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ダンジョン日記  作者: アイデア
第0章 新生ダンジョンの主「原初の3人」
5/24

第4話 骨苔獣 ― 高級戦闘

静寂のなかに、水の音が混じる。

 ぽたり。ぽたり。ぽたり。

 昨日より音が多い。水脈が、夜のあいだに少しずつ広がったのだ。


 迷宮の朝は、音で知る。

 光ではなく、音。

 湿気の重さで夜と昼が切り替わり、壁の苔が呼吸を変える。

 苔の緑が深まり、空気がぬるくなったときが、ここの「朝」だった。


 肩の上で、キトが小さく身を動かす。

 ぺち、ぺち、ぺち。

 あいさつの拍。彼はもう完全にそのリズムを覚え、僕の胸の拍と合わせてきた。

 昨日の魚は、まだ静かに天井近くを漂っている。光の尾を引きながら、ゆっくりと回っている。その姿はまるで、夜明けを泳ぐ星だった。


 けれど、空気の底に違和感がある。

 湿りが濃い。鉄のような匂いが混じっていた。

 水脈の流れが増したせいかもしれない。あるいは、何か別のものが――


 皮膚の裏を撫でるような声が響く。


 ――きょうの行いを選べ。

 ① 通常戦闘:迷宮が呼ぶ最も近い敵と遭遇する。

 ② 高級戦闘:危険度高。報酬も高。

 ③ 休息:迷宮の静寂を受け入れ、心身を調える。


 いつもと同じ三つの選択肢。

 けれど、空気が違う。

 同じ言葉なのに、今日の「②」が妙に重く響く。

 まるで迷宮が、試すように“言葉の重さ”を変えたみたいだ。


 キトが僕の頬を軽く叩いた。ぺち、ぺち。

 「やめとけ」という合図にも、「行こう」という合図にも聞こえる。

 けれど、僕の中で答えは決まっていた。

 昨日、穏やかな光をもらった。なら今日は――


「……②、高級戦闘。」


 囁きが消える。空気の流れが止まる。

 迷宮の呼吸が一瞬、止まった。

 次の瞬間、冷気が足元から這い上がる。

 音が吸い込まれ、光が少しずつ色を失う。


 キトが身を震わせ、ひれを広げる。

 魚が天井で反応し、青白い光を発した。

 僕の全身の毛穴が、同時に開く。


 何かが――来る。



 通路の奥で、音がした。

 ギリ。ギリリ。ギチ。ギチチ。


 金属ではない。骨の擦れる音。

 風が動くたび、ぬるい胞子の匂いが漂ってくる。湿った土に血を混ぜたような臭気。


 光がわずかに揺れ、通路の奥から“それ”が姿を現した。


 白骨と苔が癒着したような獣。

 四肢の骨がねじれ、背中から光苔が芽吹いている。

 その骨を包む苔が呼吸するたび、緑の胞子が宙に散る。

空気が霧のように濁り、視界が緑に染まった。


 骨苔獣――スカルモス。

 迷宮の外から流れ込んだ異物が、迷宮に同化した姿。

 死と生命が融合し、腐ることも終わることもできない存在。


「……高級、戦闘……って、こういうことか。」


 言葉が震えた。

 スカルモスが口のような穴を開き、湿った呼気を吐く。

 その息に触れた瞬間、皮膚がざらりと焼けた。胞子が肌を這い、呼吸を奪う。


 キトが先に動いた。

 ぺち、ぺち、ぺち――三拍。

 魚が光を放ち、胞子の霧を弾き飛ばす。

 僕は短剣を握り、息を止めて間を詰めた。


 刃を横に薙ぐ。骨が鳴る。

 ギギギ――と高い悲鳴のような軋みが響き、苔が散る。

 しかし傷は浅い。骨が勝手にずれて傷口を塞いだ。

 苔が瞬く間に繋がり、再生していく。


 強い。

 普通の敵とは違う。息を吐くたびに体が重くなる。

 胞子が肺を満たしていく感覚。


(まずは、呼吸を奪われる前に……!)


 壁を叩いた。カン、カン。

 拍を刻む。

 僕のリズムに反応して、キトがぺちと音を重ねる。

 魚が光の波を放つ。

 光が胞子を押し返し、空気がわずかに澄んだ。


 スカルモスの頭部――いや、顔のあたりの骨がひび割れる。

 音に反応して、苔の動きが乱れている。

 弱点は“音”。


「行くぞ……キト!」


 ぺち、ぺち、ぺち。

 キトの膜が膨らみ、光を帯びる。

 魚が軌跡を描き、青白い線が通路を照らした。

 僕はその線に合わせ、短剣を振るった。


 刃が心核を狙う。

 骨が防ごうとねじれる。

 けれど、音が通る。刃が骨を裂くたび、音が鳴り響き、苔の根が焼ける。


 ギリギリギリギィ――ッ!!


 叫びにも似た骨の悲鳴。

 緑の霧が弾け、視界が一瞬白くなる。

 足元が滑る。

 刃が抜けない。

 苔が刃を絡め取っている。


「キト、今だ!」


 ぺち――ッ。

 高く乾いた一拍。

 魚が光の球体を放つ。

 光が骨の間を通り抜け、心核を照らす。


 そこに――青緑の結晶。

 心臓のように脈打つ苔の核。

 僕は短剣を押し込み、ひねった。


 バン、と乾いた爆裂音。

 胞子が一斉に噴き出し、通路が霞む。

 息を止め、目を閉じ、音だけを頼りに姿勢を保つ。


 キトが僕の頬を叩く。ぺち、ぺち。

 生きてる。

 空気が澄んでいく。

 静寂が戻る。


 スカルモスは、崩れていた。

 骨が砂のように砕け、苔が枯れていく。

 中心には、淡く光る結晶――黒い欠片のようなものが残っていた。



 拾い上げると、指先が震えた。

 冷たいのに、脈打っている。

 それは迷宮の“心音”のようにも感じられた。


 囁きが響く。


 ――高級戦闘:完了。

 生存を確認。

 報酬候補を提示する。

 ① 武器(中級)

 ② 眷属強化キト

 ③ 部屋拡張(小)


 キトが僕を見上げる。

 ひれが少し焦げている。光の魚も、淡く色を失っていた。

 みんな限界だ。

 でも、戦えた。


「……①、武器。」


 欠片が手の中で割れた。

 骨が音を立てて形を変える。

 白い刃が生成される。

 刃の根元には薄い苔が付着しており、呼吸のたびに震えている。

 まるで、心臓を持つ剣のようだった。


 ――【骨鳴りの剣】を獲得。


 刃を振ると、微かに「カン」と音が鳴る。

 金属ではない。骨が鳴っている。

 その音は、僕の胸の拍と同じ速さだった。


 キトが近寄って刃に触れる。

 ぺち。ぺち。

 音が共鳴する。刃の苔が光を放つ。

 魚が静かに尾を揺らす。


「……ありがとう。今日も、生き残れたな。」


 通路の奥で水の音が響く。

 水脈がさらに伸びている。

 迷宮が、少しずつ形を変えていく。


 僕は剣を握りしめた。

 刃の鼓動が、手のひらの中で生きている。

 それが何を意味するかは分からない。

 けれど、確かに――この場所は呼吸していた。

 そして、僕もその一部になっていく。



 夜。

 水の音が子守唄のように響く。

 キトは僕の肩の上で眠り、魚は天井近くで輪を描いている。


 眠る直前、囁きが再び流れ込む。


 ――次の行いを選べ。

 ① 通常戦闘。

 ② イベント。

 ③ 休息。


 もう、驚かない。

 選ぶことが、生きること。

 選ばないことが、死ぬこと。


 骨鳴りの剣が、微かに音を立てた。

 キトが寝言でぺちと叩く。

 僕は胸の中でトン、トンと返す。


「……明日も、選ぶ。」


 迷宮は眠り、僕は呼吸を合わせる。

 水の音が、拍と重なる。

 闇が深くなっていく。

 そして今日も――生き延びた。


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