26.月の影取る猿
ーside 王太子ー
「計画はこうだ、ミレーナ」
低く声を落とし、私はミレーナに向かって告げた。
ホフマン伯爵家の商会――最近、王都で噂にならぬ日はない。次々と売り出される目新しい商品、商人だけでなく貴族や官僚まで巻き込み、向かうところ敵なしだという。
しかも、その知恵を絞っているのは――
ヴィクター・アルマンド。
そう、ヴィクターが、だ。
国益につながる品の数々。発想力、先見性。
もちろんホフマン伯爵家のあの二人が実質動いてるのは、知っている。その知恵に金の匂いを嗅ぎつけ、形にしたのだろう。ホフマン伯爵家らしいやり方だ。
だが、ヴィクターが私よりも評価されている現状が、どうにも気に入らなかった。
だから――
ヴィクターの手柄を私のものとして偽証し、それを隣国の皇子、エヴァン・ラドクリフに伝える。
彼が信じるように仕向け、協力を取り付け、噂を広げる。
ヴィクターの評判は地に落ちる。そして残るのは、国を導くにふさわしい“私”だけだ。
くく、と喉の奥で笑いを噛み殺す。
エヴァン・ラドクリフ皇子は、切れ者として知られている。だが、それゆえに、こちらが用意周到に準備すれば必ず乗ってくるはずだ。
「上手くいくでしょうか?」
わずかに不安をにじませたミレーナに、私は胸を張った。
「ああ、任せておけ。それよりミレーナ。セレナの評判を落とす策も考えておいてくれ」
「わ、わかりましたわ」
素直に頷くその姿に、満足感が広がる。
すべては、私の掌の上だ。
*****
父上との謁見を終えたエヴァン皇子に、内密の話があると伝え、別室へ案内した。扉が閉まった瞬間から、私は被害者の仮面をかぶる。
従弟に手柄を奪われた無念。
信頼を裏切られた怒り。
王太子でありながら、耐え忍んできた苦悩。
ヴィクターの性悪さを伝え、自分の従弟に手柄を取られた悔しさを演じる。なんとか、ヴィクターの罪を明らかにして罰を与え、奪われた手柄を取り戻したい、公の場で共にヴィクターを断罪してほしいと訴える。
――完璧だ。
「エヴァン・ラドクリフ皇子、君の助けが必要だ」
真剣な眼差しで訴えると、皇子は一拍置いてから、静かに口を開いた。
「……証拠はあるのかい?」
ちっ
一国の王太子が直々に話しているというのに、即座に信じようとしない。
だが、想定内だ。
「ああ、これを見てくれ」
私は、王宮の気弱な文官を脅して作らせた企画書を差し出す。あたかも、私が先に考えていたかのように。
皇子は何も言わず、それを読み進めた。
表情は変わらない。
最後の一枚に目を通すと、無言で背後の側近に渡した。
「私が君を助ける見返りは、用意してあると考えていいのかな?」
強欲な男め。
だが、その欲深さこそ計算通りだ。
「将来的に、君の皇位継承を助けるという約束をしよう」
具体的な方法など、後でどうにでもなる。
第2皇子という立場、皇位に無関心でいられるはずがない。隣国では、第1皇子に並ぶ人気を誇り、皇帝が後継を決めかねているという情報も、すでに掴んである。
皇子はしばし黙考し、やがて口元に笑みを浮かべた。
「面白い提案だな。そうだ、つい先日、レティシアの家で、ヴィクター・アルマンド公爵令息と話をする機会があってね」
何……!? もう会ったのか!
「興味深いアイディアを聞いたところだったんだよ」
胸の奥が、嫌な音を立てて軋む。
「君は、一度に人や貨物を運ぶ乗り物を作ることは可能だと思うかい?」
乗り物?
「頑丈で大きな馬車、のことでしょうか?」
背後の側近が、目を見開き、思わず口元を押さえたのが視界に入る。なんだ?
「ああ、そうだ。その馬車のことだ」
「……ああ、なんてことだ。そのアイディアも盗んだのだな」
怒りを抑えた声を作る。
内心では安堵していた。馬車か。大した話ではない。
「それから、夏を快適に涼しく過ごすにはどうすればいいか、という話もした」
「新しい避暑地の話ですね。今、候補地を検討中なのです。……ああ、それも」
心底残念そうに、頭を振ってみせる。どうせ、これも当たっているのだろう。
「……なるほど。よくわかった。この企画書は、私が責任をもって、適切に対処しよう」
よし……!
計画への賛同が得られた。
私は、ミレーナに視線で合図を送る。
ミレーナは一歩前に出て、震える声で語り始めた。
「……エヴァン・ラドクリフ皇子殿下。聞いてください。私の地位を狙う者が、恐ろしい陰謀を企て、巧妙に私を貶めようとしているのです」
潤んだ瞳、かすかな嗚咽。
「王宮のメイドたちの証言もあります。そう……ヴィクター様の婚約者、セレナです!」
いいぞ。
皇子の視線が、確かに彼女に向いている。
「どうか、悲劇を防ぐため、ご協力ください。心からのお願いです」
「そうか。その話も含めて、措置をとろう」
――勝った。
「そうか!感謝する」
*****
ーside エヴァン皇子ー
「……思っていた以上に愚かな王太子と婚約者でしたね、エヴァン様。頑丈で大きな馬車……くくっ」
必死に笑いを堪えるレオナードを横目に、私は小さく息を吐いた。
「ああ。本当に。あの王太子の婚約者候補だっただなんて……レティシアとセレナ嬢が気の毒だ」
あれほど杜撰な策略。しかも、自分が失敗したことにすら気づいていない。
私たちは再び王への謁見を申し込むため、足を向けた。
「ははは……! あの程度でセレナに立ち向かおうなんて、身の程知らずにもほどがあるだろ。
あー、やばい。あの二人、完全に命を縮めたな」
とうとう堪えきれず、レオナードが腹を抱えて笑い出す。
「口調が乱れているぞ、レオナード」
まぁ、しょうがないか。
「……仮にも王太子だ。無理にすべてを知る必要はないが、世の中のことを何も知らないままでいるのは、さすがにどうなのだろうな」
私は兄である第1皇子と、非常に仲が良いというのに。
*****
ーside 王太子ー
これで終わりだ。
皇子が別室を出た瞬間、緊張がほどけ、私は小さく息を吐いた。
エヴァン・ラドクリフ皇子の表情、言葉、すべて計算通りに引き出した。
やはり、私の読みは正しかった。
王太子であるこの私が動けば、世界は思い通りに回る。そうでなければ、おかしいではないか。
「殿下、うまくいきましたわね」
ミレーナが、ほっとしたように微笑む。
「ああ。これでヴィクターも、セレナも終わりだ」
自信満々に言い切ると、ミレーナは少しだけ首を傾げた。
「ですが……エヴァン皇子殿下、少し不思議ではありません?」
「何がだ?」
「殿下のことを、すぐに信じてくださったことですわ。それに……その、詳しい説明も、あまり求められませんでしたし……」
私は鼻で笑った。
「当然だろう。一国の王太子が出した企画だ。疑う理由がない」
むしろ、あれ以上問い詰める方が失礼というものだ。ミレーヌは何も分かっていない。まあ、まだ王族ではないのだから仕方ない。
「それに、内容は誰が見ても優れたものだ。馬車、避暑――すべて国の未来に必要な発想だ」
自分で言っていて、気分が良くなる。
「そ、そうですわね。殿下は、本当に優れておりますわ」
ミレーナの言葉に、満足げに頷いた。
その日の夕刻。
私は得意げな気分のまま、側近の文官を呼びつけた。もちろん馬車と避暑地の話をするためだ。ヴィクターより先に計画を進めなくてはならない。
「今、言った話を、今後の施策として、すぐに準備に取りかかれ」
「……は?」
文官は、目を瞬かせた。
「ええと……殿下。今のお話、具体的な数値や工程が……」
「細かいことはいい。大枠が決まっていれば、あとは現場が何とかする」
「ですが……馬車の構造、運用方法、費用対効果の試算が……」
「だから、とにかくいち早くやれと言っている」
苛立ちを隠さず言い放つと、文官は一瞬言葉を失った。
「殿下……その……“頑丈で大きな馬車”とございますが、具体的に、どの程度の規模を想定されているのでしょうか」
「大きいのは大きいだろう」
「……」
「なぜ分からない?今までの馬車より、大きく、頑丈にすればいい」
文官の顔色が、みるみる青ざめていく。
「殿下……馬車は、街路の幅、橋の耐久、馬の体力……すべてが関係してまいります」
「そんなもの、作ってから考えればいい」
私は不機嫌そうに腕を組んだ。
「お前は、考えすぎだ。ヴィクターのような小賢しい男の真似をするな」
その瞬間、文官の表情が、はっきりと硬直した。
「……承知いたしました」
文官は、そういって振り返った。
『“大きな馬車”って……子どもの発想か?』
「? 今何か言ったか?」
「い、いいえ何も」
文官はそう言うと今度は無言で扉を開け出て行った。




