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ダンジョン日記  作者: アイデア
第0章 新生ダンジョンの主「原初の3人」
10/24

第9話 拍の種 ― 創造

目を開ける前から、世界の中身が濃くなっているのが分かった。

 水の音が深い。昨夜までの拍が、まだ迷宮のどこかで反響している。鼓膜ではなく、骨の内側で鳴っているような低い余韻。胸骨の裏を撫でるそれは、眠りをほどき、同時に手足の末端へ静かな熱を送り返してくる。


 苔の光は夜色から朝色へ移る最中で、緑でも青でもない、灰の縁を濡らしたような淡い明滅だった。天井の割れ目に宿る露が、三度ふるえて一滴落ちる。ぽたり。呼吸の数え方を迷宮が僕に教えてくれている気がする。


 肩の上でキトが身体を丸め直し、羽の透明な縁をわずかにふるわせた。

 ぺち、ぺち、ぺち。

 いつもの朝のあいさつ。音は細いのに、部屋を一度満たしてから静かに沈んでいく。魚は天井近くを輪に沿って漂い、尾で描く光が薄い泡になって膨らみ、はじけるたび、空気に白い息のようなものが混ざった。


 ――きょうの行いを選べ。

 ① 通常戦闘。

 ② 高級戦闘。

 ③ 種を植える(創造)。


 声は囁きとして現れ、苔の光に混ざるように消えた。

 胸の中で、種の重さがトンと鳴った。共鳴種子。昨日の共鳴の庭でもらった、小さな拍の核。

 選ばない理由はない。


「③、種を植える。」


 言葉が空気に浸み、迷宮がゆっくりと息を吸う。壁の苔が膨らみ、床のひびのひとつが薄く緩むのが見えた。呼吸に合わせ、通路の奥から反響が寄せては返す。遠くの波のように規則的で、けれど一段ごとに深くなる。迷宮の心臓が、こちらに向き直る。


 骨鳴りの剣は壁に立て掛けたまま、刃の根元でカンと短く鳴いた。

 「今日は戦いじゃない。行こう。」

 僕が立ち上がると、キトが羽をすこし広げて肩から額へ、額からまた肩へと移動する。**ぺち、ぺち。**慎重、の二拍。魚は前方で尾を持ち上げ、青白いひだを薄い幕のように広げた。光の幕が道筋になり、苔の光がそこへ吸い寄せられる。


 通路は静かに形を変える。

 壁の肌理が滑らかになり、細い水筋が縫うように走る。露は三度震え、一度落ちる。ぽたり、ぽたり、ぽたり。

 歩幅は自然に三歩刻みになり、靴裏は石の硬さではなく、やわらかな反発を掴んだ。迷宮が僕の歩く速さを覚えてしまったみたいに。


 曲がり角をひとつ抜けるたび、匂いが変わった。

 湿った岩、苔の粉みたいな甘さ、そして微かな鉄の香り。

 鉄の香りが強まるとき、どこかで“新しい道”が開いている。そう学んだのは、いつからだろう。たぶんここに来た最初の日から、迷宮は僕に体の言葉で教え続けている。


 やがて、道は三つに分かれた。

 右は水の音が強く、水脈の中心へ続く。

 真ん中は光が薄く落ち、岩壁の奥に冷たい影が沈んでいる。

 左は天井から反射した光が漂い、空気がわずかに軽い。光の層だ。


「どこに植える?」

 自分に問うと同時に、胸に手を当てて三拍を打つ。

 トン、トン、トン。

 キトがすぐに重ね、魚が遅れて光で返す。

 空気の奥で、三つの道が順番に息をした。


 右の道は重い。水が豊富で、命が根付く感触。

 真ん中の道は固い。迷宮の骨格に触れる、長い響き。

 左の道は軽い。天井が薄く、呼吸が広がる――拍が遠くまで届く。


「……左だ。」


 声に出すと、光が鮮やかに息をし、左の通路が半歩だけ近づいた。迷宮が了解したのだ。

 僕らは光の層へ踏み入る。 


 進むごとに、天井が近くなった。近いのに圧迫はない。

 反射した光は、薄い膜を幾重にも重ねたように揺れ、そこへ指を差し入れれば、きっと水の表のようにひんやりとした抵抗がある――そんな確信すら生まれる。実際に触れれば違うのだろうが、感覚は嘘をつかない。ここは“光でできた浅瀬”だ。


 浅瀬の中央で、魚が速度を落として静止した。

 キトが僕のこめかみを軽く叩く。ぺち。

 ここが“植え場”。それ以上の説明は要らなかった。


 床は石。ひび割れに水がたまっている。

 天井は苔の薄い皮膚で覆われ、光が透け、うっすらと脈を打っている。

 僕は膝をついた。掌の上で種がトンと鳴り、骨鳴りの剣が壁の影で短く答えた。カン。

 拍が三度重なり、空気が一瞬だけ無音になった。


 世界が、耳を澄ませる。


「はじめるよ。」

 声は小さくても、迷宮はわかっている。

 僕は種を掌に包み、胸の前で三拍打つ。

 トン、トン、トン。

 種が同じ速さで震え、熱を持ち始めた。熱は火ではなく、血の温度に近い。掌の肉を内側から押し、指先のしわを満たし、爪の根に鈍い痒さを起こす。


 ゆっくり、天井へ手を伸ばす。

 届かない高さじゃない。背伸びすれば、指先が苔の膜に触れられる。

 指の腹が触れた瞬間、苔の膜は皮膚のように受け入れ、ひやりとした薄膜の冷たさが掌を包む。そこへ種を押し当てる。押すというより、“預ける”に近い動作だった。


 膜の内側で、種がひとつ跳ねた。

 透明な根が、掌の皮膚へ入り、同時に苔の膜の下へ伸びた。

 根は光の糸で、指で摘めば切れてしまいそうな頼りなさなのに、ひとつ伸びるごとに、世界の輪郭が濃くなる。

 音が集まる。僕の胸の拍、キトのぺち、魚の光、骨鳴りの剣のカン、滴のぽたり――それらが一本へまとめられ、天井の奥へ引き上げられる。


 空気が反転した。

 音が上へ落ち、光が下から湧く。

 膜の下で、種は眼に見える速さで根を増やし、網になった。網は拍のたびに収縮し、ゆるみ、また収縮する。その拍は僕の三拍に一致し、やがて少しずつ――迷宮の拍へ寄っていく。


 「持っていかれる……」

 言葉が消えた。声帯の震えまで吸われていく。

 掌に置いたはずの手が、知らない他人の手みたいに軽くなる。

 キトが僕の頬を、強く叩いた。ぺち、ぺち。

 魚が天井すれすれを旋回し、光の渦を作る。渦が膜へ重なり、光が根へ吸い込まれる。

 息を吐け。吸うな。二拍待て。三拍で、内側だけ動かす。

 霧虫のとき、狼のとき、戦いのなかで覚えた呼吸で、僕は拍をまもる。


 トン。

 トン、トン。

 トン――。


 世界が揺れて、止まった。

 その静止の真ん中で、誰かの声がかすかに混ざる。


 ……刻め……

 音は言葉の輪郭しか持たず、けれど意味だけが骨へ染みる。

 僕は頷く。誰に向かって頷いたのか分からない。でも、それで充分だった。拍がそろい、根が降りて、そして――芽が出た。


 天井から、音が滴った。

 水ではない。

 “音そのもの”が、液になって垂れ落ちた。

 床に触れた瞬間、それは泉になった。

 輪が広がる。

 輪は、ただの水紋じゃない。楽譜みたいに細い線を重ね、壁の模様とつながる。

 模様は苔の筋へ染み、光の筋へ移り、やがて部屋の輪郭を描き直した。


 僕は膝から崩れ落ちそうになるのを、肩のキトの体温で堪えた。

 キトの羽が震え、膜の縁にひびが入る音がした。

 魚が滑空してキトを包み、淡い光で縁をなめる。縫うみたいに、光がひびを繋ぎ、細い線が残る。

 痛い。けど、生きている。

 キトのぺちがかすれて、なお三拍で鳴った。

 僕も胸で返す。トン、トン、トン。


 泉が満ちる。

 満ちたと思った瞬間、世界が割れた。


 床が沈み、壁が外に広がり、天井が薄皮一枚ぶんだけ離れた。

 音が一拍だけ無くなり、次の拍で戻ってきたとき――ここは“別の部屋”になっていた。


 円い。

 四方へひらくようで、しかし閉じている。

 中心に音の泉。縁に薄い座のような段差。

 壁には指で描いたみたいな曲線が重なり、その曲線が止まるたび、印が打たれている。

 印は読めない。でも、触れればわかる。“刻印”だ。刻んだ音の跡。


 指先で一つなぞると、印がチュンと高く鳴った。

 泉が応じて低い音を返し、壁の反対側でカンが響く。

 音は互いに鏡になり、最後に空気そのものがふうと息を吐いた。


「……調律の間。」


 口にした瞬間、壁の曲線のいくつかがほんの少し太くなった。

 名前を受け取った、そんなふうに見えた。

 迷宮は、やはり生きている。


 囁きが骨の内側から流れ出す。


 ――部屋生成:調律のハーモニック・ルーム

 効果:本空間で刻む拍は、次の行いの結果に微補正を与える。

 追加効果:戦闘前の調律(短)で、眷属の同調率上昇。


「補正……」

 思考が現実へ戻ってくる。

 ここで合わせれば、次の選択の“正答率”がほんの少し上がる。

 この世界の優しさ。いや、練習の余地。

 やっと、“ゲーム”としての呼吸が手元に降りてきた気がする。


 肩で息をしながら、キトを見る。

 羽のひびは浅い裂けとして残り、そこに薄い光が糸みたいに縫い付いている。

 「大丈夫?」

 ぺち、ぺち。(大丈夫。ただし、疲れた。)

 魚が輪を描いて泉をなぞり、泡みたいな光を二つ上げる。回復の合図。

 泉の縁に手を浸すと、冷たいのに、骨の芯まで温い。

 掌が満たされ、指の先が動きを取り戻していく。


 泉の表に、さっきの印が反転して映った。

 僕は掌でそれを押さえ、三拍で小さく叩く。

 トン、トン、トン。

 泉はトンと一度だけ返し、静かになった。

 ここは、聞いている。

 この部屋は、僕たちの練習場で、祈り場で、準備室なのだ。


 迷宮の奥が、一度だけ低く鳴る。

 それは祝福でも脅しでもなく、ただの事実の通達――

 **「記録」**の音だった。


 > 記録。拍の所有者:ウタヤ。

> 同調率:70%。

> 部屋:調律の間 承認。


「聞こえた?」

 僕が問うと、キトが首を傾げ、魚が尾で小さく一の輪を描いた。

 どうやら、その音は僕にだけ聞こえたらしい。

 嬉しいのか、怖いのか。どちらでもいい。

 選ぶのは、いつも僕だ。


 部屋の壁際に、種の殻のようなものが落ちているのに気づいた。

 薄い灰色の破片。掌で持つと音はしないが、耳に近づけると、遠い拍が微かに聴こえる。

 記念に取っておこう。ここへ来たこと、今日の拍の証拠として。


 部屋を出ようとして、足を止めた。

 出口の縁に、細いひだのようなものが生えている。

 指で軽く弾くと、ピンと高い音が跳ね、壁の曲線が一箇所だけ色を濃くした。

 調整ができる。

 つまり、ここは完成ではない。僕の拍に応じて、これからも形を変える。


 肩にキトの重さを感じ、頷く。

 「帰ろう。今日は、これで充分だ。」


 帰り道の通路は、来たときより明るいのに、静かだった。

 苔はひかえめに光り、水の粒は三度震え、一度落ちるリズムを崩さない。

 耳を澄ませば、遠くのどこかで、誰かの練習の音がする――そんな錯覚さえした。

 誰か。僕以外。

 その想像が喉の奥で丸く転がり、やがて溶けてなくなる。


 寝床の部屋に戻り、骨鳴りの剣を手に取る。

 刃はかすかに震え、カンと短い音を二つ鳴らした。

 返事。

 剣も、聞いていた。


「調律の間ができたよ。」

 声に出す。

 誰に伝えるでもなく、届くべき場所へ届くように。

 キトがぺち、ぺち、ぺち。魚が尾で一、二、三。

 部屋が短く震え、壁の苔がいっせいに小さく頷いた。


 胸の内側の砂利みたいな疲労は、まだある。

 でも、体は軽い。

 何かを増やした日の疲れは、削れる日とは違う甘さで残る。

 骨の内側の音を枕に、僕は横になった。


 眠り込みそうになる、その直前。

 皮膚の裏側で、あの囁きが喉の奥を撫でた。


 ――次の行いを選べ。

 ① 通常戦闘。

 ② イベント。

 ③ 休息。


 調律の間で刻んだ三拍が、囁きの高さをわずかに変えている。

 同じ文言なのに、今日の①は狩りの音、②は呼び声、③は羽根布団みたいな厚い静けさに聞こえた。

 迷宮は、僕の拍を覚えた。


「……今日は、選ばない。」

 声は音にならず、胸の中で転がって消える。

 迷宮はそれでも了解してくれる。ぽたり、と一滴、天井が落とし、三拍で揺れて無音にほどけた。


 拍が合う。

 それでいい。

 それが、ここでの「おやすみ」だ。


 目を閉じる。

 暗闇は怖くない。

 今日、僕は暗闇の一部を、自分の音で名づけたのだから。


 世界が、僕の音で鳴った。

 そして、眠りの底でも、なお鳴り続けていた。

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