97 師弟
一人の師がいた。師は、子らに武道を教えることを生業としていた。子らは今日も元気に門をくぐってやってくる。子らが手合わせをしている間、師はそれを見守りながら指導をする。
師には、妻と子供がいた。だが、子供は体が弱く、とても師の跡を継ぐことはできないだろう。妻ももうだいぶ高齢で、もう一人子供を望むことはできまい。師はそれを嘆いたが、かといってそればかりを想い病んでいても詮無いことと思い、門下生の中から跡を継がせても良いと思える者を探した。
しかし、技の練度が高い子は既に家の跡取りであったり、どこかへ婿養子に行くことが決まっていたりと、なかなか跡取りは決まらなかった。
師は夕方になり、門下生を帰した後になって、ふうと深いため息を吐いた。
「俺の代で潰してしまうのは、親父に申し訳ないしな」
師の父は彼のまだ若かったころに、彼が妻を娶ることが決まったころに心の臓を病んで急逝した。そんな父の最期の望みが、道場を存続させたいというものだった。
師はそんな父の望みをかなえてやりたい反面、もうすべて手放してしまいたい気持ちにもなっていた。
そんな中、彼は蕎麦屋の屋台の下に、何かが蹲っているのを見つけた。
「親父さん、こいつぁなんだい?」
「こいつ?ん?なんだこりゃ。俺ぁこんな奴知らねぇ。どうしたもんかな」
「そうか…」
それは、ぼろ布のような服を着た少年だった。
「よし、俺がこいつを連れて帰ろう。坊主、お前は俺についてこい」
「なんだよ、お前さん蕎麦は食わねぇのかい」
「ああ、じゃあ、こいつにもくれや。三十二文だな」
師はそう言って、蕎麦屋の親父から二杯の蕎麦を受け取った。四文銭を八枚渡して、少年に一杯を渡した。少年は訝しげに師を見上げたが、師はにかっと笑って少年に食うように勧めた。少年は自分の腹が鳴ったのを聞いて、蕎麦を食べ始めた。
少年は師についてきて、師はそれを快く迎えた。少年は晴れて門下生となった。
少年の武の才能はすさまじく、四月もすれば一番上の段の門下生を負かすほどになった。少年は師の第一の弟子となり、師は少年を特に気にかけるようになった。門下生も、少年の才能には一目置いていたため、その待遇を良しとした。
ある時、少年は師の一人息子に近づき、友になろうと言った。書の才のあった一人息子と武の才能のある少年が友になり道場を支えていければ、それはすばらしいことだと。一人息子はそれを快く承諾した。
そうして月日が流れ、師から免許皆伝を貰った一番弟子は、その道場を継ぐことを決めた。道場の門下生は減っていたが、存続はできた、と思い、師は引退を決めた。
あの日、師に拾ってもらえなければ、今の自分はないと彼は言うだろう。




