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ダンジョン日記  作者: アイデア
第0章 新生ダンジョンの主「原初の3人」
6/24

第5話 封じられた箱 ― 宝箱探索

迷宮の朝は、いつも音から始まる。

 けれど、今朝の音は違っていた。

 水脈の流れが増したのか、どこかで新しい滝のような響きが重なっている。

 音が重なり、空気が振動する。

 まるで迷宮そのものが、低く喉を鳴らしているようだった。


 壁の苔の光は柔らかく、昨日よりも青に近い。

 空気には鉄のような匂いと、わずかな甘さ。

 この甘さを感じるのは、きっと生きている証拠だ。

 死の匂いには、甘さがない。


 肩の上でキトが身を伸ばす。

 ぺち、ぺち、ぺち。

 いつもの朝の挨拶。

 昨日の戦いの疲れも、すっかり消えている。

 魚はまだ天井近くで漂っていて、光の線を引きながら水脈の上を回っている。

 その尾が反射した光が、壁に淡い虹を作っていた。


 ――きょうの行いを選べ。

 ① 通常戦闘

 ② 宝箱探索

 ③ 休息


 囁きが流れ込んだ瞬間、空気が一層澄んだ。

 選択肢は三つ。いつものこと。

 けれど、今日の②から漂う気配が違う。

 冷たくも暖かく、遠くの誰かに呼ばれているような、不思議な重みがあった。


 キトが僕の頬を叩く。ぺち、ぺち。

 魚が尾を揺らし、青い波を天井に描く。

 ふたりとも、何かを察している。

 危険ではない。でも、未知だ。


「……②、宝箱探索。」


 言葉にした瞬間、空気が震えた。

 迷宮が息を吸い、僕を“試すように”通路を変える。

 壁が静かに滑り、別の道が生まれる。

 淡い光が奥へと続く――そこが、今日の目的地。



 通路は乾いていた。

 水脈の音が遠のく。

 代わりに、鈍い低音のような振動が足の裏から伝わる。

 歩くたびに、迷宮がわずかに応える。


 壁の苔は黄緑から灰色に変わり、光は少なくなった。

 湿気は減り、かわりに古い書物のような匂いが漂う。

 空気の中に“粉”がある――光の粒ではなく、乾いた何か。


 キトが膜を広げる。

 ひれの先に小さな光が灯る。

 魚も、光を絞るようにして僕らの前を照らす。

 それはまるで、深い図書館を歩くような静けさだった。


 十数歩ほど進むと、道が開けた。

 そこは円形の小部屋。

 中央に、箱があった。


 石でできた、四角い箱。

 古代の文様が刻まれ、蓋の隙間から淡い光が漏れている。

 苔は生えていない。

 代わりに、箱の表面が呼吸しているように、微かに動いていた。


 音がする。

 遠くの鐘のような――けれどそれは、箱の中から響いていた。

 心臓の鼓動より遅いリズム。

 カン……カン……カン……


「……鳴ってる。」


 声を出した瞬間、光が揺れた。

 まるで、僕の声を聞いて返事をしたみたいだった。

 囁きが再び頭の中を撫でる。


 ――探索イベント発動。

 【封じられた箱】

 選択せよ。

 ① 見守る。

 ② 触れる。

 ③ 開ける。


 キトが石を叩く。ぺち、ぺち。

 「見ろ」という合図。

 魚がゆっくりと降りてくる。

 光を浴びた箱の表面に、影が浮かんだ。

 それは――人の手の形。


(……誰かが、ここに来た?)


 記憶のない僕にとって、“誰か”という言葉はまだ他人事だ。

 でも、手の形を見ただけで、胸の奥がざわめいた。

 懐かしい感情が、言葉のないまま浮かび上がる。


 そのまま箱を見つめていると、リズムが変わった。

 カン、カン、カン。

 三拍。


 僕の拍と、キトの拍。

 そして――箱の拍。

 同じだ。


 心臓の音が重なった瞬間、手が勝手に伸びた。


「……③、開ける。」


 囁きが静かに消える。

 代わりに、空気が熱を帯びた。

 箱の文様が光り、蓋の隙間がわずかに広がる。

 そこから光が零れ、僕の指先を照らす。

 冷たくない。むしろ、血のように暖かい。


 蓋を押す。

 光が爆ぜた。



 目を閉じた。

 光がまぶたの裏に模様を描く。

 幾何学の渦。

 音が降る。


 カン……カン……カン……

 鐘の音が、世界の奥から響く。


 視界の奥で、何かが動く。

 影。形のない人影。

 笑っているようにも、泣いているようにも見える。

 声はない。ただ、音がある。


(これは……“記憶”か?)


 光が消え、音だけが残った。

 鼓動。拍。鐘。

 それらが一つに重なった瞬間、箱の中に“何か”が現れた。


 それは石のかけらだった。

 透明に近い灰色。

 手のひらに乗せると、微かに音が鳴る。

 トン、トン。

 僕の心音と同じ。


 囁きが流れる。


 ――報酬獲得。

 【共鳴の欠片】

 説明:音を記憶する石。拍を刻む者と共に響く。


 キトが興味深そうに欠片を覗き込む。

 魚がふわりと降り、欠片の上を泳ぐ。

 光が反射して、箱の内側に虹が広がった。


 空気がやわらかく震える。

 迷宮が、喜んでいる。

 まるで「よく選んだ」とでも言うように。



 部屋の隅で、小さな音がした。

 箱の下に、小さな芽が生えている。

 苔の新芽。

 そこから、水が滲み出ていた。


 箱を開けたことで、迷宮がまた一歩“生きた”のだ。

 水が新しい道を作り、空気が少しだけ暖かくなる。

 呼吸が深くなる。


「……贈り物、ってことかな。」


 欠片を胸のポケットにしまう。

 手のひらの温度がまだ残っている。

 音が脈打つたびに、心の奥が静かに響いた。


 キトがぺちと叩く。

 魚がその上を泳ぎ、淡く光る。

 僕は微笑み、小さく拍を刻む。


 トン、トン、トン。

 ぺち、ぺち、ぺち。


 音が重なる。

 迷宮の空気が揺れる。

 それだけで、今日という日が満たされていく。



 帰り道、通路は最初より明るかった。

 苔が新しく芽吹き、壁の奥から細い水流が走っている。

 迷宮が、自分の中に“何か”を取り込んだのだ。

 昨日よりも、息が深い。

 昨日よりも、鼓動が近い。


 キトが肩の上で眠り、魚が僕の前を導く。

 光がゆらめき、音が溶けていく。


 そのとき、ほんの一瞬だけ、

 背中の奥で誰かの声を聞いた気がした。


 ――「……選んで……くれて……ありがとう。」


 振り向いたけれど、誰もいない。

 音も、光も、ただ静寂だけが戻っていた。


 気のせい、だろうか。

 それとも、箱の中の“誰か”だったのか。


 どちらでもいい。

 この世界では、“感じた”ことこそがすべてだ。



 寝床に戻り、壁に背を預ける。

 欠片が胸の奥でかすかに鳴る。

 キトがぺち、魚がトン。

 拍が重なり、眠気が押し寄せてくる。


 迷宮が息をする音が、今日も子守唄になる。


 ――次の行いを選べ。

 ① 通常戦闘。

 ② イベント。

 ③ 休息。


 その声が流れた瞬間、僕はもう目を閉じていた。

 明日、何を選ぶかなんて、今は考えない。

 ただ、この音を覚えていたい。


 カン……カン……カン……


 鐘の音が遠くで響く。

 迷宮の奥で、誰かが笑っている気がした。

 そして今日も――選んで、生きた。


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