、大丈夫」と昭雄の腕あたりをさすって繰り返した。


 事務所の入っているビルの一階のコンビニでペットボトルのお茶を買った。ビルの屋上で、何故か昭雄と美幸は共にゆったりすることになった。ベンチで隣に座って、カイセさんとこんなに近くなの久し振り、と美幸は心の中で喜ぶ。

 もう、あれから一ヶ月が経つのだ、と気付く。

 目まぐるしい、環境の変化だった。

 奨学金のある高校に入り直して、高校の寮に入った。アルバイトでさまざまな仕事を覚えなければならなかった。役所と相談して、担当者を交えながら両親と話をし、身の振り方を自分で決めた。


「世界は広いぞ」


 アルバイトを紹介してくれたときに、昭雄がにっこり笑って言った言葉を思い出す。


 空を見上げると、夕焼け色と紺色が広がっている。

 風が吹いて気持ちがよかった。ほんとだ。

 世界は広かった。



「あのな」



 ふいに、口を開いた昭雄の方を向くと、夕焼けが頬に差したのか、昭雄の顔は赤かった。


「俺、今アイドルグループで活動して、役者とかもやっているけど、もともとはロックバンドのボーカルになりたかったんだ」

「そうなんですか」

「高校生の頃から、頑張って、頑張って」


 昭雄は遠い日を眺めて、悲しそうに言った。


「でも、なかなかバンドのメンバーと長続きしなかったんだ。そんなときに今の社長と出会って、アイドルグループに引き抜かれたんだけど、そのときメンバーだったやつに言われた。結局、ルックスだけでどうにかするのかよって。まあ、それまでもルックスだけでファンがついていたのかな、と思ってたんだけど」


 何で、そんな話を昭雄がし出したのか分からない。だが、美幸は黙って聞く。


「でも俺、何を見ていたのかな。本当は、音楽が好きで来ていたお客さんを、俺は勘違いしていたのかもしれない」


 美幸は口を開いた。


「わたし、カイセさんの歌、好きですよ」

「ありがと」

「歌詞も好きです」

「そっか」

「誰かが、助かって欲しいって」


 声が震える。


「そんな思いが伝わってくるから」



 あの日、世界が広いと知らなければ、美幸は何かを手放していた。

 だが、貝瀬昭雄と出会った。

 その存在と、声と。

 出会った。



「カイセさんからもらったものって、私にとっては計り知れません。人生・・・といってもいいくらいです」


 だから、と言う。


「私、出来る限りカイセさんのために頑張ります。来月もCD買おうって思ってるんです。あとファンクラブの運営のアルバイトも頑張ります」


 昭雄はふふっと笑った。


「ファンみたいだ」

「ファンですよ」

「うれしいな」


 美幸は綺麗な横顔、と昭雄に見惚れた。この人は、神様のように綺麗な人だ。

 自分にとっては、神様だ。

 恋なのか、ファンなのか、崇拝なのか。分からない。

 それでも、少しでもいいから、この人のためになれるようなことをしたい。

 素敵な歌声の、優しい歌詞を書く、綺麗な人。

 少しおっちょこちょいで、おおらかで、パニックになりやすい、少年のような人。


 昭雄は考える。美幸ちゃんはきっと自分のファンである。ファンは大事だ。だけど、それ以上に近付きたい。

 こんな邪な思いを隣の男が抱いているなんて、思いもしていないだろう。

 昭雄は少し困ったな、と思う。まあ、どうにか頑張ろう、と決意もする。


 届いていないかと思っていた、自分の声が届いていた。

 ずっと、自分の実力ではない、歌で自分は売れているのではないと、罪悪感を持っていた。

 だが、違った。

 今では信じられる。

 その確実な実感が、胸の奥に宿る。



 美幸の頬に手をやると、美幸は驚いたような顔をして体を固くしたが、逃げはしなかった。


「ファンってだけかな」

「え?」

「俺は、君にもっと、俺のことを好きになってもらいたいよ」


 夕日が差して、美幸の目に光がきらめく。

 ああ、最初は泣いていた瞳だ、と思うと、痛ましい。昭雄はまだ、その傷には完全に触れ得てはいない。



 何があったの。

 何が、君を傷付けたの。



「教えて、いつか、君の傷も、心も」


 美幸の瞳から、涙がぽろりと零れた。

 期待しない、と思っても、誰かに愛されたいという思いは消えなかった。



「はい」


 美幸は頷く。


「私にも、カイセさん」

「アキオっていうの」

「アキオさん?のこと、いろいろ教えて下さい」


「覚悟してろよ」


 昭雄は美幸と額をこつんと合わせた。




 この後、この様子を眺めていたROMANCE関係者に、盛大にからかわれたのは、また別の話。

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