第1話 踏み出せぬ一歩
来生雅也は、今日もまたギルドの前で立ち止まった。
まるで体に見えない鎖が巻きついたかのように、足が前に出ない。
目の前には、煌びやかな制服を纏った七瀬あずみが
笑顔で迎えている。
「……行け、雅也……!」
心の中で自分を叱咤する。しかし、実際の体は
まるで別の生き物のように硬直していた。
深呼吸をしてみても、手のひらには汗が滲むだけである。
「今日こそ声をかける……!」
意を決して一歩を踏み出すも、ギルドの入口に着く前に靴紐がほどけた。
雅也は思わず膝をつき、もたつきながら紐を結び直す。
その間にも七瀬は、軽やかに来館者を案内している。
「くそ……まただ」
自分の不甲斐なさに苛立つ雅也。
陰キャとか口下手とか、そんなレベルではない。
ただのぼっち――それが現実である。
近くで、通りすがりの少年が彼を軽く笑った。
「何やってんだよ、そんなところで」
雅也は顔を赤くして、立ち上がりもせずにそそくさと通り過ぎる。
その日は結局、ギルドに入ることなく帰宅した。
部屋に戻ると、机に散らばったノートやペンに目を落とす。
「どうして俺は、あんな簡単なこともできないんだ……」
壁に貼られたチラシに目が止まる。
――『探索者ギルド、新規登録受付中』
文字通り、目の前の現実は突きつけられていた。
十年前に現れたダンジョン、五年前に設立された探索ギルド。
そして今、そこに自分が足を踏み入れるかどうかが試されている。
雅也は机に突っ伏し、呟いた。
「俺には無理だ……」
しかし、胸の奥底では、どうしても七瀬に近づきたいという
気持ちが燻っていた。
翌日、学校の帰り道。
ふと、住宅街の小道に小規模なダンジョンの影が見えた。
人が近づかず、ひっそりと存在している。
雅也は足を止める。心臓が高鳴る。
「……あれ、何だ?」
ダンジョンは小さくても、独特の匂いや冷気を漂わせている。
一歩近づくと、微かに光る結晶が地面に散らばっていた。
と、その瞬間、近くで小さな声がする。
「助けて……!」
声のする方を見ると、幼い子供が迷子になり、泣きじゃくっていた。
どうやらダンジョンの入り口で立ち往生しているらしい。
雅也は一瞬、躊躇した。
「どうしよう……自分が行っていいのか……」
だが、心の中の小さな勇気が彼を突き動かす。
「……大丈夫、俺が……」
ぎこちない足取りで子供に駆け寄る。
滑りそうになりながらも手を取り、外に連れ出すことに成功した。
その場面を、ギルドの案内嬢・七瀬あずみが遠くから見ていた。
彼女の目には、雅也の不器用だが真剣な姿が映る。
「……なかなか、勇気のある子ね」
心の中で小さくつぶやき、微笑む七瀬。
雅也は息を切らしながらも、子供を見送り、ようやく振り返った。
目に入ったのは、ギルドの玄関ではなく、七瀬の微笑んだ顔だった。
「……あの人に、どうしても声をかけたい」
その思いが、かすかな光となり、雅也の胸に灯る。
しかし、現実は依然として厳しい。
ギルドの入口までは行けても、扉をくぐる勇気はまだなかった。
足が震え、体が拒否する。
だが、今日の小さな勇気――子供を助けたこと――
それだけでも、確かに一歩前に進んだ証である。
雅也は机に戻り、ノートを開く。
「明日こそ……絶対、あの人に声をかける」
拳を握りしめ、心の中で自分に誓う。
外では夕日が街を染め、日常と非日常の境目を照らしていた。
十年前に現れたダンジョンも、五年前に設立されたギルドも
すべては、この一歩を踏み出す勇気が必要なのだと、雅也は理解していた。
小さな部屋の窓から、遠くギルドの明かりを見つめる。
その灯りは、彼にとって希望の光であり、そして試練の始まりでもあった。




