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93 筆を執る

 僕が筆を執ったのは、単純な好奇心からだった。ただ、書いてみたい作品を思いついたから書いただけだった。でも、書くというのは意外と疲れるもので、何度も途中であきらめて放り出してきた。

 ある時、愛をテーマにした作品を思いついて、書き始めた。想像の何倍も不思議だと思ったのは、自分の知らない愛情がそこにあることだった。親からも、兄弟からも、先生からも、友達からも貰ったことのない、一途な愛情を書くことが出来た。なぜ、自分の知らないものを書くことが出来たんだろうか。

 自分でもわからないまま、いつしかその作品への興味が尽きて、放り出してしまった。

 やがて、思い出をテーマにした作品を書き上げた時、ちょうど執筆している時、自分が「それっぽいこと」を書くことに特化していることに気がついた。自分が知らないものを経験したかのように、経験したことを経験していないことのように、それっぽく書くことが出来る。まあ自惚れなのかもしれないが、それに気がついてから、より「それっぽいこと」を目指すようになった。

 異世界でも、そこに暮らしているかのように、書けと言われたらどこまでも細かく書けるように、過去も未来もあるかのように書ければ、それはリアルさとしてそこに現れる。そのリアルさを追い求めているのだ。

 筆を執り始めた頃と今とで、書きたいものはさほど変わってはいない。昔書きたかったものは、今までの数年間でだいぶ練り込まれて、壮大な物語となっている。

 書けるだけ書こう、と思う。そう思える。それこそが恵まれていることだとわかっているから。

 かつて握り締めたのは鉛筆だった。今ではコンピュータに向かって文字を打ち込むようになった。形態は違えど、文字という情報を通じて何かを伝えようとしていることに違いはなく、それこそが楽しみになればと思ったりするのだ。文字が汚いから諦めたとも言えるのだが。

 僕は今まで諦めてきた数十程度の作品、いつのまにか立ち消えた数百の作品を背景に持つ。そのような人は沢山いるだろうが、どれもをいつか書いてみたいと思えるか、誰かに読んでほしいと思えるかはまた違う話なのだろう。

 読んでほしいから書くのか、書くから読んでほしいのかはわからない。ただ、書くことも読んでもらうことも楽しみで、そこに費やした労力が報われて欲しいと思ったりはするのだ。

 だから僕は今日も筆を執る。

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