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蒼穹に龍  作者: てっつん
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龍と戦ったら死にました

 この世には()()が居る。例えば、剣の冴えをこれでもかと言わんばかりに修練し、鍛え上げた剣士。例えば、1000人分の魂をひとつの器に集めたとでも神が自慢する姿が目に浮かぶような、魔力に愛された大魔導士。例えば、生まれながらにして世界を憎み、呪いを振り撒く魔物の王。数えればキリはないが、そのような強者は圧倒的な存在としてこの世を動かしている。


 では、自分はどうか。男は静かに考える。もう何度も考えたことであり、すぐに答えは導かれる。もはや思い出すといったところだ。


 己は、強者ではない。それが男の答えだった。


 男は戦いに身を置き続ける兵だ。確かに長い間戦い続け、生き残り続けた。新兵の頃にパンを分け合った仲間は戦塵の中に消え、昨日同じ任務に就いた新人は、今日炎に巻かれ折れた剣だけが親元に帰る。大きな任務を共にこなし、信頼関係を深く築いた上官は、組織内での政治闘争に関わり、反逆罪で死罪が決定したと伝令が漏らしていた。よくある話で、今更どうこうということもない。


 男は、人類の領域を組織的に押し上げてくる魔物と戦う国際連合軍に所属している。幼い頃に戦場で金を稼ぐしかない状況に置かれ、そこから二十年戦った。学がないので人を指揮する立場を経験することもなく、というか戦いに身を置くのが早すぎたためにそれほど年を食っているわけでないので、魔物の眼前に二十年置かれ続けた。結果的にそれなりの強さを得たと自負している。修練の時間がある訳でも、何かわざにこだわりがある訳でも無いが、軍の中ではトップクラスの剣術と回復能力を持っていると自負している。それだけが彼の生きる道であって、彼が両手で抱えて離さないだけの価値があるものだった。


そんな彼も、今や死の淵にある。男は確かに魔物を相手にして引けを取らない身体能力や常在戦場で培われた粘り強い剣術もある。片手を失おうが両目を焼かれようが3日経てば再生するような、異次元の回復能力もある。だが、男は()()では無い。強者とは()()のことだと男は考えていた。それは男の同期が……もう生きてはいないが……また別の戦場で、また別の強者に殺されていたが……日頃から言っていたことだった。


 男は五歳もない頃から背丈は小さな熊ほどあった。とにかく腹が減ってしょうがなかった。今考えれば、自分は口減らしにあったのかもしれない。あの時生きるためには、どんな仕事でも良い、飯を食う必要があったのだ。骨だけは大きかったのでなんとか従軍することを許されたが、軍の大人からしてみれば小さな体、痩せ細った体躯。何度も助けられ、戦場で生きてこれた。自分を助けるために死んだ男がいた。今でもその男がくれたナイフを使っている。助けられなかった男がいた。おおきな、おおきな狼だった。潰された男には家族が居たが、送り戻せるようなものを探すのには手間がかかった。血のついたハンカチ、血のついた徽章の切れ、血のついた懐中電灯。それらを可能な限り綺麗にして上官に引き渡すのもまた仕事であった。


 ありふれた死。それら全てを乗り越えた男はしかし、英雄を超えることはできなかった。今死にかけているのは、体の下半分を人智を超えた力で吹き飛ばされているからだ。いくら三日もあればどんな怪我も治る男も、さすがに上下に別れた身体で完治するまで生きながらえはしない。ここが終わりだった。男を殺した者は、紛れもなく、本物の強者だった。


 戦争の厄災、歩く理、天上の殺し屋。並ぶものがないと、これでもかという言葉で表されるその(ドラゴン)は、生命をただ圧倒するために完成された肉と骨を完璧に用いて、一枚でも国家予算、どんな芸術品も並ばぬとされる鱗を軋ませて、大きく肩で息をしていた。

 平常ならそのピンと張りながら優雅に揺れる無数の髭は、敵を捉えきれずに面で場を制圧するために何度も下敷きにされ、折れ曲がり、歪んでいない髭は一本もない。太く棘を持ち、苛烈な攻撃手段となり得る尾は、半ばから断ち切られていた。龍は戦争で名のある者を幾度となく屠っていたが、血を流すことは百年の間、一度もなかった。それほど龍鱗は硬く強靭で、生物としての格が違うことを知らしめていたはずだった。誰がどう見ても龍は強者であったし、今の姿はありえないものだった。


 男は胸から上だけの身体で、それでも笑っていた。笑い続けていた。腹の底は抜けていたのに、腹の底から笑っているようで、その深淵を覗き込んでしまったかのような光景に、龍はいままで感じたことのない、魂の根源的な恐怖を感じて思わず念話を飛ばし、聞いた。

『おい……なぜ笑っている?』





 ふざけた生命もあるものだ。魔物狩りとして食いつなぎ20年。あれだけの圧と神々しさを持ったやつなんて一度も見たことがない。風の噂じゃ聞いたことがある、馬鹿みたいなバケモノに二百人規模の隊が指ひとつ触れることなく壊滅せしめられたと。俺が指揮できる人数は百五十。このバケモノは単体ではなく、取り巻きに出てきた魔物も居るために、俺以外は全員そちらに向かわせている。この龍だかトカゲだか(ドラゴン)がふざけすぎているために、有象無象が戦いに参加したとしても、吐息ひとつで全滅したら笑ってしまうだろう、戦いに集中できない。


 ある程度善戦はしたつもりだ。その触れるだけでも骨まで削れるだろうおろし金のような鱗は、想像したよりもずっと硬かったが、魔力と気力……周りはそうして起こる現象を戦技とか言った……それを剣や身体に込めて斬ることで、とんでもない硬さをほこる龍鱗も鉄製の防具を着せた藁人形くらいには斬りやすくなる。とりあえず狙ったのは尾だ。樹齢千年の霊樹と同等の太さをしている。昔、耳長の森で見たでっかい木とちょうど同じくらいだ。リーチも相当長いし、手や足かのように自在に動かしてくる。執拗に攻撃したら、運よく真ん中で斬ることができた。トカゲは尻尾を切ったら尻尾も動き回るが……いや、あれは逃げるための機能だからこのバケモノは持っていないはず……とにかく、まともに戦うことができるだろう。不思議なことに、龍は痛痒を感じないかのように冷静で、足技(前足とかだが、足技と言っていいのだろうか?)と吐息による牽制を基本戦術としたスタイルに切り替えてきた。強者特有の動揺を狙っていたこちらとしてはいささか心外だったが、あとは機動力をそぎつつ心臓を狙ってというところで、意識外、知覚外から高レベルのエネルギー弾が俺の下半身を吹き飛ばした。俺の背中側には、俺が死んだ時に死んで時間を稼ぐための兵がたくさん、いっぱいいる。


 俺と龍との間に、気まずい沈黙が横たわった。

 ここまで龍相手の大立ち回りを貫き、遂げてきたことのなんとむなしいことか。あのレベルのエネルギーでは龍鱗を貫くことはできない。龍が一番良くわかるだろうが、俺はそんな無駄な動きはしない。俺は龍の一挙手一投足に気を配っていたので、龍の攻撃ではあり得ない。そのような不意をつく技をもっているならば、わざわざ尾を断ち切らせる真似などしないだろう。面白いことに、その弾道は俺の下半身で減衰してなお龍に向かい、龍の心臓部分に着弾した。ぽすんと間抜けな音を立てて。

 笑うしかない。俺の死が確定しただけ。龍はピンピンしている。

 おそらく、俺が龍を殺しかけているのを見て、手柄欲しさに後ろから撃ち抜こうとした援軍がいたのだろう。俺を巻き込んだのは単なる偶然だとしても、龍の心臓に当てつつダブルキルを狙えた弾道は素晴らしいと言える。ぜひとも仲間として戦いたいほどのコントロールだ。もっとも、この場で龍にぶちこんで竜殺しを達成するには、単純に技の威力が足りていないが。


『おい……なぜ笑っている?』


 なぜもなにも、良い戦いが出来ていたのにこんなことになったんじゃ笑うしかない。なんで笑えているのかは不思議だが。


『命は惜しくないのか?我の尾を切り落とすほどの英雄(強者)が』


 だから、惜しく思っててももうどうしようもないんだって。あんたみたいなバケモンはどうかわからないけれども、普通の生命は体が半分なくなったらどうもこうもなく死んでるの!


『それにしてはお主、相当元気にしゃべっているだろうに』


 確かに。喋っては無いけどな。心の中で思っているだけだ。便利だなぁ。


『……随分印象が変わるな。鬼神のような戦闘時の雰囲気はどこにいったのだ』


 そりゃ俺は鬼神じゃないから、戦闘中に勝手に出てたもんは勝手になくなるよ。それに、鬼神でも味方からもらった弾で体半分なくなったら雰囲気出してる場合じゃなくなるだろ。上半身だけでも腕六本とかあったら大丈夫ってか?タコかなにかかよ!


 まあ良い。俺の身体のことは自分が良く分かっている。これまで何度もあった、断面が湧きたつように再生する感覚がない。もう再生はできない。失血死か、腸がなくて栄養失調か、水分不足か。そこまで持ったら軍では瀕死の兵たちを励ます常套句になるだろうか。思考が纏まらない。俺は、ここで死ぬのだ。


『……ッ!!』


 焦ったような思念が飛んできた。ぐわっと翼を広げ、上空に戦塵を振り払うかのように飛び立つ大きな影が見えた。ああ、もう行ってしまうのかと思った次の瞬間、目の前が真っ赤に染まった。


 そういえば、後ろの兵は何をしていたのだろう。魔導兵がやけに多かった気がする。俺がぶち抜かれるのも、下半身がすべてというのは威力がおかしい。一等の魔導兵であっても単体なら胸に風穴が空くぐらいで済むだろう。どうして……。

 そうした思いも全て、消えた。












 その日の戦場は荒れていた。眼前に龍が現れたのだ。魔物の王に率いられし軍勢から国際社会を守るために結成された軍も、理外……というか(コトワリ)が鱗を纏って飛んでいるような存在にできることはほとんどない。ほとんどないとされていた。この日までは。


 「しかし、あの剣豪はとんでもないな」


 魔導兵の一人が呟く。魔物との接近戦が求められる戦士ほど優れた動体視力はないために、全くと言っていいほど戦況は理解できていないのだが、それでもあの天災(ドラゴン)相手によくもまあ戦いになるものだ。彼の部隊も素晴らしい。特に手を焼く獣が敵にそろっていて、すぐ近くには龍が居るというのに、まったく物怖じすることなく戦っている。


 これで、こちらが扱いやすければ良かったのだが。


「手筈は整っているな」


 魔導兵を統率する男が、静かに言った。周りの数人は頷き、魔法を起動し始めた。

 国際秩序は、彼らを消すことに決めた。魔物の王に届きうる者、その部隊。戦闘力は折り紙付き、というか地形の変化をもって示されている。驚くべきことに、()()()()()()()()()()()()()()()()()。彼らは、出力において圧倒的に劣る敵相手に危なげなく勝つ能力を持つ。そしてそれは、究めることがすなわち出力の上昇に直結する現代の魔術では、彼らを抑えることができないということを証明するのである。


「師団長、よろしいので」

「構わん。撃て」


 今にも龍が殺される──少なくとも一般の魔導兵たちにはそう見えた時、()()()()()()()()()によって、剣豪の身体が弾けた。国際混成軍の寄せ集め一万は混乱し、思考に空白が生まれた。その瞬間、魔導兵を統率する男と他数名が動いた。

 

 彼らは龍との戦場をこの場で行わせるように仕向けた張本人であり、【統率魔法】の使い手や、【一色魔法】の使い手、それも国一番という能力を持つ。意識の空白を利用して、【統率魔法】の使い手が魔力を一万の兵から寄せ集め、【一色魔法】を組み上げる魔導兵に渡していく。龍も気づいたようで、すでに回避体制に移っている。しかし、目的は空を飛ぶトカゲ(ドラゴン)ではない、秩序を乱す毛無し猿(ニンゲンの強者)である。


 【一色魔法(モノトーン)】は強固に結ばれた意識がなければ発動しないが、【統率魔法】により意識の空白をつなげあわせることにより、在り方としてどんな軍隊よりも強固なつながりを持った。さらに、人数によって威力が変わる。剣豪を吹き飛ばした弾は、国一番と名高い使い手の意識を統一したものだ。それでも数人規模。それを、万の兵で行った。少なくとも、この場の誰もがこの大魔法に匹敵する魔法など想像もできない。そのレベルのエネルギーが吹き荒れた。その爆風は十分離れていたはずの魔道兵たちにも襲いかかり、まだ思考を取り戻せていない兵たちは、直立状態だった所に熱い砂埃を食らってしまったので、最前列に並んでいた兵は数人を巻き込みながら後ろに倒れ込み、風の衝撃を直接受けなかった者も目と喉をやられ、蹲っていた。

 我に返り、爆風をなんとか耐え切った魔導兵たちは、未だ立ち昇る砂埃が薄れゆく遠景から、薄らと見え始めた燃える地平線を、まだどこか遠い所から見ているような気がしていた。龍も剣豪も視界に映ることはなく、それどころか思考にすらも残らず、次の指示が出されたと同時に、幽鬼のようにその場を去っていった。



 その日、魔物と人間との勢力図は局所的に塗り替わり、その日以前の地図は一部役に立たなくなった。そして、戦場で多くの英雄が死んだ日であると同時に、龍を墜とした(ドラゴンスレイ)という偉業が成し遂げられた日となり、多くの人類は喜びと希望を酒場で語り過ごすことになった。


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