第7話 拍を刻む者 ― 連戦
水の音が荒れていた。
昨日までの穏やかな拍は、まるで嘘のようだ。
壁の苔がざわめき、水脈が脈動している。
まるで迷宮そのものが“息を切らしている”ようだった。
光魚が天井近くで慌ただしく泳ぎ、キトが膜を震わせる。
ぺち、ぺち。
その拍がいつもより速い。警戒の合図。
――きょうの行いを選べ。
① 高級戦闘:危険度高。報酬も高。
② 連戦:二度の戦闘を選ぶ。疲労度上昇。
③ 宝箱探索:希少アイテムを発見できるかもしれない。
水音の向こうから、何かが笑っているように聞こえた。
呼吸の奥が疼く。
静けさのあとには、嵐が来る。
僕は拳を握りしめ、迷わず言った。
「②、連戦。」
囁きが消えた瞬間、壁が震えた。
苔の光が一斉に強くなり、通路の奥で何かが動く。
音が重なり、空気が歪む。
キトが膜を膨らませ、魚が青い光を放つ。
迷宮が“喜んでいる”。
まるで、拍を求めているように。
⸻
通路を進むと、壁の表面が変化していた。
苔が肉のように膨らみ、そこから糸のような管が垂れ下がっている。
その管の中を何かが流れている。
音だ。
“音”そのものが液体になって、迷宮の中を巡っている。
水ではない。
音の波をそのまま形にしたような、ゆらめく光。
その流れの先に、黒い塊が蠢いていた。
最初の敵――音苔虫。
苔から生まれた虫の群れ。
胴は細く、頭は人の指ほど。
けれど数が多すぎる。
通路の天井からも、床からも、音のように湧き出ていた。
ひとつ鳴いた。
ピィ……という高い音。
すぐに別の個体が返す。
ピィ、ピィ、ピィ――。
音が重なり、空気が震える。
足元の苔がその音に反応して跳ねた。
音が増えるほど、迷宮そのものが“彼らの歌”を増幅させている。
「キト、リズムを崩せ!」
ぺち、ぺち、ぺち。
キトが拍を刻む。
魚が光を鳴らし、青白い波が走る。
僕は骨鳴りの剣を構え、音の隙を狙って一閃した。
ギャッ、と音が割れた。
剣が音の膜を切り裂き、虫が弾け飛ぶ。
緑の液体が散り、壁に吸い込まれる。
しかし次の群れがすぐに押し寄せてくる。
息を合わせる。
キトの拍。魚の光。僕の呼吸。
音を、ずらす。
ピィ、ピィ、ピィ――に対して、
トン、トン、トン。
拍が合わない瞬間、敵のリズムが乱れた。
鳴き声が濁り、反響が崩れる。
その瞬間を突いた。
刃が滑り込み、十体が一度に裂けた。
胞子が爆ぜ、霧が広がる。
喉が焼けるほどの音の中、僕は叫んだ。
「終わりだ!」
最後の一体が、低い音を残して崩れた。
通路が静まり返る。
耳の奥がジンジンしている。
床には、黒い塊が残っていた。
【音の胞子】。
拾い上げると、淡い音が鳴る。
小さな報酬。けれど確かな“手応え”。
⸻
息を整えようとした瞬間――
迷宮が低く唸った。
空気が揺れ、壁の苔が光を絞る。
通路の奥で、白い霧が滲み出していた。
「……まだ、終わってないのか。」
連戦。
その言葉の意味を、今理解した。
霧が足元を包み、冷たさが染み込む。
光魚の光が弱まる。
視界が白く染まる中、音が一つ。
――コツ。
足音。
白の中から、狼が歩み出た。
灰色の毛皮、透けるような体。
瞳はなく、代わりに空洞が音を吸い込んでいる。
霧牙狼。
牙が鳴った瞬間、光が消えた。
魚が震え、キトが身を縮める。
音が吸われる。呼吸が奪われる。
(やばい……音を喰ってる。)
迷宮が沈黙する。
拍を刻めない。
音を出せば、位置がバレる。
でも音を出さなければ、リズムを保てない。
選べ。
迷宮が、問いかけている。
僕はゆっくりと息を吐いた。
呼吸の音さえ殺し、骨鳴りの剣を握る。
霧の中で狼の気配が動く。
音がないのに、確実にそこにいる。
キトが小さく震え、ぺち……と一拍。
その微かな音に、狼が反応した。
白い霧が裂け、牙が閃く。
その瞬間、僕は動いた。
逆方向に踏み込み、壁を蹴る。
刃を下から上に。
空間の“間”を裂くように斬る。
ギャッ、と音が弾けた。
霧が一瞬だけ晴れ、狼の輪郭が浮かぶ。
斬れていない。
だが、確かに手応えはあった。
次の瞬間、狼が吠えた。
霧の中で音が爆ぜ、苔が震える。
空気が歪み、通路全体が“音の波”になった。
「……これが、お前のリズムか。」
僕は骨鳴りの剣を構え直し、拍を刻む。
トン、トン、トン――。
霧が揺れ、狼が動く。
間をずらす。
トン、ト、トン。
その一瞬、音の壁に“隙間”ができた。
そこを突く。
刃が音を裂き、狼の喉を貫いた。
霧が弾け、白が崩れ落ちる。
狼は声を出さず、ただ音を吸い込みながら消えていった。
⸻
静寂。
息を吐く音がやけに大きい。
魚が光を戻し、キトがぺちぺちと叩く。
床には、淡い膜のような欠片が残っていた。
拾うと、冷たくて柔らかい。
内側から微かに音が鳴っている。
――【共鳴膜】を獲得。
囁きが響く。
連戦:完了。
生存を確認。
報酬候補を提示。
① 武器強化。
② 眷属強化。
③ 部屋拡張。
キトが僕を見上げる。
ぺち。ぺち。
選べ、という仕草。
魚が光を揺らし、部屋の奥を照らした。
僕は息を整え、笑った。
「……②、眷属強化。」
共鳴膜が光を放ち、キトの体を包む。
膜が膨らみ、光が弾ける。
キトの輪郭が一瞬だけ広がり、薄く透明な“羽”のようなものが背に生えた。
ぺち――。
新しい音。
少し澄んでいて、力強い。
キトがうれしそうに跳ねた。
魚が輪を描き、光の粒が降る。
迷宮が小さく鳴った。
⸻
帰り道。
通路はまだ揺れていた。
迷宮は確かに、拍を楽しんでいた。
その拍に合わせて歩く。
トン、トン、トン。
ぺち、ぺち、ぺち。
命を削る一日だった。
けれど、生き残った。
そして、迷宮もまた“満たされた”ように静まっていた。
天井から一滴の水が落ちる。
それが音を立てた瞬間、胸の奥が静かに鳴った。
「……今日も、生き延びたな。」
笑うと、迷宮がかすかに共鳴した。
音が返ってくる。
僕と、キトと、迷宮の拍。
次の日の選択が、遠くで待っている。
それを知りながら、僕は目を閉じた。
――拍を刻め。
それが、生きるということだ。




