【第二話】
■Opening:善悪無用/ Is not so meaningless as discussing justice and wrong.
街が大きくなれば人の気も大きくなるらしい。
「今こそ悪の騎士から街の自由を取り戻す時だ!」
社会運動は、民衆が生きている証であるのかもしれない。
「民が力を合わせて立ち上がる時だ!」
野次馬も含めた多くの人が、賛同の意を表しているのかそれとも盛り上げる為にか、掛け声を合わせる。
「正義は我らにある!」
街の顔とも言える、乗合馬車が行きかう大通りの中央の立ち台で、集まる人々に対して演説をする男。それを見つめてマリィは嘆息した。
「実際どうなんでしょうかね?」
何となく隣を歩く長身の女性、クロエに意見を求める。
「何がでしょうか」
演説などまるで耳に入って居ない様子で、乾いた返事が帰って来た。
「正義ってあるんですか?」
人は何かにつけて正義を語りたがる。
彼らを抑圧する領主だって、きっと最初はその言葉を語っていたはずだ。
「正義だ悪だと語る連中に、碌な奴はいません」
実にくだらなさそうに、クロエは吐き捨てた。マリィの隣を歩く人物は、とても徳の高い人物ではなかったが、時折マリィの望む回答を返す事があった。
「善人は自らを善などと語らない」
なるほどと思った。
自ら善悪をあえて名乗らなければ伝わらないなら、それは詐称と似た様な物だ。
「……何もしない方がいいのですよ」
確かに何も言わず背中で語った方が、それっぽいとマリィも頷いた。
■帝国/ The Empire
大陸でも最大規模を誇る、白夜帝国。
その帝都は広大だ。そして常に騒動が絶えない。
「ひえぇぇぇぇぇっ!?」
悲痛な叫びをあげて、マリィは物陰に身を伏せた。白黒のクロスシンボルが刺繍された白い外套姿で、喫茶店の机の陰で丸まって震える。
「ふむ……本日の紅濃度は30%……午後にかけてなお濃くなる模様、と」
空には紅い色が広がるが、帝都ともなると50%越える濃度でない限り危険は少ないという情報が行き渡っており、皆気にせず日常が行われる。もっとも50%以下なら絶対安全と言う訳でも無く、また家に籠って怯えたからと言って紅病から逃れられる訳でもないのだが。活気はあるに越した事はない。
マリィと同じシンボルが施された漆黒の外套姿でクロエは、矢の飛び交う店内を気にする事無く、優雅に椅子に座り珈琲を片手に雑誌を読む。
「おお、これは面白い。帝都の度重なる政権の難航、泥船から逃げ出すなら今しかない。なかなかに批判しますね」
「な、何でこんな状況で落ち着いて居られるんですか―!?」
「魔術医たる者、如何なる場合においても冷静でいる事が重要なのですよ」
帝都領地内の街の一つにある喫茶店にて、マリィ達は武装犯罪組織の襲撃を受けていた。相手はお揃いの黒いスーツ姿で唐突に店に姿を現し、無茶苦茶にクロスボウの矢を撒き散らす。しかし、この状況がこの街に置いて、そう珍しい光景ではないのが恐ろしい。
「シスタークロエ、早く拳銃で応戦とかしてくださいよ!」
「魔術医の最終自己防衛手段をみだりに使う訳にはいきません。それに貴女拳銃弾一発が一体いくらすると思っているのですか、勿体無い」
「じゃ何で私には毎回容赦なく撃ってくるんですか!」
話す間にも、マリィの鼻を掠めて矢が壁に突き立った。
「シスタークロエ、逃げましょう! 今すぐに!」
「慌てても事態は収まりませんよ。あ、もうちょっとこっち、右側に来なさい」
「え、こっちですか?」
マリィがクロエの指示する場所へ移動した直後、小規模の爆発が起こった。
「きゃぁぁぁぁ!?」
火炎瓶の炎が掠り、マリィは悲鳴を上げる。マリィのおかげで被害を受けなかったクロエは静かに、優雅な手つきで雑誌を捲る。
「シスタークロエ! 今私を盾にしませんでしたか! 見てください手火傷したじゃないですか!?」
「唾でもつけときなさい」
やがて、一通りの矢を撃ち終えた男達は、やって来た時と同じく唐突に馬車に乗り込み通りの奥へと消えて行った。店内はクロスボウによって無数に矢が刺さり破損も激しい。
ゆっくりと他の客や従業員が物陰から姿を現す中、店長らしき男性がカウンターに立ち声を張り上げる。
「お客様大変失礼いたしました、これよりお詫びを込めて飲食類を3割引でご提供させていただきます。また既にご注文を終えたお客様に関しては、お代わりを無料で提供させていただきます」
「丁度いいですね、珈琲お代わり頼みましょうか」
「……逞し過ぎです」
マリィはうんざりとした様子で、矢の刺さる天井を仰いだ。
表に出ると街の所々で、先の武装犯罪者の仕業と思われる被害が目についた。どうやら先の喫茶店以外にも、色々と暴威を振っているようだ。そしてこの惨状は聞く所によると現在この地区を治める騎士に関係するらしい。
「ここの領主はあんな悪党をのさばらせてどういう了見ですか!」
マリィは工場地帯の方へ向かうクロエに声を荒げる。
「それも無理は無いのです。この国では除紅薬禁止令が発令されていますので」
「除紅薬がですか?」
除紅薬とは錬金術師が生み出した、この世界を構成する四つの原素を満たした液だ。元々は薬品調合の際の触媒として使われていたが、現在魔術医が紅病を治癒する際に必要とする為に、急激に需要が高まっている。
「しかしマリィも知っての通り除紅薬を用いる治療は紅病の根本的な解決にはならない。今帝国では特定区画の許可された場所以外での除紅薬の錬成、販売、輸入を規制しています」
工場地帯の奥に広大な広場が設けてあり、魔導船着き場と看板が立つ。
「そして紅病の画期的な治療薬と治療法を、錬金術師を総動員して研究開発しているのです」
街の上空すぐ近くを、魔導船が飛び立ち高度を上げていく最中であった。運び手が無数の荷物を忙しく積み上げる中に、マリィ達は入っていく。
「しかし誰だって紅病に侵されれば、その場しのぎとは言え魔術医の治癒に走ると言うものです」
片隅の小屋でクロエは受付に引換券の様な物を渡して、抱える程のケースを受け取った。
「その所為で、秘密裏に除紅薬を密輸、密造し金を稼ぐ武装犯罪組織が帝国内で問題となっているのです」
「憲兵とかが捕縛したりしないのですか?」
「言い方を変えましょうか。武装犯罪組織改め、領主の私兵が問題となっているのです」
「あの襲ってきた黒服達が!?」
「そもそも、密造密輸を積極的に行っているのが現領主ですからね、これがどういう事か分かりますか?」
「うわー終わっていますねー」
クロエは確認する様に、受け取ったケースを開いた。中には紅い、蒸留酒の様な色合いの溶液に満たされた薬品瓶が、緩衝剤と共に綺麗に収められている。
「今なら上空と言う絶対安全航路で輸入出来る魔導船と、魔術医と言う合法的に除紅薬を所持出来る肩書きの合わせ技で、一攫千金も夢じゃないのですよ!」
「貴女も同じ穴のムジナですか!?」
「フフフ、相場の二倍三倍は当たり前、これが金の卵を産む鶏に成るのです!」
「改めてシスタークロエは外道だと実感しました、魔術医の身分を利用して横流しですか情けない……その内捕まりますよ」
「魔術医が除紅薬を持ち歩いて何がいけないのですか! 魔術医の医療品所持は魔術医同盟が保証している権利です。例え帝王でも咎める権利はありません、それをうっかり誰かに譲渡してしまい、偶然にも寄付を頂いたとしても法には触れません、正義は私にあるのです!」
「素敵ですね、誰かこの犯罪者取り締まらないかなぁ」
呆れるマリィを余所に、クロエは恍惚な笑みを浮かべて除紅薬の収まるケースを閉じた。
除紅薬の詰まったケースを手に、マリィ達が次に向かったのは領主の館だった。
地区の一画に貯水湖があり、その中央に浮かぶように建つ屋敷。そこに近づくにつれて黒い服の影が増え始める。
「今現在、この地区は二人の騎士が覇権争いをしているのです」
「領主は一人なんじゃないんですか?」
「街の現状を憂いた市民が帝都中枢都市に嘆願書を出し、後任の騎士が派遣されたようです、しかし現領主は座を譲る気は無いらしいですが」
「なるほど、まさに正義の騎士と悪の騎士という構図な訳ですね」
「まぁ、これから会うのは悪の方ですが、だからと言って失礼の無い様に」
馬車も通れそうな大橋を渡り、マリィ達は屋敷に近づいた。入り口に立つ黒服にクロエが言伝し、領主の館への扉が開かれる。
その扉の奥から姿を見せる人物に、二人の顔が嫌そうに歪む。
「そんな露骨に嫌がらなくてもいいじゃないですかぁ」
黒いスーツと帽子姿の細目の男は、マリィ達に挨拶するように手を上げる。
「これはニール先生、こんな所に教団が何用ですか」
「ええぇ、この街にも救民館を建てて頂けるようにお願いしに来たのですけど、門前払いを受けてしまいましたぁ。もう一人の騎士の方は紅教に興味を持って頂けるといいんですけどねぇ」
クロエの挨拶にそう返し、細目の男は軽く会釈して二人の横を通り過ぎていく。
「もしかしたらぁ、何れ出動をお願いするかもしれませんねぇ……」
「…………」
クロエは頷いて、屋敷へと入って行った。遅れない様に小走りでマリィは後を追う。
通された応接間は、悪趣味に思える程に高級な調度品に埋め尽くされ、宝石や貴金属に煌めいていた。水晶製の机を挟んだ対面に、過激に紅をあしらったマントと衣装で飾り、逆立つ黒に紅の雑じる短髪の、肩書の割には若く見える男が座る。
「ようこそ、俺の街へ」
領主は自信に満ちた口調で言った。傍らには知的な黒い短髪の女騎士が、護衛宜しく控えている。
「貴方の街じゃないですよ、もう後任の騎士が来ていると言う話じゃないですか!」
「マリィ、静かに」
トスっとマリィの頭にクロエの手刀が落ちる。
「ハハハァ、お嬢ちゃんは事情通だな! 面と向かって言われるのは久しぶりだ!」
領主は気分を害した様子も無く笑い声を上げる。
「聞いた話じゃ、ウチの者に襲われたらしいな。部下の代わりに頭を下げさせて貰う」
そう言って領主は潔く頭を下げた。
「別に気にしていませんよ」
クロエはマリィの「私は気にしていますけどっ!」とでも言いたげな目を無視して領主に返す。
「まぁお詫びと言っちゃなんだが、こちらで宿を手配させてくれ。貴族じゃなきゃ泊まれ無い宿だぜ」
領主の言葉に、傍らの女騎士が宿の鍵を机の上に置いた。
「何か魂胆が?」
「いやなに、街にだって賠償金は払っているんだ。慰謝料と受け取って貰って構わないぜ」
領主は豪快に笑い、応接間に飾られた宝飾品などを両手で示す。
「何せ金は余ってるんでな、使える内に使わなきゃだ」
「それが領主の言う言葉ですか!」
マリィは憤慨し、立ち上がって領主を指さした。
「街の人は嘆いています! 悪の領主を打倒し、正義の騎士を新たな領主へと演説する声が聞こえないのですか!」
マリィの啖呵を冷ややかに見送って、クロエは領主御付きの女騎士が給仕した紅茶を受け取り口を付ける。
「俺の街だ、俺の好きなようにして何が悪い? ちゃんと金なら払っているぜ?」
領主は言い合いを楽しむ様に、ふんぞり返ってマリィを見つめた。
「そう言う問題ではないのです!」
「俺は自分が悪い事をしていると一欠けらも思っちゃいないぜ。民衆はいつも勝手なもんだ、俺が除紅薬を工面した最初は悪政に立ち向かう正義の領主様だとか言ってやがったくせに、いざ行き渡ると今度は余所に比べて高いと言うのさ」
クロエは飲み終えた紅茶をカチャっと机に戻し、机に手を置いて身体を浮き上がらせる。
「民衆の鑑とならならずして、何が領主とへばっ!」
白熱した議論を飛ばすマリィの横面を、クロエの逆立ち旋脚が捕え後方へ吹き飛ばす。
「魔術医見習い如きが政治に口を出すんじゃありません」
一瞬の後に腰をソファーに戻しクロエは淡々と告げた。
「本日ここへは商談へ来たのです、無駄な議論は止めて早く本題に入りましょう」
「お、おお……そりゃいいが。お嬢ちゃん大丈夫か? 結構な音がしたが」
少し領主は引き気味で、壁に叩きつけられぐったりとするマリィに気を掛ける。
「あれでも魔術医の端くれ、怪我くらいは自分で治せるはずです」
冷徹にクロエは述べて、机の上に持ってきたケースを置く。
「それよりも、この除紅薬をいくらで買い取っていただけるかの話をしませんか?」
開けたケースには、綺麗に並べられた除紅薬が紅く揺らぐ。
「ほう、こりゃまた随分と上等な品だな」
「質は魔術医同盟が保証いたします」
傍らでマリィは、女性騎士に助け起こされて意識を取り戻した。
「まぁ、除紅薬の商談もいいんだがよ」
領主はクロエの胸に目をやって。
「こっちはいくら払えば買い取れるんだ?」
領主はむんずとクロエの胸に手を置いて、問い掛ける。
「なっ!?」
マリィは非難の声を上げたが。
「ではそっちの商談も込みで話し合うとしましょうかね」
クロエはまんざらでもない様子で話を続ける。
「シスタークロエ! 金持ちだからって魔術医の品位を貶める行動は慎んでください!」
「はいはい、これから大人の話し合いをしますので、ほらお小遣いを上げるからお外で遊んできなさい」
「要りませんそんな悪銭!」
マリィは差し出された紙幣を拒否し、部屋の扉へと向かった。出ていこうとするマリィの背中にクロエの声が掛かる。
「今夜は遅くなるかもしれません」
「もう帰って来なくてもいいですよ!」
マリィは怒りに任せて部屋を出て行った。
街の腐敗した様子をまざまざと見せられたのもあるが、何処かでマリィはクロエが味方してくれると思っていた。だからこそ、クロエに期待していた自身に腹が立った。
肩をいからせながら、領主の屋敷を後にしようとしたマリィであったが、屋敷の前の橋で黒服と市民が問答している場面に遭遇した。
よくよく厄介事に縁があるなと感じつつ、マリィは近づく。黒服に取り押さえられながらも必死で女性は訴えかけていた。
「領主様にお願いします、どうか、娘を。私の娘を助けてください!」
そんな何処かで聞いた覚えのある訴えに、マリィは表情を強張らせた。
■借宿/ Hotel
翌日も、深い紅が空を覆っていた。
目を覚ましてまずマリィは部屋の惨状を確認した。そして軽く絶望して一日が始まる。
「街灯なんて何処から持ってきたんですか……」
部屋の中央に横倒しに鎮座する、ランプ式の街灯には流石に驚きはしたが、今までクロエが酔っぱらって持ち込んだオブジェの中では、比較的大人しい方だとマリィは心を落ち着かせる。
幸いな事にここはこの街一番の高級宿。すなわちマリィは部屋の片づけをする必要が無いと言う事だ。だからマリィは散乱するガラス瓶も、倒れる公園にありがちな銅像も、酒場の看板も無視する事が出来るのだ。
「って、流石に追い出されませんかコレはっ!」
マリィが突っ込むも、ベッドに包まる部屋を塵捨て場も同然に汚した人物からの返事は無い。
「ああー嘆かわしくも追い出されるー、可愛そうな姫君はー♪」
とりあえずベッドの下から三日月型の弦楽器を取り出して、マリィは陽気に悲しい歌を歌い出す。
「毒の果実に手を出してー、王子と遭うまでの眠りに落ちるー♪」
そして反対のベッドがごそりと動くのをマリィは視界の端に捕えた。
直後に飛来する物体。
「ちぇすとー!」
マリィは楽器で飛来してきた枕をジャストミート。打ち飛ばされた枕は窓を破って、紅に染まる街へ放物線を描いて消えた。
「イェーイ。マリアン・ソル―シュ打者、本日も絶好調です!」
そんなマリィの態度に、反対のベッド利用者はゆっくりと体を起こし、裸体をシーツで隠しながら剣呑な表情を浮かべる。
「打ち返しましたね……いい度胸です」
「魔術医養成学校の打点王が、今度は投手返しで眠りの世界に送り返してあげますよ!」
マリィの返事に、不敵に笑ってクロエはシーツ下で投球の構えを取る。
「なるほど貴女も腕に覚えがあると言う訳ですか。良いでしょう……私も魔球を持って貴女を黙らせます」
「ばっちこーい!」
クロエがシーツで胸元を隠しながら、器用に振りかぶる。
「受けて見なさい。魔球、[寝具傍にある机]」
「球じゃない!?」
結構な音を立ててマリィは家具に吹き飛ばされた。
身支度を整えたマリィ達がその日訪れたのは、街外れにある古風な佇まいの屋敷だった。街の中を走る馬車から降りて、クロエはケースを抱えながらマリィに告げる。
「さて今から行くのは民衆曰く、正義の騎士様のお屋敷です」
「あれ、昨日の騎士に除紅薬の売りつけたんじゃないんですか?」
「吹っ掛けたら高過ぎると決裂したのです、なのでもう少し買い取り手を探してみようかと」
「そう言うのって、結局回り回って機会を逃すフラグですよー」
「いいえ、私は何としてもこの機会を活かして見せます! 絶対BIGに成るのです!」
「そんな負けフラグを立てなくても……」
屋敷の扉を叩くと、中から白髪の女騎士が姿を現し屋敷の中へ二人を招き入れた。そして応接間へと通される。
装飾品の類など一つも無く、ただ生活に最低限必要な家具と、観葉植物の飾られた部屋に噂の騎士が佇む。青を基調とした清潔そうな衣装、青色の混ざる銀髪の美麗な男性はマリィ達を見受けると素敵な笑顔を浮かべた。
「よくいらっしゃいましたお嬢様方」
そう言って、簡素な木の机を挟んで対面に座る。静かに女性騎士は秘書宜しく騎士の後ろに控えた。
「私に何かお話があるとか」
柔らかな物腰と柔和な笑み。こりゃ人気が出るのも無理は無いとマリィは納得した。
クロエは騎士に釣られてにこやかな笑みを浮かべながら、マリィに小声で尋ねる。
「どうでしょう、この騎士は除紅薬を高く買ってくれるでしょうか?」
「いやー、この王子スマイルは不正を絶対に許さないタイプの感じですよ」
「ちょっと探ってみましょうか」
クロエは佇まいを正して、騎士に話し始める。
「ところで騎士様は、この街の状況をどうお考えですか?」
「この街の状況ですか……」
騎士は憂い溢れる表情で俯いた。
「情けない話ですが、手の打ちようが無いと言うのが現状ですね」
立ち上がり、窓から街を眺めて続ける。
「領主の座こそ帝王より拝謁しましたが、様々な街の権利は未だもう一人の騎士が握って居ます、しかし私も手を拱いてばかりではありません」
そして芝居掛かった口調と仕草を加えて、声高らかに述べる。
「近い内に私兵を動かし、街を破壊する彼の部下を取り押さえ、非合法な活動に手を出す連中を一網打尽にずるつもりです!」
そして強く机を叩き、情熱の光を目に灯した。
「私は宣言します。間もなくこの街から黒服を消し去って見せると、数日の後に不正に除紅薬を取引する輩を一掃し! 除紅薬密輸密造の温床と言う不名誉を取り払って見せると!」
その熱い様子に、クロエはマリィにのみ聞こえる様に呟いた。
「……駄目、この人私苦手です」
「……私もちょっと引いてます」
「聞けば! お二人は魔術医と言う事ですね!」
「え、えぇ……」「は、はいです」
唐突に呼びかけられて、二人は身を縮ませる。
「昨日黒い衣装をまとった細い目をした男が訪ねてきました。何でもこの街に救民館を建てたいとか。人々に救いの手を! 紅教の崇高な理念に私はいたく感激しました! そこで、お二人には是非ともこの街に救民館が建った際に常駐の魔術医として」
ヒートアップする騎士様に、クロエは慌てて立ち上がる。
「な、何ですかマリィ! 酷い熱じゃないですか!」
「へ、え?」
クロエがマリィの額に手をやって騒ぎ始める。
「コレはいけません! 早く宿に戻って養生しなくては!」
「あ……あー! そうです、シスタークロエ、私なんかお腹が痛いです」
マリィもクロエの意図を読み取って具合の悪そうなフリをする。
「きっと持病の靴擦れが悪化したのでしょう! と、言う事で我々はこの辺で」
二人して席を立ち部屋の扉へと向かう。
「何と……頭とお腹と足が不調では大変でしょう、馬車を出しますので少しお待ちを」
「いえ、お構いなく!」「ただの腱鞘炎ですので!」
振り返る事無く二人は部屋を後にした。
館の出入り口付近で、同時に溜息を吐く。
「若いって感じの騎士でしたね」
クロエが疲れた表情で呟く。
「何か霊験あらたかな壺とか、あっさりと信じて買いそうな人でしたー」
「そうです! 万病に効く妙薬と言って売りつければ!」
「シスタークロエ、せめて踏み外すにしても道は選びましょうよ……」
クロエにも魔術医としてのプライドが欠片程度にはあるのか、マリィの言葉に苦い顔をして見せた。
「あー疲れましたね。また別の売り場を探さなければ」
「まだ諦めないんですか?」
「帝都領地内は魔術医が常駐していて暇なのです。貴女はどうしますか?」
「そうですね、少し街を散歩したいと思います」
マリィは馬車の停留所前でクロエと別れた。
馬車に乗り込むクロエを見送って、マリィは騎士の館へと引き返す。
マリィは目当ての、騎士の館の前で布包みを抱えて立ち呆ける女性を見つけると、優しく声を掛けた。
「……魔術医をお探しですか?」
女性は疲れ切って、今にも倒れそうな顔でマリィに振り返った。痩せこけた腕は、布包みをしっかりと力強く抱きしめる。
「さぁ、私が来たからにはもう大丈夫です」
そして女性に手を伸ばす。
「貴女に救いの手を差し伸べましょう」
彼女は、戸惑いながらも救いの手を取った。
■魔術医同盟/ Recovery magician alliance
マリィの姿は街の魔術医同盟支部にあった。
彼女はその受付で除紅薬の申請をし。
「申し訳ありませんが、上位魔術医の許可無く除紅薬をお渡しする事は出来ません」
街の至る所の支部で、揃って同じセリフで拒否されたマリィは、恨みがましく喚いた。
「あの守銭奴がダース単位で入手出来て、何故私は駄目なんですか!」
「すみませんが、規則ですので」
受付で跳ねのけられ、肩を落として魔術医同盟支部から出てきたマリィであった。が、諦めるつもりは毛頭なかった。
「仕方ありません、次の手です」
魔術医同盟支部の出入り口で、包みを抱えた女性がマリィを待っていた。
「すみません、ここでは除紅薬が手に入りませんでした。でも安心してください! 必ずや! お子さんの紅病を治癒して見せます!」
マリィは力強く告げる。
「何から何まで、お世話に成ります……」
女性は消え入りそうな声で感謝を述べた。
話を聞くとその母親の娘は紅病に侵されているらしい。この街では除紅薬を用いた治療は制約されている為に治癒を受ける事が出来ないのだと言う。
マリィは今度こそ、クロエに迷惑を掛けずに一人で解決しようと心に決めていた。
クロエの指導の下に何度か現場を経験し治癒術は随分と上達したが、同時に除紅薬無しで治癒を行う危険さについても十分に教育を受けた。下手をすれば患者と共に命を落としかねない上に、助けを求める母親の抱く娘はおそらく生まれて間もない。万全を期す必要があった。
相変わらずの紅い空の下、街中を駆けまわって、マリィは路地の裏に非合法の除紅薬販売人を見つけ出した。
強めの風が吹けば、倒れてしまいそうな幌を張った店構え。フードで顔を隠した売人が、贋作の美術品や、偽物っぽい宝石類に混ぜて紅い薬品を並べていた。
「ってか高いです!?」
紅を濃くする街に、マリィの驚きが響いた。除紅薬はちょっとした宝石類並みの値札を付けられ、隣に並ぶ硝子製っぽい指輪よりも綺麗に輝く。
「お嬢ちゃん、そりゃ当り前さ。この街じゃ、売っちゃいけない品だからね……」
そんな品を堂々と並べるのもどうかとマリィは思った。
「まぁ別に取り締まる奴も居ないんだけどね……あんまり派手に店構えると領主様に忠告を受けるのさ」
「なるほど、犯罪者なりの美学ってのがあるんですね」
「ハハ、お嬢ちゃん面白いね。でも値段は下げないからね」
「うぅぅー……」
とてもではないが、マリィの手が出せる値段ではなかった。
「まぁ、さらに裏の方にも売っている店はあるけどね。この値段でも買っていく客はいるんだ、あまり期待は出来ないね」
むしろ裏に近づくにつれ、料金以外の支払いも請求されるからあまりお勧めはしないと店主はマリィに伝える。
随分と街は闇色が濃くなってきていた。
「また明日探しましょう……大丈夫です! きっと何とかなりますよ!」
マリィは女性を元気付けるように力強く言葉を掛けた。
「本当にありがとうございます……」
もう遅いからと、女性は夜に成りつつある街へ消えるように去って行った。
独りになって改めて、マリィは途方に暮れた。
あと一歩、多分もうあと一歩なのに、その一足が遠い。
悔しそうに街を眺め、やがてトボトボと帰路につく。すると唐突にマリィの前を遮る様に、裏路地からぬっと見知った漆黒の上位魔術医が姿を現す。
「何だマリィですか……どうしたのです肩など落として」
「何ですかシスタークロエですか、どうしましたか肩なんか落として」
二人して似た感じに疲れた顔で向き合う。
「はぁ……」「はぁ」
マリィは所持金が足りないと言う空しさに、どうやらクロエの方は良い除紅薬の売り手が見つからなかったようで溜息を吐いた。
「そのまま帰るのも負けた気がしますね……偶然合流したのも何かの縁です。これからカジノにでも出向きませんか?」
「またそう言う負けフラグを……」
クロエの誘いを断ろうとして、ふとマリィの頭をある単語が浮かぶ。
カジノ、ギャンブル、一攫千金、とかそんな感じの魅力的な言葉が。
「そうですね、たまにはそんな日があってもいい気がします」
「貴女が誘いに乗るとは珍しいですね。しかし……誘っておいてなんですがマリィは年齢的に立ち入れないのではないですか?」
「フフフ、シスタークロエ。それこそ野暮ってもんですよ」
「何時ものマリィでは無い!?」
マリィはクロエに向かって、夜の街が似合いそうな不敵な笑みを浮かべてみせた。
■賭博場/Casino
帝都は日が暮れても賑やかさを失わない。
マリィ達に手配された宿の近くに、夜の街並みを華やかな光で照らす巨大な賭博場が聳える。領主の館を差し置いて城のような外見を持つのは、ある意味この街を象徴としているのかもしれない。
色鮮やかに繁盛する店内に、豪華な衣装で着飾る上流階級。カードゲームを扱う机にマリィの声が響いた。
「ダブルアップチャンス挑戦ですよ!」
マリィは獲得賞金をさらに増やす賭けに出る。大人の社交場に似合う様に、マリィの髪は丁寧にセットされ、衣装も胸元に白薔薇のワンポイントのある、精密なレースの施されたミニスカートの純白ドレスを着こむ。
「High&Law?」
「ロー!」
宣言の後に公開されるカード。
「いやったぁぁぁ!」
衣装に合わせた白いハンドバックを振り回しながら、マリィは歓喜の声を上げる。同じテーブルに着くプレイヤーとディーラーから惜しみない拍手を受けて、マリィは眼前にチップを山のように積み上げた。
マリィはお金が全てと言う人間を好かない。お金の為に全てを投げ打つ人の気持ちが分からない。お金なんてここの一晩に動く圧倒的量を考えたら、人生においてそこまで必要とするモノじゃないんじゃないかとさえ思えてしまう。
チップの山を紙幣に換金し、軽やかな足取りでマリィはスロットを睨みつけるクロエに近付く。
「シスタークロエ、神のご加護とやらは金運を与えてくれましたか?」
「くぅっ、連れて来るんじゃありませんでした……」
呟きながらクロエは最後のコインを機械に投入しドラムを回す。
クロエは艶のある黒髪に蝶を模したアクセサリーを着け、胸元の開いた黒い生地にワインの様な濃い紅の華柄を纏うスリットの大きいドレスとファーで飾る。過ぎゆく人が一歩足を止めて魅入る美しい顔は、揃わない絵柄に不機嫌に歪む。
「やっぱり稼ぐならカードですよ、スロットの期待値は1.5倍ですから、長引けばそれだけ損失が増えるんですよ」
「はいはい、そんな事より今高確率中なんでいくらか貸して貰えないでしょうか?」
「良いですよー、必要分は稼ぎましたしー♪」
「必要分って……何か欲しい物でもあるのですか?」
「ええまぁ、お高い買い物を少々……」
マリィはお金に狂う人間を好かない。
お金の為に他人を不幸にする人の気持ちが分からない。
それでも除紅薬を手に入れる為には、やはりお金が必要という事実に少し打ちのめされた気になった。
翌日。
結局クロエは大敗したようだ。不貞腐れ酔い潰れ、屍の様に反応を示さないクロエを無視してマリィは紅色に染まる街へと出かけた。
ようやく大金を手に入れて、除紅薬まであと一歩と言う所で、運命は更なる踏込を要求する。
マリィは除紅薬を売る怪しい露商を探したが、何処にも姿は無かった。それどころか鎧を纏う兵が街を徘徊していて、昨日路地裏にあった殆どの出店は潰され撤去された後だった。
「何なんですか……」
呆然とするマリィの耳に、住民達の話声が届く。
「何でも昨夜一斉検挙があったらしいぞ」
「新たにやってきた騎士様が指示したとか」
「闇市が開かないと困るんだけどな……」
マリィの脳裏に、昨日の騎士の熱弁が思い返される。
この街から不正に除紅薬を取引する輩を一掃して見せると、騎士は熱く語っていた。
「……なにも、こんな迅速にしなくてもいいじゃないですかぁ」
確かに不正は良くない事だ。悪い事は取り締まるべきだとマリィも思う。
しかし正しい事だけでは行く手が遮られてしまう事もあると、マリィは実感した。
肩を落として宿に戻ると、身支度を終えたクロエが告げる。
「何処へ行っていたのですか、さぁ行きますよ」
「行くって何処にですか?」
「領主のお館です。もうそこで買って貰うしかないと言う事実に、ようやく気付きました」
「シスタークロエ昨日かなりスってましたからねー」
「そうです! 貴女いつも何か変な楽器掻き鳴らしてるじゃないですか!?」
唐突にクロエは手を打って、マリィに見開いた目を向ける。
「へ? まぁ掻き鳴らしてますけど……何か?」
「オプションを付けてお得感を出す作戦です」
言っている意味が分からず、マリィは首を傾げた。
■貴族の館/An aristocrat's mansion
人工の湖畔に浮かぶ御屋敷に、弦楽器と鍵盤楽器の二重奏が美しく踊る。
晩餐会等が開かれる広い部屋で、宝石や貴金属の鏤められた調度品に囲まれながらマリィは、肩と背中の大きく開けて胸元をリボンが飾る、裾の長いフリルの付きドレスを纏って、三日月型の弦楽器の綺麗な音色を奏で、領主御付きの女性騎士の鍵盤楽器の伴奏を響かせる
「ハッハァー! いいね、上手だ!」
マリィの演奏に、上機嫌に領主は手を打った。
「この家にゃ時々演奏家を招いたりするんだが、引けを取らなかったぜ。お嬢さん、素直に感動した!」
「ど、どうも……」
こうも素直に褒められると、流石のマリィも返す言葉無く頬を紅潮させる。
「お嬢ちゃん何処かで本格的にやってたか?」
「あ、はい……子供の頃に習い事で……少しだけ」
「いい腕じゃねぇか、今も続けてるのかい?」
マリィは領主の言葉に、少し戸惑って首を横に振った。
「もったいねぇ……その腕なら、路上ででも稼げると思うぜ」
「……昔先生に、私の演奏は愛が足りないと言われた事がありまして」
子供の頃の話だ。まだマリィが世界には愛が溢れていて、世の中は幸せで満たされているんだと錯覚していた頃。
「私には言葉の意味が理解できなくて……演奏会前に会場を飛び出して路地に行ったことがあったんです」
その頃の心境をマリィはあまり覚えていない。教会のシスターのような事をすれば、愛が手に入ると思ったのか。それとも緊張のあまり会場を逃げ出したかったのか。
「そこで貧民街の暮らしを見て、私思わず一曲弾いてしまったんです」
嗅いだ事の無い、酷い臭いにびっくりして。
塵に埋もれる様にして、生きる気力の無い瞳に驚いて。
希望を無くし、朽ち果てるのを待つ人達に何かしてあげたくて。
マリィは気付けば、楽器を弾き始めていたのだ。
自分の好きな、明るい曲を、歌を添えて。
「その後先生や家族に人に凄く怒られました……結局演奏会にも出れなくて、それからは演奏会とかは全然……」
それ以降マリィ演奏の練習に身が入らなくなった。
先生に怒られたからじゃない。
演奏会に出られなかったからじゃない。
きっと、音楽だけじゃ人を救えない事に気付いてしまったからかもしれない。
あの日路地裏の人達を、マリィはどうすれば救ってあげられるのかと悩んだ。悩んだ末に、魔術医になる事にしたのだ。あの時マリィが演奏家では無く魔術医だったら、誰かを救えたんじゃないか、そう考えて。
「へぇ……愛、ねぇ。俺は音楽に関しては其処まで詳しくは無ぇから愛とかはさっぱりだが……お嬢ちゃんの演奏に気持ちが良くなったのは確かだぜ」
領主の言葉に、改めてマリィは「ありがとうございます」と満面の笑顔で返した。
「さて」
雰囲気が盛り上がった所ですっくと立ち上がり、クロエが領主の前へと進み出た。
「演奏を堪能していただいた所で、商談の話と行きましょうか」
クロエは紅い大きく背中と胸元の開いたドレスで、煙草を口に咥え領主へと話しかける。勿論持ってきた除紅薬の入ったケースを売り込もうと言うのだ。
「あっと……すみませんシスタークロエ、私お手洗いに」
タイミングを見計らって、マリィは楽器を片付け部屋の出口を示す。マリィはこの屋敷にただ演奏をしに来ただけではなかった。
「我慢しなさい」
マリィの行動を、鋭くクロエが制限する。
「でも、もう漏れそうです! 我慢出来ません!」
「漏らしなさい」
「本当に漏らしますよ!」
「上等です、やってごらんなさい」
「……トイレくらい行かせてやれよ」
二人の掛け合いに、領主は呆れて呟いた。
何とか許可を貰い、マリィは廊下へと逃げおおせた。
部屋の中ではクロエと領主が「最近なぁ、街に紅狂いって連中が入り込んできてるらしいんだが、知らないか?」「さて、存じませんね」「お前さんと同じ刺青をつけている連中なんだがな」「さて欠片も」などとやり取りしているのを確認し、廊下の奥へと足を向けた。
天井の高い暗い廊下を、マリィは壺や甲冑の陰に隠れながら進む。
「これだけお金持って居るんですから、一個くらいはあるはずですよね」
マリィの目的は、領主が隠し持っているであろう除紅薬であった。
とりあえず貴重品が置いてありそうな部屋を探して、館内を歩く。
やがて階段を上った先の廊下に、黒服が見張りに立つ部屋を見つけた。
重厚そうな紅をあしらった装飾の扉を見て、マリィは領主の寝室と当たりを付けた。
「……貴重品とか部屋の金庫に仕舞ってそうですよね」
マリィは中に入って確認してみようと思い至ったが、その前に見張りをどうにかしないといけない。かなり考えて、迷子と冒険心を備えた子供と最終的に色仕掛けを思いつき、意を決し廊下へと飛び出そうとした。
しかし飛び出した瞬間にマリィは、背後から誰かの腕に捕えられた。
マリィは見知らぬ薄暗い部屋へと連れてこられた。大した距離を連れて来られた訳ではないので、恐らく領主の館の一室ではあるはずだ。
「何だこいつは?」
「アレだろ? 領主様に呼ばれたお客さんって奴」
「いいよなぁ領主様はよ、女に不自由しなくてさ」
抵抗するマリィを、縄で押さえつけ、見下ろすのはこの街でよく見かける黒服の男達だった。
「な……何ですか……?」
か細くマリィは声を発する。恐怖心が沸き起こされて声が震えた。
「さてと、屋敷を何でうろついてたか尋問でもすっか」
「……まだ子供だぜ? 俺的にはもう一人の女の方がよー」
「いいよ、最近新しい騎士様とやらの私兵が街に居て溜まってんだよ」
男達の値踏みするような視線がマリィに突き刺さる。
領主の人当りの良さにマリィは忘れていた。領主は悪の騎士で、領主の部下と言う街に屯する黒服達はただの武装犯罪者でしかない事に。
「わ、私は……ま、迷子になっただけで、へ、部屋に戻らないと……」
震える声と潤む瞳でのマリィの訴えは、男達には届かなかった。
「いーよいーよ、気にしなくて。この屋敷で人一人居なくなったって誰も気にしないから」
「ヤバい……ちょっと来たかも、可愛いな」
黒服の手がマリィのドレスに伸ばされる。
「や……めて、ください!」
必死に身を捩るマリィを男が押さえ付ける。
「大人しくした方がいい、大丈夫気持ちよくしてやるさ」
「い、やです! 放してください!」
「はーい静かにしましょうね!」
乱暴な音を立てて、マリィのドレスは男の手によって引き裂かれた。鎖骨から緩やかな曲線を描いてお腹まで、白い肌が露出する。
「だ、誰か……助け……むぅ!」
マリィの口を男の手が抑える。
スカート部分も荒々しく引き千切られ、マリィは恐怖に駆られ悲鳴を喉の奥であげた。
「いいな、娼館じゃこうも反応良くないよな」
涙を浮かべて嫌がるマリィを、男たちは嬉々として眺める。マリィの手足は押さえつけられ下着を脱がされる。
「…………! …………!」
いよいよ前に立った男がズボンのベルトに手を掛け、マリィは顔を青ざめながら必死に抑えられた口で声を出そうともがく。
恐怖、嫌悪、後悔、不安、絶望にマリィは必死に助かる道を探した。しかしマリィが助かる道などない事を悟ったのか、それとも暴れ疲れたのか、マリィの身体は小刻みに震える事しか出来なくなった。
「ようやく大人しくなったな」
ゆっくりと股を広げられ、近づく男の股間にマリィは目を瞑った。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ誰か助けて! 誰にも届かない言葉だけが頭の中で詰まり真っ白になる。
男がマリィの身体を貫こうと腰を突き出す寸前。閉じられた部屋の扉が勢いよく開き、淀んだ空気を払拭する様に冷たい風が入り込んできた。
「お楽しみの所申し訳ありません」
紅いドレス姿のクロエは、部屋の状況に眉毛一つ動かす事無く大股で踏み込んできた。
「な、何だお前!」
男達は涙で顔を濡らすマリィを抑えながら、クロエに向き直る。
「私? 私は彼女の教育係ですよ」
クロエは眠そうな瞳で男達に告げた。
「その立場から一言、その教育はその子にはまだ早いですよ」
「……この餓鬼の連れか」「邪魔するってんならアンタも相手してやるぜ? 俺はあんたの方が好みだしな」
一人がマリィを抑えたまま、残りの二人がクロエへと近寄る。するとクロエは妖艶な笑みを浮かべて男達に囁く。
「いやなに……そんな子供よりも、私の方が美味しいよと誘いに来たのですよ」
そしてドレスの胸元を自ら破る様に裂いた。
「おおー」「いいねぇ」
クロエの胸が弾むように揺れ、男達の歓声が上がる。
「何だ、姉さん話が分かるじゃねぇか!」
男の一人がクロエの胸に手を伸ばす。クロエは美しい笑みを携えて、しなやかな手つきで男の股間へ指を這わせた。
そしてズボンの中へゆっくりと手を滑り込ませ、喜ぶ男の耳へそっと告げた。恋人へ別れを囁く様に。もしくは死者を憐れむ様に。
「聖典禁書閲覧――死の目第2項、命の吸収」
言葉と共に男の身体がビクンと一度だけ跳ね、だらりと力無く崩れ落ちた。床に倒れた男は干乾びた死体へと変わり、その傍らに立つクロエの身体は、右腕から全身に掛けて入れ墨の様に光る文字が広がっていた。
「早漏過ぎです、駄目ですね」
クロエは死体を見下ろしクスリと薄笑いを浮かべた。
「なっ!?」「この!」
男達は驚き、一人が腰に差したショートソードでクロエに切り掛かった。クロエは避けず、肩から胸にかけて袈裟懸けに剣が深々と撃ち込まれる。普通なら死ぬ重傷に、クロエは自らの滴る血をむしろ喜ぶように呟く。
「――命の目第3項、自動治癒」
クロエの傷口は、剣が刺さったままでも容赦なく塞がる。男は唖然と手を離すと、剣はクロエの身体を抜け落ち床に転がる。怪我は直ぐに塞がって跡形もなくなった。クロエは怪我など負わなかったかのような足取りで、男に近付いて一言。
「――死の目第6項、蜥蜴王の接吻」
続いて男の唇に唇を合わせる。刹那、男の身体に無数の罅が入り、長い年月をかけた風化が高速で行われる様に、頭からサァッと砂と化して消えて行った。
「はぁ……今度は短小過ぎますね」
そして最後に、マリィの拘束を解き部屋の淵に逃げるも、しかし部屋から出るにはクロエの横を通らなければならず、怯える男に向けて声を発する。
「まったく、清楚可憐たる魔術医相手に欲情とは罪深い……さぁ、口か窒か尻か好きなのを選びなさい。どこでも極上のテクで昇天かせてあげますよ」
全身に聖典を浮かべて怪しく微笑むクロエに、男の悲鳴が上がる。
叫び果てたのかそれとも安心感に気が抜けたのか、薄れゆく意識の中でマリィは呟いた。
「シスタークロエ、下品です」
■借宿/ Hotel
マリィがはっきりと意識を取り戻したのは、宿のベッドの上だった。
紅暗く照らされた部屋の中、何時もの白い魔術医の服で、マリィは直前に起きた出来事に身震いした。
記憶が引き戻されて、歯の根が噛み合わないほどに恐怖する。
「マリィ」
なんとなくと言った口調で、クロエはマリィに呼びかけた。
「……シスタークロエ……わ、わた、私」
震え上がるマリィにクロエは真顔で告げた。
「残念なお知らせです」
「え?」
「結局領主に除紅薬を売りつける作戦は失敗に終わりました。しかも交渉は決裂も決裂、さてどうしたモノかと言う所です」
クロエはお手上げ―と言うような格好で、マリィの前に立ち尽くした。
「……それって、私を助けた所為でですか?」
恐る恐る尋ねるマリィを無視して、クロエは続ける。
「そう言えば、カジノで借りた分をまだ返して居ませんでしたね。と言っても私は今文無しです」
そう言って、そっとマリィの前に除紅薬に満たされた硝子瓶を置いた。
「ですので、これを代わりに言うのでは駄目ですかね? これなら借りた分くらいにはなると思いますが」
マリィは目の前に置かれた除紅薬を、信じられないと言った眼で見つめた。
「あ、ありがとうございますシスタークロエ!」
マリィはようやく手に入れた除紅薬を抱えて喜んだ。
ようやくマリィに笑顔が戻った事に安心したのか、それともようやく一つ除紅薬が換算出来た事に安堵したのか、クロエはそっぽを向いた。
マリィは除紅薬を手に、紅色の夕暮れに染まる街を走った。
事前に聞いておいた、治癒を必要とする女性の家へ。
路地裏を抜けて、辿り着いた目当ての家は恐ろしい程に静かで、人の居る気配は無い。留守かと思ってマリィは何となく家の中を覗いて、倒れている女性を見つけた。
「だ、大丈夫ですか!?」
慌ててマリィは家の中へと入っていき、女性に呼び掛ける。
「そ……んな……」
しかし、すでに女性は息絶えていた。
マリィは気づくべきだったと悔やんだ。女性は明らかに窶れ、衰弱していた。多分飲まず食わずで街中を駆けまわって助けを求めたのだろう。
「そんな事って……」
クロエの様な上位の魔術医は、致命傷ですら一瞬で治す事が出来る。しかし死者を生き返らせた魔術医はまだ居ない。
「あと、もう少しですよ。もう少しで助けられたのに!」
カジノで儲けた帰りに除紅薬を買っていれば、もっとお金を持って居れば、最初からクロエを頼って居れば。後悔が押し寄せる。
「ぅ……あ、あぁぁぁぁぁ――!」
声を上げるマリィの背後に、いつの間にか付いてきたクロエが立っていた。クロエはマリィの前に進み出て、女性の死体が抱える布包みを抱き上げる。
「し、シスタークロエぇ……私、間に合わなかった……です」
「マリィ」
マリィはしクロエから布包みを受け取った。布の中を開くと、中には黒毛の丸い塊が入っていた。
「聞いた話では――彼女の子供は随分と前に紅病で死んでいたらしいのです」
マリィの腕の中で、二―と布に包まれた子猫が鳴き声を上げる。
「それ以降、子猫などを拾っては自分の子供として抱え、周囲に助けを求めているらしいのです」
クロエは溜息を吐くように続けた。
「ですから、貴女は間に合う訳が無かったのです」
マリィは子猫を強く抱きしめて呟いた。
「じゃぁ……私の頑張りは無駄だったんですか……?」
積み上げた物が瓦解していく、そんな気分だった。
報われない努力なら、初めからしない方が良かった。マリィの心は、何でこんな結末の為に自分は精一杯だったんだろうという空しさに満ちる。
「確かに無駄に終わりましたね。では貴女は感謝の言葉と報酬の為に頑張っていたのですか?」
「え?」
唐突にクロエは淡々と語り掛ける。
「貴女は正統な報酬が支払われないのであれば、動く必要はないと割り切っているのですか?」
マリィは唖然と厳しくも無く、優しくも無い口調で紡がれるクロエの言葉に聞き入った。
「必ずしも努力が報われる訳では無い、苦労が労われる訳では無い、行動が感謝される訳では無い……しかし、全く何も成さない訳ではありません」
クロエは深く目を瞑って、諭すように説いた。
「貴女は確かにこの女性に救いの手を差し伸べた。それはきっと無駄な行為ではなかったはずです」
クロエの言葉にマリィは頷いた。
「そう、です。私は別に感謝の言葉が聞きたいから、除紅薬を探したわけじゃありませんでした」
マリィは立ち上がってクロエを見つめた。
そう、きっとどれほど手遅れだとしても、マリィの差し伸べた手は彼女にちゃんと届いたはずだ。ちゃんと彼女の救いになれたはずだと、マリィは思えるようになった。
「シスタークロエ、私この猫を育てます!」
「いいんじゃないですか」
「金に成らないって反対しても駄目ですからね! 私決めましたからって、え?」
マリィは意外な言葉を聞いたと言う表情で固まった。改めてクロエが告げる。
「別にいいと言ったのです」
「意外ですね、反対するかと思いました……」
「私だって完成された人間じゃないのです、気まぐれで猫を飼う事を許す時だってあります。それに昔から、黒猫は嫌いに成れないので――」
「よし、じゃこの子猫の名前はクロエにしましょう!」
「……貴女私の名前を知っていますか? 思いっきり被っていますよ」
「いいじゃないですか。私もこの名前は好きじゃないんですけど、嫌いにも成れないんで」
「どういう意味ですか」
旅の荷物は多い方がいいとマリィは考える。世界にはマリィにはどうにも出来ない事が多過ぎるから、手の届く範囲くらいは背負っていこうと思った。
■貴族の館/An aristocrat's mansion
クロエは漆黒の衣装を纏い、領主の部屋の扉を軽くノックした。
「開いているぜ」
短い返事が返され、クロエは音も無く部屋へと這入り込んだ。扉を叩いたので気配を消す意味は無いのだが、その辺は単に気分の問題だった。
領主の寝室は、客間同様に豪華な装飾品が並べられ、自分が持つ力を余す所無く象徴しているようであった。部屋の奥に巨大なベッドが置かれ、その上で領主はクロエを待ち構えていた。
「待ってたぜ」
「今晩はお誘いありがとうございます、と言うべきでしょうか?」
クロエは口元に笑みを浮かべて見せた。
「……お前、俺を殺しに来たんだろ?」
領主の唐突な発言に、クロエは少し返す言葉を遅らせた。
「…………何故そう思うのですか?」
「いや、この部屋に来る奴には全員そう言っているだけだ。何せ俺には敵が多いからな」
領主はおどけて答えて見せる。
「ならようやく当たりを引いたと言う事ですね」
そう告げて、クロエは拳銃を領主へ向けて見せる。
「ハッ、やっぱりお前さんは紅狂いだったって訳か」
「……疑っていたのなら、何故逃げるなり兵で身を固めるなりしないのですか?」
領主の態度に罠を警戒して、クロエは引き金に掛かる指を緩めた。
「ここは俺の街だからな、それにどうせもう俺の私兵はあらかた始末してんだろ?」
そう、クロエがこの部屋に至るまでに配置された黒服達は、新たに赴任してきた騎士の私兵に扮した教団の戦闘員が全員始末した。よって、もうこの領主を守る盾は居ない。
「そうですね……」
クロエは短く告げて、入り口横の衣装箪笥に拳銃を向け、軽く発砲する。少しして、衣装箪笥の中から胸を撃ち抜かれた女騎士が倒れ出てきた。女騎士は領主に何か言おうと目を向けて、間もなく絶命した。
「これで全滅かと」
「ったく……俺は逃げろって命令したんだがな」
領主は天を仰ぐように呟いた。その様子にクロエは尋ねる。
「何故こうも潔くしてられるのですか?」
「いやー別に、好き勝手生きたから悔いはねぇし。抵抗出来るならしてる所だが屋敷囲まれてちゃな。極めつけは晩食の酒だな、多分毒が入ってたんだろ? 御蔭で体が痺れて動かねぇ」
クロエは呆れるように返す。
「致死量の毒入りワインを飲んでこうも喋れるとは私達も予想外です、御蔭で直接殺しに来る羽目になったのですよ」
「悪いな、鍛え方が違うんだよ」
複雑な笑みを浮かべる領主に、クロエはゆっくりと近づいた。領主の至近距離で拳銃を向けて告げる。
「しかし流石に拳銃の一撃では死ぬでしょう?」
「さぁなぁ、試してみない事には……だな。所で最後はその胸に埋もれて死にたいって注文は出来るのか?」
クロエは心底呆れたのかそれとも感心したのか、微笑を浮かべて両腕を広げる。
「サービスですよ」
「話が分かるな、アンタ天使か何かじゃねぇか?」
嬉さと悲しさを浮かべ胸に顔を埋める男に、クロエは感慨無く拳銃を突きつけ、引き金を引いた。
「迎えに来たと言う意味ではそうかもしれませんね」
飛び散った紅の中で、クロエは皮肉気に呟いた。
領主の屋敷の周りを、兵士が駆けまわる。さらには街に潜む黒服達にも襲い掛かった。
知っている者が見れば、気づくかもしれない。その兵士達が帝国の正規装備では無く素性が知れぬように顔を隠している違和感に。そして全員体の何処かに、宝石に絡みついた蛇の入れ墨をしていると言う事に。
領主の転落を一望出来る用にと用意された、領主の館の正面にある建物の一室。其処に民衆曰く正義の騎士と呼ばれた男が、笑みを浮かべていた。
「フフフ、見たまえ。悪が滅び去っていく!」
まるで指揮者の様に腕を振るって、窓から窺える騒動に酔い痴れる。
その背後で、黒いスーツに室内だと言うのに帽子を被ったままの細目の男は拍手を送る。
「いやぁー、流石は正義の騎士様です。お言葉が実に様に成っていらっしゃる。先ほど黒猫から連絡がありましたぁ、今よりこの街の領主は貴方様となったようです」
「そうか、君達には感謝している! 教団の力は凄いな!」
「いえいえぇ、我々紅教は何時でも救いを求める声と、前へと進もうとする者へ手を差し伸べるのでございます」
「そうであったな! 私もこの街に救民館を建てて感謝の気持ちを示さなければ!」
気分の良い正義の騎士に、恭しく細目の男は頭を垂れた。
「それはありがとうございます。しかし違法な除紅薬の取引を規制し、闇市を撤廃したこの街に、そのような余裕があるのですかねぇ?」
「大丈夫だ。私の手腕で見事街を立て直して見せよう! 少し民衆に課税を強いる必要はあるだろうが、何れは誰もが笑顔で暮らせる街を、私は作って見せる」
「それはそれはぁ」
「悪の支配する時代は終わった! 正義は我にあり!」
力強く拳を突き上げる騎士に、細目の男は口の端を釣り上げて告げる。
「頑張ってくださいねぇ。紅に狂わぬように……」
騎士の傍らの机に置かれた、紅石の宝石が禍々しく光を放った。
■Ending:善悪無用/ Is not so meaningless as discussing justice and wrong.
街が大きくなれば人の気も大きくなるらしかった。
「今こそ悪の騎士から街の自由を取り戻す時だ!」
社会運動の類を、クロエは煩わしく思っていた。
「民が力を合わせて立ち上がる時だ!」
賛同の意を表しているのか、それとも盛り上げる為にか、掛け声を合わせる野次馬達は、本当の意味を理解してはいないだろう。結局前に座っていた者を退けて、新しい誰かが座るだけ。
「正義は我らにある!」
大通りの中央の立ち台で、演説をする男。彼に変わった所で何が変わると言うのか。
結局正義の騎士は、民衆に重税を課し、無駄な公共事業に手を出し、近隣の上流階級を肥え太らせて終わった。
世の中の大半は汚いやり取りで進むものだ、綺麗にする事で住み難くなる事も有る。犯罪組織が金を持つ事で市場に消費が回り、民衆は横流された品物を闇市で安く買い入れ、違法な仕事とはいえ収入を得ている人も居ただろう。
結局、真面目に政治に取り組もうとした騎士の二つ名は、民衆により悪とされてしまったようだ。
「実際どうなんでしょうかね?」
クロエの隣を歩くマリィが複雑そうな顔をして問い掛けてきた。
「何がでしょうか」
聞き返すと、珍しく真剣な顔で。
「正義ってあるんですか?」
何かに感化されたのだろうか、それともそう言った存在を望んでいるのか。
その質問にクロエは笑いが込み上げてきそうになった。この先、この小さな魔術医見習いが正義を名乗らないとも限らないと考えて。
「正義だ悪だと語る連中に、碌な奴はいません」
クロエは先に釘を刺しておく事にした。
結局、自らを何かに例える事は無駄な事だ。人は結局己の生き方を、行動で示すしかない。その結果を、第三者が身勝手に決めるのであろう。
「善人は自らを善などと語らない」
この世は、善行を行いたがる悪人か、悪事を働く善人しか居ない。
「……何もしない方がいいのですよ」
何かを成せば、誰かの都合で正義となり、誰かの都合で悪とされる。そんな世の中だ。
正義は弱き者の味方と言う。何か動こうとして、しかし力不足で何も出来ない弱者こそ正義なのかもしれない。
そう考えて、クロエは何も出来なかったマリィの頭をクシャリと撫でた。




