第18話 再生拍
霧が静まった。
あの戦いの余韻だけが、まだ空気の奥に残っている。
血の匂いも叫びも、もうない。
けれど――胸の奥が、まだ鳴っていた。
“あの少女の拍”が。
「……残ってるのか。」
キオルが羽を震わせる。
床の紋様が淡く光り、霧の粒が浮き上がる。
三つの光――青、銀、赤――が円を描くように広がった。
⸻
――再利用可能な拍、確認。
――再構成経路、選択を要求。
① 拍再構成:人型眷属として蘇生。
② 拍変換:武具化。
③ 拍供儀:迷宮へ還元。
⸻
「……選べってことか。」
いつも通りの淡白な文言。
けれど、今回は違った。
青い光の中に、わずかに温度があった。
迷宮の光とは違う、“人の拍”のぬくもり。
《……まだ、ここにいるの。》
気のせいかもしれない。
でも、その声を無視できなかった。
支配者は選ばなければならない。
逆らえば、死ぬ。
だから僕は、選ぶ。
「……せめて、もう一度だけ。」
青の光に手を伸ばした。
⸻
光が膨張し、霧が弾けた。
骨が編まれ、血管が伸び、拍が宿る。
肉の香りと魔力の焦げた匂いが混じる。
白い光が静かに沈み、
その中心に――少女が立っていた。
その姿は、あのときと変わらない。
けれど、空気が違った。
呼吸の音が、まるでこの迷宮そのものに溶けているようだった。
僕は思わず、言葉を失った。
「……やっぱり、そうなるのか……」
声が震えた。
否定でも、安堵でもない。
ただ、逃れられない運命を受け入れた音だった。
少女のまつ毛が震え、
ゆっくりと瞳が開く。
銀の奥に、淡い紅が灯る。
「……あなたの声……知ってる気がします。」
その一言で、胸が詰まった。
覚えていなくても、感じている。
僕の罪を、拍が覚えている。
⸻
「……寒い。」
リスフェルが小さく呟いた。
キオルが羽を広げ、微かな風を生む。
その冷気に、リスフェルが目を細めた。
「……この風、覚えてます。
あのときも、こうして吹いていました。」
キオルが鳴く。
リスフェルの髪が霧に溶ける。
その姿を見つめながら、僕は小さく息を吐いた。
「……歩けるか。」
「はい。あなたと一緒に……なら。」
その言葉に、ほんのわずかな震えが混じった。
感情を取り戻す前の、不安定な音。
それでも、僕には温かく聞こえた。
⸻
僕は一歩、彼女に近づく。
髪に触れる。冷たい。
だが、その下に確かに“熱”があった。
迷宮の壁が揺れた。
拒絶ではない。
支配者としての僕の行動を“観測”している。
それが、怖かった。
感情を持つことすら、許されない場所で。
⸻
「……リスフェル。」
「はい。」
「行こう。次へ。」
彼女が頷いた瞬間、霧が流れ、
新しい通路が開いた。
迷宮が導いている。
僕の意志ではない。
けれど、それでも足を止めなかった。
彼女の足音が僕の拍と重なり、
キオルの羽音がそれを包み込む。
まるで、一つの生命みたいに。
⸻
《……ウタヤ。》
その声が、背後から確かに届いた。
リスフェルの唇は動いていない。
でも、それは“あの子”の声だった。
僕は振り返らずに答える。
「……聞こえてる。」
迷宮が低く鳴る。
支配の音にも、赦しの響きがあった。
逆らえば死ぬ。
でも、進む限り、まだ選べる。
――そう信じたかった。
霧が閉じる。
リスフェルの拍が、静かに重なった。




