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Side:相羽圭介
音楽室から出ていく水人の後ろ姿を見送り、その姿が消えた瞬間深い溜息と共に床にしゃがみ込んだ。
「…なんであの人が怒ってんのか意味わからないし…。好きだからスキンシップはかって何が悪いんだよ。…入学式の時に一目惚れさせた責任取りやがれバーカ…」
床に向かってブツブツ呟く。
二ヶ月前のあの日。
入学式だというのに朝っぱらから父親と怒鳴りあいの喧嘩をして、そのせいで遅刻してしまう事態に陥った。
案の定、学校に着いた時には既に正門は閉じられていて、不審者が入らないようにその日限りだと思われる警備員らしき男が立っている。
昔からウマの合わない父親が警察官という事もあって、それ系の人間とは出来る限り関わりたくない。
『…どうするかな…』
数分だけ警備員らしき男を眺めた後、正門から入るのを諦めて、学校の敷地を囲んでいるフェンス沿いに歩き出した。
裏門から入れればそれでいいや…、という軽い気持ちで歩き出したはずだが…、その裏門が見つからない。
『…えー…』
これはマズイかもしれない。
もうこのままどこかに遊びに行ってしまおうか…、フェンスを背に歩道にしゃがみ込んで、そんな計画を練り始めていた時、
『……おい、その新しい制服…新入生じゃないのか?』
背後から僅かに掠れ気味のハスキーな声が聞こえた。
咄嗟に振り向くと、漆黒の髪に切れ長の目を持った生徒が、フェンスの向こう側から無表情でこっちを見ている。
天の助け?
今の状況から脱却できるだろう喜びと、声を掛けてきた相手の鋭い格好良さにも見惚れ、気分は一気に上昇した。
『救世主!』
思わず口からそんな言葉が放たれた。
…が…、
黒髪の生徒は、突然妙な物でも見るような表情に変わり、何も言わずにスタスタと歩き出してしまうではないか。
どうしたんだろう…と思いながらも、とりあえず相手の後をついて歩いた。
けれど、そのまま少しだけ歩いた先でピタリと相手の足が止まる。
そしてこっちを振り向いて言った言葉が、
『ついて来るな』
だった…。
いくらなんでも冷たくない?
『ヤダ。アンタ救世主じゃないのかよ。早く俺の事助けろ』
『…助けを求めてる立場の奴がなんでそんなに偉そうなんだ…』
『細かい事言ってるとイイ男になれないよ』
『もう十分イイ男だから必要ねぇ』
『…あ~ぁ、自分で言っちゃった…』
売り言葉に買い言葉とはまさにこれ…という見本のようなやりとり。
当たり前だけど、俺の言葉に相手はブチ切れたらしい。
何も言わずにフェンスから離れて向こうへ行ってしまう。
さすがに焦った。
これを逃したら学校に入る術が見つからないどころか、この格好良いお兄さんともこれっきりになってしまう。
『おい、ちょっと待てよ!鬼だなアンタ。俺がこんなに困ってんのに助けないで行っちゃう気かよ!』
『…全然困ってるようには見えないあげく、俺に喧嘩を売ってるようにしか思えない奴を助ける義理は無い』
足を止めてくれたはいいけれど、こっちを振り向かずに言われた言葉に、グッと唇を噛み締めた。
素直になれないのが俺の悪い癖だとわかっている。
助けを求めている時でも、どうしても真面目に頼む事が出来ない。
けれど、今まで会った人間はヘラヘラ笑うか無視するかで、それをハッキリ指摘してくる奴はいなかった。
だからこそ、ガツンときた。
『……悪かった…』
さっきまでの態度を改めて相手に謝った。謝り慣れていないせいで、妙にぎこちないし恥ずかしい。
それでも相手は驚いたように目を見張り、
『……で?…こんな所で何やってんだよ。新入生だろ?』
溜息交じりだけど、さっきよりは幾分和らいだ口調で言ってくれた。
それが凄く嬉しくて、思わずフェンスに飛びつく。
掴んだフェンスがガシャンと大きな音を立てたけれど、構うものか。
『正門が閉まってて入れないんだよっ。このままだと俺入学式から欠席扱いになる!』
正直に言ったのに、何故か相手は呆れたような顔でこっちを見ている。
…変な事、言った…?
自分の言葉を反芻しても、今の発言は何の問題も無かったはず。
そんな事を考えていると、ようやく相手が口を開いた。
『…しょうがない奴だな…、そのままフェンス沿いについて来い。この先に抜け穴があるから、そこからこっちに入れる』
そう言って、ついて来いとばかりに立てた人差し指を動かして歩き出す相手を見て、俺も歩き出した。
暫く歩き、フェンスの曲がり角まで来た所で相手が立ち止まる。
フッと視線を下ろすと、そこには人が一人通り抜けられるくらいのフェンスの破れ目があった。
…なるほどね…。ここから忍び込むわけだ…。
納得して視線を上げると、あろう事か、ここまでつれてきてくれた本人は、もうすでに向こう側へ向かって歩き出してしまっていた。
『あ、ちょっと…おい!』
まだ名前も学年も聞いてない事を思い出して呼び止めようと声をかけたけれど、その歩みが止まる事はなかった。
「あ~ぁ…、難しいな…」
あの時の出会いを思い出すと、いまだに気分が高揚する。
今まで生きてきた中で始めて出会った、俺の心に何かを置き残した硬派で格好良い人。
男だろうがなんだろうが関係ない。格好良いものは格好良いんだ。
何かが琴線に触れた。そして惚れてしまったんだからしょうがない。
この想いは、誰にも邪魔させない。
「…よし…、頑張れ俺」
夕日が傾き始めてオレンジ色に染まる室内の中、拳をグッと握り締めて自分に気合を入れた。
Side:相羽圭介End