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ダンジョン日記  作者: アイデア
第0章 新生ダンジョンの主「原初の3人」
12/24

第11話 選んだ戦場 ― 通常戦闘

迷宮が息をしている。

 その呼吸が、今日は静かに感じられた。

 壁に生える苔の光が柔らかく揺れ、地脈の音も穏やか。

 昨日のような混乱も、侵入者の影もない。

 まるで、“選ぶ”瞬間を待っていたかのようだった。


 ――きょうの行いを選べ。

 ① 通常戦闘。

 ② イベント。

 ③ 休息。


 囁きは淡々としている。

 しかしその言葉を聞くだけで、胸の奥が小さく震えた。

 昨日、僕は「選ばなかった」。

 そして迷宮は勝手に動いた。

 結果として、人間――レイが現れた。


 「……もう、任せない。」


 僕は短く息を吐き、選ぶ。


 「①、通常戦闘。」


 決めた瞬間、足元の石が低く沈んだ。

 まるで“頷く”ような動き。

 迷宮は受け入れ、拍が少しだけ早くなった。

 通路の奥、霧の中に黒い線が生まれる。


 そこが、今日の戦場。


 肩の上でキトが羽を広げる。

 その小さな体が、空気の震えを測るように左右に揺れた。

 光魚は頭上を泳ぎ、通路の先を照らす。

 光が霧を切り裂き、無数の塵が浮かぶ。

 まるで空気そのものが、誰かの息の跡のようだ。


 「行くぞ。」


 言葉を放つと、空気が応じるように重くなる。

 剣を抜く。骨鳴りの剣が空を裂き、金属にも似た鈍い光を返す。

 刃の重みが掌に確かにある。

 この重さは、迷宮の中でだけ実在する“現実”の証だ。



 通路の先は、低い天井と複雑な分岐。

 壁の一部が湿っている。

 足元の石にわずかな振動。

 キトが短く鳴いた。


 ――来る。


 床のひび割れから、何かが這い出す音。

 砂を舐めるようなざらついた音が、すぐ足元の下から。

 次の瞬間、土が盛り上がった。


 地棘獣ちきょくじゅう


 黒い外骨格に覆われた、低い四足の生物。

 体長は一メートルほどだが、背の棘が異様に長い。

 棘の先には岩の破片のような欠片が刺さっている。

 地を喰らい、骨を混ぜて形を保っているのだろう。


 その顎が動くたび、石を噛む音が響く。

 牙は短く、だが異様に厚い。

 “切る”のではなく“砕く”ためのもの。


 ウタヤは息を吸い込んだ。

 喉の奥に土の匂いがまとわりつく。

 腐葉と金属の混ざった臭気。

 迷宮が生み出す“肉の空気”だ。


 地棘獣が唸る。

 その声は低く、体内の石を鳴らしているようだ。

 床が波打ち、獣の影が伸びる。


 距離、五間。

 僕は腰を落とす。

 キトが肩の上で短く跳ねた。


 「来い。」


 地棘獣が動いた。

 地面を割るように爪が食い込み、土が弾ける。

 突進――速い。

 四足というより、地そのものを滑るような動き。


 剣を構える。

 目の前に迫る刃のような棘を避け、左へ体を傾ける。

 棘の先が頬を掠め、火花と熱が走る。

 反射的に踏み込み、逆手で一閃。


 刃が棘を裂き、黒い液が飛ぶ。

 熱い。

 血ではなく、溶けた樹脂のような粘度。

 体にかかると肌が焼ける。


 「っ……!」


 腕を引く。

 焼けた皮膚が引きつる。

 すぐにキトが羽を震わせ、薄膜を張る。

 空気がわずかに冷える。


 獣は止まらない。

 傷を負った側の棘を捨てるように揺らし、

 代わりに腹を地に押し付け、滑るように再び突進してくる。

 壁際まで逃げ場がない。


 右足を軸に、体を回す。

 腰の位置を低く、剣を地面すれすれに構える。

 突進に合わせて、一閃。


 金属が割れる音。

 棘が飛び、壁に突き刺さる。

 そのまま横薙ぎにもう一撃。

 外骨格の継ぎ目に手応え。

 だが硬い。刃の進みが鈍い。


 獣が吠える。

 喉の奥の鳴動が、腹の中まで響く。

 目が赤く光る。

 体をねじり、尻尾を振り上げた。


 「ッ……!」


 避けきれない。

 尾が空を裂き、身体を打つ。

 背中に衝撃。

 視界が一瞬白くなった。

 身体が壁に叩きつけられ、肺の空気が抜ける。


 膝を折る。呼吸が乱れる。

 頭がくらみ、腕が痺れる。

 キトが飛び回り、甲高い鳴き声を上げる。

 ――立て、と言っている。


 「分かってる……。」


 歯を食いしばり、壁を支えに立ち上がる。

 膝が震える。

 骨鳴りの剣を両手で握り直す。

 棘が地に落ち、獣の影が歪む。


 まだ動ける。



 獣がまた地を掘る。

 脚の筋肉が波のように蠢く。

 体を沈め、地を潜ろうとしている。

 逃げるか、回り込むつもりだ。


 「させるか。」


 足元の石を一枚蹴り上げる。

 石が宙に浮いた瞬間、体重を前にかけ、

 石の落ちる角度に合わせて踏み込む。


 刃が地を裂き、砂が舞う。

 地棘獣の顎が飛び出す――狙い通り。

 その瞬間、剣を斜めに押し込み、顎をこじ開ける。


 抵抗が強い。

 顎の筋肉が締めつけてくる。

 剣の柄を両手で押し込み、刃を横に滑らせる。

 黒い液が噴き出した。

 熱い。息が焦げるほど熱い。


 「……おとなしく、しろ!」


 叫びと同時に、獣の体が震えた。

 顎の力が抜ける。

 体をひねり、剣を抜く。

 勢いのまま、胸を貫く。


 柔らかい抵抗の奥に、硬い核を感じた。

 刃がそこを砕き、熱と煙が爆ぜる。

 獣が痙攣し、四肢を地に叩きつける。


 やがて、動かなくなった。



 静寂。

 呼吸の音だけが残る。

 汗が首筋を伝う。

 空気が重いのに、妙に澄んでいる。


 獣の体は灰へと崩れ、残ったのは光る結晶だけだった。

 掌に取ると、温かい。

 まるで脈を打っているかのような、わずかな震え。


 「これが……報酬、か。」


 指先で転がす。

 光が一度だけ脈打ち、消える。

 迷宮がその瞬間を記録したように、

 囁きが流れる。


 ――報酬確認。

 ――同調経験を獲得。

 ――同調レベルが上昇しました。


 光魚が上空をゆっくり回り、キトが肩へ戻る。

 羽が僕の頬を撫でた。

 そのぬくもりが妙に優しい。


 「……やっぱり、選んでよかった。」


 胸の中に、静かな達成感が残る。

 戦いの重さ、痛み、呼吸――全部が今は現実の手触りだった。


 迷宮の奥で、小さな変化が起きる。

 壁の光がいつもより強く、

 苔の影がわずかに広がっている。


 そして、囁きがまた流れる。


 ――次の行いを選べ。

 ① 通常戦闘

 ② イベント

 ③ 休息

 ④ 強化:眷属との同調調整


 新しい項目。

 ウタヤは思わず息をのんだ。


 「……増えたな。」


 迷宮が、また一つ“意思”を見せた。

 この世界は止まらない。

 選ぶことが、生きること。


 ウタヤは剣を背に戻し、通路の奥を見た。

 血の匂いはもう消え、代わりに冷たい風が流れている。

 キトが羽をたたみ、静かに鳴いた。


 今日の戦いが、確かに“前へ”進めた一歩だと教えるように。


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