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ダンジョン日記  作者: アイデア
第0章 新生ダンジョンの主「原初の3人」
22/24

第22話 退路なき迎撃ー防衛

霧は浅く、光はやわらかい――それでも、今日の迷宮はどこか刺々しい。

 壁の石目は細かく、稜線が薄く光っている。手を近づけると、微かな湿りが指の腹に吸い付いた。床は乾いて、靴底が「きゅ」と鳴る。滴りはない。臭いもない。まるで病院の廊下みたいに清潔で、第一回廊らしくなかった。


 〈霧織りのショル〉は肩の骨の出っ張りを優しく包み、体温の輪郭だけを拾う。

 リスフェルは〈ミストブレード〉を胸で抱え、喉で小さく息を転がした。銀灰の髪は霧の反射で青く見え、長いまつ毛は濡れ羽色。白いブラウスに黒いリボン、膝丈のスカート――制服めいたその服装は、この無機質な廊下の中で浮いて見えるのに、なぜか目に優しい。

 キオルは頭上を一度だけ旋回し、〈霜羽の輪〉をかすかに明滅させた。羽根は薄い氷の結晶を重ねたように繊細で、飛ぶたび羽軸の節が微かに鳴る。黒曜石のような瞳孔が、僕とリスフェル、そして回廊の奥を同じ配分で見張っていた。


 空中に、迷宮の文字がにじむ。今日の文字は“鈍い鉛”の色を帯びていた。


 ――きょうの行いを選べ。

 ① 侵入者対応(防衛):第一回廊で迎撃/視界↑・足場↑・霧↓

 ② 通常戦闘:霧濃度↑・崩落率↑・誤射率↑(制御困難)

 ③ 休息:扉は勝手に開く(不意打ち予告)


 【追加命令】本日:決着必須(非致死補助:無効)


 喉が少し乾く。三人しかいない。数では押せない。なら、動ける場で戦うしかない。

 「……①にする」

 「はい。隣にいます」リスフェルは僕の袖をちょんとつまんで離した。

 キオルが翼を半ば開き、輪がひときわ明るく光る。


 ――選択確認。第一回廊の視界明度↑・足場摩擦↑・霧濃度↓。

 ――非致死補助:無効化済み。



 広間へ出る。天井は低い。光は壁の走る目地から吸い出され、影は浅く均一。足裏はよく噛むが、踏み過ぎれば音が立つ――こちらも相手も転びにくいが、それだけ“ごまかし”が効かない場だ。

 空気に粉っぽさはない。代わりに、冷やした鉄みたいな匂いが薄く漂う。石の目地は数日前に磨き直したばかりのように滑らかで、亀裂の一つも見当たらない。迷宮が「整った戦い」を望んでいる。


 靴音が近づく。五つ。

 最初に現れたのは盾――牛革を鋲で留めた重い長盾。表面には打ち傷が幾何学模様のように走り、縁の金具は手入れが行き届いて鈍く光っている。持ち手の男は丸太のような前腕で、肩に古傷が白く浮き出ている。汗は少ない。体が戦いを知っている。

 盾の後ろから斧――刃は片側だけ重い月形、柄は硬い樫。男の髪は短く刈られ、こめかみの血脈が太い。斧を扱う者特有の“握り癖”が右手の指関節に刻まれていた。

 白ローブ――縁に祈りの刺繍が微細に縫い込まれ、胸元の糸だけが少し擦れている。灰緑の瞳は温いのに、中心だけ硬い。袖口から覗く手の甲は白く、指は長い。

術士――杖はさほど長くないが、節ごとに薄い銀の輪が嵌められている。指先はインクの染みのような痕で黒ずみ、掌の皮は固い。香の匂いが衣の下から立つ。

 最後に弓手――弦は細く、矢羽は灰色の鷲羽根。鞘の内側に削り粉がまだ残っていて、最近調整したばかりだとわかる。瞳の色は薄褐、視線が軽やかで、獲物の肩と喉だけを素早く測る目だった。


 白ローブが一歩前へ出る。ローブの裾に描かれた金糸の曲線が、光を受けて水脈のように揺れた。

 「あなたは誰」

 僕は答える。

 「この迷宮に縫いつけられた主だ」

 「縫いつけられた?」

 「手放せない。外れない。……そういうふうに、ここに留められている」


 斧の男が低く笑う。「第一回廊で三体。生まれたてか。落とせるうちに落とす」

 白ローブ――彼女の瞳が微かに揺れた。「待って。話は――」

 弓手が弦に触れる。「“話せる核”は悪い兆しだ」

 そのとき、足元で冷たい線が走る。


 ――迷宮命令:戦闘状態ロック。送還路:無効。

 ――解除条件:侵入者排除 or 主の死。


 リスフェルの指先が、僕の袖を強く掴んだ。彼女の灰青の瞳がこちらを見る。怖い、でも離れない。

 キオルが翼を小さく下げ、輪が震えた。

 (……わかってる。僕らには退く選択がない)

 斧の男が肩を鳴らす。「開始だ」

 弦が鳴る。戦端が開いた。



「キオル」

 輪が光り、薄膜が前面に開く。弓手の初弾は膜に触れ、霧の粒になって消えた。

 二射目は輪そのものを狙う速い矢だ。


「リスフェル、右へ半歩。刃は横」

「……うん!」

 リスフェルは刃を“置く”。矢羽の片側、羽根の硬い芯だけを撫でる角度。矢筋が一分だけずれて、石壁へ「からん」と鳴る。

 彼女の膝はまだ震えていた。それでも、足は前に出ている。


 盾が踏み込む。牛革の表面が息を吸うように膨らみ、縁金具が光を弾いた。

 僕は光の強さを少し落とし、足裏の噛みを気持ち強く寄せる。眩しすぎない、転びにくい。

 「縫い目」

 リスフェルの〈ミストブレード〉が霜縁を細く光らせ、盾と腕の革綴じを紙の耳のようにめくる。

 肩の筋肉がひとつ、迷う。その瞬間を、僕は見逃さない。床石の境目を半指ぶん広げる――転ばせない、ただ前足の踏み替えを遅らせる。


 斧の男が死角から刃を差し込む。呼気に鉄の匂い。

 キオルの冷気が手首を刺し、握りの皮紐が硬くなる。

 僕は斧筋の外側へ光の焦点を寄せ、視界の輪郭だけを鈍らせる。

 「そこ」

 リスフェルの刃が握り紐をはらう。斧は落ちない。落とさせない。振り抜きの一秒だけ奪えればいい。


 術士の詠が走る。舌の脈打つリズム、杖の銀輪が鳴る。足止めのしぶきが床に散って、石がぬめる。

 「キオル、床」

 キオルが羽先で霜を引く。薄氷の一枚で“水”は働きを失い、足の噛みが戻る。


 白ローブが低く息を呑む。「第一回廊で……歩ける戦場……」

 斧の男が吠えた。「揺らぐな。前へ!」



 圧は大技からではない。

 **いつも、最後の“一欠片”**から始まる。


 弓――線の終わり一分。

 盾――綴じ目の一針。

 斧――握り直す一秒。

 術――詠の最後の一画。


 テオの矢は正確だ。だが空を走るたび、僕は空気を少し重くし、キオルが冷たさを添え、リスフェルの“横撫で”が最終修正を奪う。

 ――当たる未来が消える。そのときの目は、石よりも静かになる。


 ゴロの盾は壁だ。だが壁の編み目は刃に弱い。

 リスフェルは“斬らない”。ほどく。

 ――前へ出られない、と肩が悟る瞬間。巨躯の足が、吸い込まれるように止まる。


 ラザの斧は突破だ。だが踏み切りと振り抜きの形を、僕らは薄く崩し続ける。

 ――全力の置き場を失った腕は、自分の重さに驚く。


 その均衡を破ったのは、血の赤だった。

 術士セラの声が裏返る。「……致死術、許可を!」

 「だめ――」白ローブの制止より速く、掌に爪が血を刻み、赤い滴が石に落ちる。霧がざわつく。


 ――致死意図、確定。非致死補助:永久無効。送還路:封鎖。


 (やめてくれ。それをやられると、僕らは殺すしかない)

 「リスフェル」

 「……はい」

 彼女の返事は震えていたが、瞳は揺れなかった。灰青の光が、刃の縁に宿る。



 最初に落ちるのは、細いところからだ。

 テオが弦を張り直す――指先の節が白くなる。その瞬間、キオルの冷気が弦を凍らせ、リスフェルの刃が結び目を払う。

 弓の張力は忠実だ。忠実すぎて、暴発は骨より速い。

 肩が抜け、体が傾ぐ。

 僕は床石の境目を半歩だけ開く。踵が空を踏む。

 喉元へ薄い刃。迷いは、一瞬だけ。

 霧を割る手応えは、水より軽く、紙よりも罪深い。


 ゴロは吠え、突進する。

 僕は前足だけ噛ませ、後ろ足を滑らせる。

 体幹の太い男ほど、足の噛みを信じる。信じた瞬間の空振りは致命だ。

 露わになった腹部へ、キオルの氷翼が杭のように打ち込まれる。白い霜が胸板の間に広がり、息の音が薄く、やがて消えた。


 セラの致死術が――完成しかける。

 リスフェルは真正面から入る。

 〈ミストブレード〉は薄い。だから、骨の間を通る。

 詠の最後の音が霧に吸われ、杖が床を転がった。


 ラザは懐にいた。

 僕は視界の周縁に暗い輪を置き、キオルが手首をさらに冷やす。

 「ウタヤ、左」

 リスフェルの声に合わせ、一歩外へ。

 斧が空を裂き、返す前に、彼女の刃が心臓の高さで止まった。

 ラザは膝を折りながら、まっすぐにこちらを見る。

 理解してしまった者の目だった。――最後の“一欠片”を落とされ続けた戦いの意味を。


 残る白ローブ――ミレイユは杖を下ろし、歩みを止める。

 ローブの祈りの刺繍が、光の中で静かに揺れた。

 「……あなたは、なぜここに」

 「ここに結び付けられた主。それが僕だ」

 「あなたには退く選択がないのね」

「うん」

 彼女は目を閉じ、胸の前で指を絡める。祈りの印は小さく、整っていた。

 「せめて、痛くないように」

 「……私、やります」リスフェルが囁く。

 刃は横から一度。短く、確かに。

 祈りは、最後まで崩れなかった。



 静けさが戻る――いや、音の方が先に消え、静けさは後から降ってくる。

 血の匂いは思ったより薄い。霧がいくらか食べてしまうからだろう。広間の石は清潔で、赤は縁へ押しやられていく。

 リスフェルは刃を胸に抱えたまま、膝をついた。肩が細かく震え、〈霧織りのショル〉の縁がかすかに鳴る。

 キオルが輪を一度だけ光らせ、僕の肩に降りる。羽根の温度は冷たいのに、重さは安心だった。


 「……終わった」

 「終わりました。――終わらせました」リスフェルの声は掠れ、けれど芯があった。

 足元に、重い色の文字が降りる。


 【侵入者対応:完了】

 ・送還路:解除(遺骸は広間縁へ移送)

 ・主の安定:+小

 ・眷属強化:リスフェル/〈恐慣〉適応+1(“怖い”の処理が少しだけ上手くなる)

 ・素材:〈割れた矢羽〉×1/〈革の綴じ目〉×1/〈霜の核片〉×1


 「……“恐慣”って、なに」

 「怖いことに、慣れる、って書くんだと思う」

 リスフェルは静かに頷き、ミストブレードの縁を拭った。薄い刃が霧の光を飲み、ほとんど透明になる。

 「怖いまま、覚えます。ここで生きるなら」

 彼女は自分の言葉に驚いたみたいに一度目を瞬いて、でも、もう一度頷いた。


 僕は倒れた者たちに一礼した。「……ごめん」

 祈りの刺繍は、まだ光を返していた。

 キオルが小さく鳴き、輪がふたたび光る。広間の縁が開いて、遺骸は霧に包まれ、視界からそっと消えた。


 ――冒険者には退く選択があった。

 ――僕らには、なかった。

 迷宮が「決着」を命じる限り、ここでは戦いは殺し合いに落ちる。


 リスフェルが僕の袖をつまむ。「……次も、隣にいます」

 「うん」

 彼女の指は冷たく、しっかりしていた。

 〈中立旗〉は今日、一度も掲げられなかった。掲げても、意味はなかっただろう。

 それでも――僕は旗の布地を指で確かめる。いつか、選べる日が来るなら、そこで使いたい。


 監視孔に小さな灯りが増え、霧がゆっくりと流れを変える。

 壁の明滅は鼓動のようで、けれど心臓よりも冷静だった。

 僕たちは三人で立ち、三人で歩く。

 殺して、生きる。

 その事実を、胸の内側で――きちんと拾い上げた。

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