27.木から落ちた猿、虎の尾を踏む
ーside 国王ー
「―――と、このように、王太子殿下は、私にヴィクターを断罪させようとしました。しかし、私は彼の親友であり、この証拠は偽物であると断言できます。すべては王太子殿下の策謀によるものです」
すでに帰国したはずの皇子が、改めて謁見を求めてきた時点で、小さな不安は芽生えていた。
だが、まさか王太子が。こして、ここまで愚かとは。
……これは、取り返しのつかぬ事態だ。
ヴィクターの功績を横取りし、蹴落とす。そのために偽証を用意し、皇子を、国を、欺こうとしたというのか。王太子とその婚約者という立場を盾に、身分の低い者、気の弱い者に圧をかけ、虚偽の証言をさせる。
責任も、倫理も、王家の名もすべてを踏みにじり、己の欲望だけを優先する。
王太子としての地位を確かなものにするために考え抜いた末の選択が、これか。
あまりにも……。ミレーナ……お前まで、止めなかったというのか。
そして、セレナ嬢を排除し、都合の良い未来を手に入れようとした。手を出していい人物と悪い人物の区別も付かないとは。
……それが、私の息子か。そして、息子が選んだ婚約者の姿か……。
「重く受け止めていただきたい。この件については早々に、アルマンド公爵家およびホフマン伯爵家にも伝えます。また、私を侮辱した件についても、国に正式な遣いを送る所存です」
皇子の声は冷静で、少しの揺らぎもない。
「賢明なご判断をされることを願っております。では、御前を失礼いたします」
その背が大広間から消えた後、私はしばらく動けなかった。
……道を示すべきだったのか。
いや、それ以前の問題だ。
人を陥れるにしても、あまりにも穴だらけな策。状況も、国際関係も、何一つ見えていない。
……やはり、王の器ではない……。
それでも息子を切り捨てることは、亡き王妃に顔向けできぬ。
どうすればよい……。
思考を振り切るように、私は声を張り上げた。
「誰か! 今すぐ王太子とミレーナをここへ呼べ!」
何も知らぬ顔で現れた二人を見た瞬間、怒りが臨界を越えた。
机の上にあった書類――偽証のために用意された“企画書”を、私はそのまま投げつける。
「うわっ! ち、父上、何を――っ……!」
紙束が床に散らばる音が、大広間に不快に響く。
「……これは……なぜ、これが、ここに……?」
「何とも愚かな真似をしてくれたものだ。お前はいったい、何を考えている!!」
怒りを抑えきれない。アレクは動揺を隠しきれず、唇を震わせた。
「嘘だろ……協力してくれるのでは、なかったのか?」
「……協力する、だと?」
私は一歩踏み出し、睨み据える。
「本当に、そう言われたと思っているのか。よく思い出してみろ」
自分の声に、怒りが滲んでいるのが分かった。
「適切に対処すると、措置をとるとも言いました。……え?」
「そうだ。皇子は至極まっとうな判断を下し、対処した。――その結果が、そこにある愚かな成果物だ!!」
言葉の意味すら正しく受け取れぬのか。
「よくも、第2皇子に皇位継承の話を持ち出したな! 先日、第1皇子が正式に皇太子となったばかりだ。それも、第2皇子が辞退し、平和的に決着したというのに……お前は……!」
「そ、そんな情報は、私の耳には……」
「どこの誰を使って情報を集めたのだ! 古く、不確かな情報しか掴めぬとは、嘆かわしい!!」
あの国に戦を仕掛ける気か……!
そんな事態になれば、我が国などひとたまりもない。
アレクは言葉を失い、ミレーナもまた、血の気を失った顔で立ち尽くしている。
重苦しい沈黙が、大広間を支配した。
「お前たちの処遇は後で伝える。それぞれ謹慎していろ」
何か言いたげな二人は結局何も言えず、護衛に支えられながら出て行く。
王太子が去った後の沈黙は、先ほどよりもさらに重く感じられた。私は肘掛けに指を置き、ゆっくりと視線を落とす。
さて……
明日にでも来るであろう二人の顔が思い浮かぶ。
ヴィクターは、きっと怒りを隠そうともしないだろう。
友を陥れ、功績を奪い、名誉を踏みにじった。その事実を前にして、彼が沈黙を選ぶとは思えない。
「なぜ、ここまで放置されたのですか」
そう詰め寄られるかもしれぬ。あの燃えるような目で、真っ向から。
だが、それ以上に、私の胸を重くするのは、セレナ嬢が発するであろう言葉だ。
声を荒げることも、感情を露わにすることもない。
おそらく、こう言うのだ。
「本件における、王家としての正式なご判断を」
――逃げ道を、静かに塞いでくる。
私情ではなく、感情ではなく、“王としての責任”だけを、淡々と差し出してくる。
……そして、こう続ける。
「国の名誉と秩序を守るために、どのような措置をお取りになるのか」
それは、要求ではない。
脅しでもない。
ただ、選択肢を並べ、「どれを選びますか」と問いかけるだけ。
完璧に描かれた絵画のように静かで、見る者に安らぎを与える微笑で。ホフマン家の血を、その冷静さと徹底さを、最も色濃く継いでいるのは、セレナ嬢だ。
怒りは、受け止められる。
激情は、鎮めることができる。
だが、理と礼と正義だけで組み上げられた微笑は、逃げ場を与えない。
遠くから、足音が近づいてくる、そんな気さえした。王冠の重みを改めて感じた。
――次に試されるのは、息子ではない。
王としての、私自身なのかもしれない。
*****
ーいつものお茶の時間ー
「ねえ、セレナ。とうとう、やらかしたわね。あの二人」
エヴァン皇子は私に一通りの顛末を語り終えると、「では」と言ってヴィクター様のもとへ向かった。
「わざわざ危険な橋を渡るなんて……。予想通りすぎて、笑えますわ」
「本当ね。……概ね、セレナの計画通りで正直、鳥肌が立ったわ」
――ええ。計画通りですわ。私は、忘れてなどいませんのよ。
幼い頃。
そう、婚約者候補だった時代。
自分よりも愚かな者に、平然と嘲られた記憶を。
「お前の家の悪評は聞いているぞ。婚約者候補だと? はっ、私の経歴に傷がつく」
「肩書と金の力がなければ、お前など候補にすらならなかった」
「優秀さを鼻にかけるな。候補から外れたのだから、もう私の前に姿を見せるな」
……本当に、何を勘違いしているのかしら?
地位に感謝するのは、ご自分でしょう?
王太子という肩書がなければ、私の視界にすら入らなかった人間。
金、金とうるさくわめいて見下す。
一度でも、自分の力で稼いだことがあって?
貴族と民の金で生き、生まれながらに与えられた地位の上に胡坐をかき、努力もしない王が治める国――そんな国、愛せるはずがありませんわ。
地位も金もなくとも生きていける。それほど自分の人間性に自信がおありなのですね。
それならば、と。
その人間性にふさわしい人生計画を、私が立てて差し上げただけ。
「セレナが、根に持つ人間だって知らなかったことが、人生最大の敗因ね。もう、セレナの決定に従うか、受け入れるか――その二択しか、残されていないのだから」




