25.穏やかなひと時
「大量の人や貨物を効率的に輸送する手段――鉄道というのは、本当に素晴らしいものだな」
カップから立ちのぼる湯気の向こうで、エヴァン・ラドクリフ第二皇太子殿下が感慨深げにそう呟いた。
ヴィクター様とエヴァン殿下、それにレオナード。
三人は柔らかな陽射しの差し込むサロンで、香り高い紅茶を楽しみながら、次々と話題を変えては談笑していた。未来の可能性を語る声は、驚くほど和やかだ。
「現実的に可能な話ですか? エヴァン・ラドクリフ第二皇太子殿下」
ヴィクター様が、期待と不安の入り混じった眼差しで尋ねる。
「私のことはエヴァンと呼んでくれ。私もヴィクターでいいかな?」
そう前置きしてから、殿下は楽しげに肩をすくめた。
「ああ、もちろん可能だ。我が国には優秀な錬金術師が山ほどいる。そうだろう、レオナード? 正直、今すぐにでも国へ帰って構想を練りたいくらいだよ」
屈託のない笑み。
「……まあ、エヴァン様。今日は到着されたばかりではありませんか」
少し拗ねたようにレティシアが口を挟むと、エヴァン殿下ははっとしたようにこちらを見た。
「あっ、ごめん、レティシア。つい気が急いてしまって。もちろん、君との時間を楽しんでから帰るさ」
困ったように、けれど優しい声でそう言われれば、レティシアの不満も霧散するというものだ。
今日は、レティシアに頼まれて開かれたお茶会。
それにしてもこの三人――今日が初対面だとは到底思えないほど意気投合していて、私とレティシアの存在など、視界から消えているかのようね。
「私は、ヴィクターの話す住居の設備に興味があるな。それに……家電、だったか? どれも今すぐ欲しいものばかりだ」
レオナードがカップを置き、苦笑交じりに続ける。
「ああ、一体いくらセレナ嬢に支払うことになるのやら」
「……セレナ……“払う”って、何?」
レティシアの声音が、すっと温度を失った。あら? 説明していなかったかしら?
「エヴァン様とレオナードには、お茶会の前に一筆いただいておりますの」
私はにこやかに告げる。
「ヴィクター様のお話を実際に形にする際には、必ず伯爵家と正式な契約を結んでから執り行う、と」
レティシアが大きなため息をついた。
何が悪いのかしら?
ヴィクター様の話は、立派な知的財産よ。お安くはないのだから。
「セレナ、あなたって人は……。ヴィクター様は、それでよろしいのです?」
「ん? ちろんだよ」
ヴィクター様は、太陽のように明るい笑顔で答えた。
「大変な契約をセレナが引き受けてくれるんだ。感謝しかないよ。それに、私はいずれ伯爵家の人間になる。将来を考えれば、伯爵家と契約を結ぶのが最善だ」
そして、太陽のように明るい笑顔で、こう付け加えた。
「頼りになる婚約者がいて、私は本当に幸運だね」
ほらご覧なさい、レティシア。よろしい、に決まっているじゃない。
「まあ、私の話が本当に形になれば、の話だけどね。ははは」
「ヴィクター、必ず形にするとも」
エヴァン殿下が力強く頷く。
「ああ、今日は新しい未来の可能性を見いだせた、素晴らしい一日だ」
「同感だ。ところで、さっき言っていたエアコンという家電だが――」
話題はまた新たな方向へ転がっていく。
……長くなりそうね。
*****
それでもなお、エヴァン様とヴィクター様の話は尽きない様子だった。
「おい、セレナ」
一足先に輪から抜けたレオナードが、不思議そうに話しかけてきた。
「前に聞いていた婚約者様と、ずいぶん印象が違うな。どうして、あんなふうに変わった?」
「秘密ですわ、レオナード」
私は微笑みだけで返す。
「強いて言うなら……愛の力、かしら」
「愛!? ははは、笑わせるなよ、お前。愛だなんて――はは……は……え、悪い……そんな顔をするなよ」
…………。
「……それより」
私は話題を切り替えた。
「手紙でお願いしたものは、探してくれまして?」
「あ、ああ。ヴィクターが学年五位になった祝いの品だろ? 抜かりはない」
少し間を置いて、首を傾げる。
「だが、学年首位のお前から贈られたら、嫌味じゃないか?」
何を言っているのやら……。
「はぁ……これだから、今日ヴィクター様に会ったばかりの人は」
私はため息をつき、きっぱりと言い切る。
「よくお聞きなさい。ヴィクター様が、私からの贈り物を喜ばないわけがありません」
一歩も引かない。
「それに、首位の私を“自分の誇りだ”とおっしゃる方です。私の成功を、ご自身のことのように喜んでくださる。そんなお方が、嫌味だなんて感じるはずがないでしょう。――失礼ですわ!」
「……お前、本当にセレナか? ……いや……悪かった……だから、そんな目で睨むなよ……」
レオナードは引き気味に呟いた。
私はそっと視線を逸らし、再びサロンの中央へと目を向けた。
エヴァン殿下とヴィクター様は、相変わらず机上に広げられた紙片に身を乗り出し、線を引いたり、数字を書き込んだりしている。紅茶はとっくに冷めているというのに、気にしていない。
「……ねえ、ヴィクター」
エヴァン殿下が、ふと真剣な声になる。
「もし鉄道網が整えば、物資の流通だけじゃない。地方の教育、医療、そして人の意識そのものが変わる」
「ええ」
ヴィクター様は、少し驚いたように目を見開き、それから静かに頷いた。
「人が動ける距離が広がれば、世界が狭くなる。閉ざされた価値観も、きっと変わります」
……あら。
私は小さく瞬きをした。ヴィクター様が、ここまで社会全体の話をするようになるなんて。
その時。
「セレナ」
ヴィクター様が、はっきりと私を呼んだ。
「少し、こちらに来てくれるかい?」
「どうなさいました?」
ヴィクター様の隣の席へと着く。
「この路線案なんだけど」
彼は紙を指で押さえながら言う。
「君なら、どこを最優先に敷くべきだと思う?」
エヴァン殿下も興味深そうにこちらを見る。
「確かに、セレナ嬢の視点は聞いてみたいな」
私は一瞬だけ考え、そして答えた。
「最初に繋ぐべきは、すぐに利益の出る場所ではありません」
二人の視線が、さらに真剣になる。
「あえて“発展が遅れている地域”です」
「ほう?」
「成功例を作るのです。『鉄道が来たことで、町が変わった』という事実を。そうすれば、反対派は声を失い、支持者は自然と増えます」
エヴァン殿下が声を上げて笑った。
「ははは! 実に見事だ。理想論ではなく、現実を動かす策だな」
「さすが、セレナ」
ヴィクター様は、誇らしげにそう言った。レティシアが、少しだけ呆れたように微笑む。
「もうセレナまでその話を始めたら、まだまだ終わらないじゃない」
「将来のためですわ。エヴァン殿下、私、その地の候補に心当たりがありますわ。実は、前々から観光地として適していると思っていた土地ですの」
レオナードが、頭を抱える。
「……お前、人の国の土地まで狙うなよ」
「はは、さすが“ホフマン伯爵家の切り札”だ」
私は微笑み、静かに紅茶を口に運ぶ。




