13.及ばぬ鯉の滝登り
「ヴィクター様、ミレーナの妹のオレリア様とはよくお会いになりますか?」
昼下がりの中庭。秋の終わりを告げる風が、落ち葉をくるりと渦巻かせていく。私たちはベンチに腰掛け、ささやくように会話を続けていた。
「オレリア嬢は1年生だったかな? よく2年の棟にいるよね。ミレーヌ嬢に会いに来ているのかな?」
──いいえ、貴方に会いに来ているのですわ。
心の中で静かにため息をついた瞬間、呼び寄せられたかのように、甲高い声が響いた。
「ヴィクター様! ごきげんよう!」
はい、噂をすればなんとやら。
レースのたっぷりついたドレスを揺らして、オレリアが勢いよく駆け寄ってくる。そして、当然のように──許可もとらずにヴィクター様の隣へひょいと腰掛けた。
私へは一瞥のみ。挨拶すら省くとは。
「……ヴィクター様は、最近セレナ様と仲がよろしいのですね」
まあ、そう見えるのなら喜ばしいこと。事実でございますし。
「私、心配です。セレナ様はその……仲がよろしいご令息の方が多いと皆さんおっしゃっているから……」
……。
誰かしら、その“皆さん”とやらは。……まあ予想は簡単につきますが。
「心配には及ばないよ。セレナは毎日僕と一緒だからね。おかしな噂だね、ははは」
ヴィクター様が穏やかに笑う。その無邪気な笑みは、柔らかな陽光のように降り注ぐ。
「い、今はそうかもしれませんが…お友達もレティシア様しかおりませんし……それはつまり……性格がちょっと」
「セレナの性格? みんな良さがわからないんだね。でも私が独占する時間がたくさんとれてうれしいよ」
オレリアの言葉を、ひとかけらも心に入れないあたりが最高ですわ。
オレリアは唇を噛みしめ、次の瞬間、演劇じみた沈んだ声で語り始めた。
「……ヴィクター様、前にお話ししたこと覚えています? 実は私、階段から落とされそうになったり、水をかけられたり、教科書を破られたりしたことがありますの……私はそんなこと思っていないのですけど…その…皆さんがセレナ様じゃないかって」
小さく震える肩。潤ませた瞳。
あらあら、またその手のやつですの? 何度同じ脚本を使っているのかしら。
「セレナが? なぜ?」
当然の疑問を向けるヴィクター様。
そうよ、そこが肝心なのよ──頑張って。
「それは!! 私とヴィクター様がお似合いだから、その嫉妬したのだと皆さんおっしゃっていて、……ふふ、なんだか照れてしまいます」
はい出ました。傷ついたり照れたり忙しい子ね。精神が非常に不安定でいらっしゃる。
「……皆さんって誰だい?」
ヴィクター様の声が、静かに低い。あら、これは……ちょっと「ざまぁ」っぽいですわよ。
その調子、その調子。
「それは、お姉さまとか…王太子殿下とか! あとは……その……」
言葉が続かない。嘘に無理が出始めている証拠。
「……2人は皆じゃないよね」
ヴィクター様が穏やかな笑みを崩さないまま、淡々と指摘する。その声の静かさが、逆に鋭い。
「私‥そんなつもりじゃ・・・ぐす」
「怒ってはいないよ、ああ、泣かないで」
──ああ、おしい!! 本当に惜しい。もう一歩で完璧な“ざまぁ”でしたのに。
結局、泣き落としに転じたオレリアに、慌ててハンカチを差し出すヴィクター様。
その姿に、私は心の中でそっと頭を抱える。けれど、ヴィクター様の優しさは、やはりヴィクター様の魅力そのもの。
「でも、事実をしっかり確認しないで、人の言うことを鵜呑みにするのはどうだろうか。セレナなわけがないのだから、ちゃんと犯人を見つけないと。私も、もちろん協力するよ」
ヴィクター様は、柔らかな微笑の奥に、はっきりとした意志の光を宿していた。オレリアの不安げな表情とは対照的に、どこまでも真っ直ぐで、揺るぎない光。
「え? あの……大丈夫ですわ……私が我慢すればいいことですので……」
オレリアが慌てて言い繕うように俯く。
あらあら、その目で私を睨むのはやめていただきたいわ。そもそも、ここまで一言も発していない私に、どうして責任を押しつけられると思えるのかしら。
「大丈夫! 実はもう調べているんだ。安心して、すぐに真相がわかるよ」
ヴィクター様が、さらりと告げた。
オレリアの肩がぴくりと震える。その小さな変化を、彼は気づかなかったかもしれない。
でも、私はしっかりと見た。
「し、真相とは?」
声は震え、息が喉に引っかかっている。あら、予想以上に心当たりがあるようね。
「セレナが知らないうちに嘘が出回り、周りに混乱や誤解を招いている。私とセレナの関係を壊すために、誰かが偽の噂を流している。許せないよね。だから、学院の新聞部にも協力をお願いしたんだ」
その言葉に、オレリアの顔がみるみる引きつった。自分の足元の地面がいきなり抜け落ちたような表情。
「い、い…学院の新聞部……!? あのハイエナ新聞部!? そ、そうですの。…あ! 私、急用を思い出しましたのでこれで」
声が裏返っている。次の瞬間、スカートをつまんで、ほとんど逃げるように席を立った。その背中が廊下の角に消えるまで、早口で靴音を響かせて。
……そそくさといなくなっても、事実は消えませんのよ、オレリア様。
風がひとひら流れ、公爵家の庭園から運ばれた甘い花の香りが漂う。ヴィクター様はその背中を不思議そうに見送っていた。




