70 一人の時間
人は一人では生きていけない。けれどそれと同時に、決して一人以上の人間には慣れない。だからこそ人は寂しがって、人と共にあろうとする。
それでもときどき、一人の時間が恋しくなるものだ。
パートで働いている彼女もまた、そうした一人の時間が恋しくなっている一人だ。家に帰れば子供がご飯をせがんでくるし、家に近いパートを選んでいるから行き帰りものんびりはできない。もっと早くから出社して遅くに帰ってくる夫のために、ご飯を用意してその他家事もこなして。
夫は「俺だけの稼ぎで食わせてやれなくて済まない」と申し訳なさそうだし、中学生の長女は「私もやれることはやるよ」と家事を手伝ってくれてはいる。それでもやはり、のんびりしたい気持ちがある。高齢の両親や義両親には頼れないし、兄弟がいるわけでもないからそこにも頼れない。大変だと毎日思ってはいるものの、その解消法などどこに転がっているかもわからない。
ある日、夫が一日の休みを取った。夫も疲れているだろうし、パートは休みだが今日はのんびりできなさそうだと思っていたところ。
「俺が家事やるから、今日は外でのんびりしてきなよ。いつものお前みたいに隅々まできれいにとはいかないけどさ、俺もたまには家のためにやってやらなきゃ」
と、夫が申し出たのだ。長女はその横で「ご飯は私がやるよ」と言い、小学生の長男は「俺何すればいい?」と聞いている。なんと恵まれた家族だろうか。
「うん、今日はゆっくりしてくるね。そうだ、今日の特売は○○スーパーだからそこで買い物するといいよ。じゃあ、よろしくね」
彼女はそう言って、友人に連絡をした。専業主婦の友人はお昼を共にする旨の連絡に快く返事をしてくれた。それまで買い物でもしようかと思い、久しぶりに服屋に向かった。服屋で気に入ったものを三着ほど買い、友人と待ち合わせた店に向かった。友人は店の前で待っていてくれた。中に入ると落ち着いた雰囲気のいい店で、料理を注文してからも近況などについて話に花を咲かせた。運ばれてきた料理は非常においしく、二人は満足して店を出た。
友人と別れてから、彼女は図書館に向かった。図書館で哲学書などをのんびりと眺めていると、久しぶりに一人の時間が得られたと感じた。自由に時間を使うことも、時間に追われることもない、落ち着いた時間。それがなによりも好ましかった。
彼女は日が暮れる前に家に帰った。回されている換気扇からは何やらいい香りがする。カーテンを閉める動きが見え、その後ろでは小さい人影がせわしなく動いていた。
玄関に手をかけると、彼女は一人の時間をまた失う。それでも人が恋しくて、彼女は扉を開けるのだ。
「ただいま」




