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次の日。
朝起きた時には、もう俺の中から昨日の出来事などすっかり消え失せていた。
というより、記憶から抹消した。わけのわからない出来事など、覚えていても仕方がない。
だからもちろん、あの屋上での約束なんて完全に忘れているという事でもある。
そのおかげで、至極平穏に一日は過ぎ去っていった。
そして更にその次の日。
事件は起きた。
「なーるーせーくーん。成瀬水人~!お客様ご来店~!」
昼休みのザワついた教室内に、クラスメイトである鈴木のふざけた声が響き渡る。
一番窓際の最後尾の席にいた俺は、その声に何も考えずドアへと向かった。
…それが悪魔へ近づく一歩だとは気付かずに…。
「俺に客って…、誰?」
「すぐそこにいるよ、ドアの横」
鈴木に言われたとおり、廊下に出てドアの横の壁際に視線を向ける。
「………」
「………」
…嘘だろ…。なんでコイツがここにいるんだよ。
って、その前に、俺のクラスを教えた覚えはない。
「…死にたい?」
「…は…?」
どうやら本気で言っているらしい不穏な言葉と向けられた睨むような眼差しに、意味がわからず呆然と聞き返す。
相変わらずの鮮やかなオレンジ色の髪。
こうやって並んで立つと、僅かに相手の方が背が高かった事を知った。
「…お前、確か屋上でケンカ売ってきた奴…だよな?」
平穏に忘れ去られたはずの記憶がよみがえる。
さすがにこうやって目の前に現れれば、人違いなどしない程には強烈な印象を持つ人物。
まさか俺の記憶違いじゃないだろう…と取り敢えず確認してみると、尚更相手の眉間に皺が寄ってしまった。
物凄く凶悪な顔になっている。
「…殺す…」
「…え?…は?!ちょっと待…っ…!」
ボソっと低く呟かれた言葉に呆気に取られていると、いつの間にか伸びてきていた手に襟首を掴まれた。
そして、遠慮と躊躇いはどこへ行ったと問いただしたいくらい容赦のない力で引きずられる。はっきり言ってかなり苦しい。
後方から鈴木の「いってらっしゃーい」とお見送りしてくれる声が聞こえたけど、助けろよ。明らかに拉致られてるだろこれ。
心の中で鈴木に対する呪いの言葉を吐きながらも、馬鹿力のオレンジ頭にズルズルと引きずられていく。
廊下にいる奴等は、まるで面白い捕物でも見るように興味深く眺めているだけ。
…終わったな…。
助けはないと諦めがつき、そのままオレンジ頭に引き摺られていった。
「…またここか…」
「約束はキッチリ果たしてもらわないと許せない」
連れて行かれたのは、なんの捻りもなくこの前と同じ屋上だった。
『約束』が、いったいなんの事なのかわからないけれど、ひとつわかった事がある。
やっぱりコイツは、どこか頭がおかしいのだと。
頭がおかしいと思えばこそ、この妙な行動を無理矢理にでも納得する事ができる。
このオレンジ頭は可哀相な奴として、改めて認識を塗り替えよう。そうしよう。
そんな俺の考えは、全て表情に出ていたらしい。
目の前にある割と整った顔が、ムスっとした不満顔に変わった、
「なんかその眼つきムカつくんだけど」
「それはどうも」
「アンタいま物凄く俺の事馬鹿にしただろ。約束も守らないアホのくせに生意気な」
…アホって…。生意気って…。
なぜ見ず知らずの奴にここまで貶されなければならないんだ。この前はいきなり蹴られるし、今日は今日でこれか。
おまけに…。
「さっきから言ってる『約束』って何」
どうやら今日のキーワードになっているらしいそれ。俺には覚えのないそれを、ハッキリ言ってもらわなければ話が進まない。
だからこそ聞いたのに、目の前に立つ相手から更なる怒りのオーラが立ち上った。
「………本気で殺す…」
「……っ…!」
突如として握り拳を固めたオレンジ頭が、間を置かずに殴りかかってきた。
「またこのパターンかよ…っ…!」
意外と重みのある攻撃をなんとか片腕で受け流しながら、先日のやりとりを思い出してうんざりする。