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39 大丈夫

 大丈夫、という言葉が、魔法の言葉に聞こえる時がある。悔しくて泣いてる時などに、そばにいて、大丈夫だよと言ってくれた時、とても安心する。

 でも、自分にそれが、その魔法の言葉のような優しい大丈夫が言える気はしない。どうしても自分では役不足のような、自分が足らないような気がするのだ。

 大丈夫だよと、優しさと共に安心を届けるような言葉を、どうすれば言えるようになるんだろうか。言って、安心させたい人はいくらでもいるのに、言うだけの安い言葉になってしまいそうなのが怖い。

 大丈夫という言葉は、万能ではない。それは自分でもよくわかっていることだ。大丈夫だよと言っておいて、結局ことが悪化しては何が大丈夫なのだろうか。

 けれど、人の心を支える力を、まったく持っていないわけではない。だからこそ、扱いが難しいのだ。人の心を支えつつ、事実がそれを裏切らないときに使うべきなのかもしれない。誤って何もかも裏切るような結果になってしまった時、そうした時の、何とも言えぬ辛さを、知っている。

 辛くなった時、悔しかった時、どうしようもない時、そう言う時にふとかけられるとありがたい言葉だが、事実どんな言葉も無意味に感じるときだってある。諦めた時、どうしようもなく自棄になった時、我々はどんな言葉もいらなくなる。むしろ無言のうちの雄弁を求める。行動で示せとそういうことなのである。大切なものを喪った時だったり、そう言う時には特に、である。

 言葉がいかに力を持っていようと、意味を成すのは言葉を聞くために心を開いている時だけである。心の扉をきつく閉じてしまっていたら、どんな言葉も響かないのだ。心を開かせる魔法でもあればいいのだが、心の扉の隙間というのは時にひどく狭いものだから、どんなにわめいたって意味がないわけだ。だからこそ、心の扉の鍵をそっと温めてやる必要があるのだ。

 そういう行動をする時が、一番自分が大丈夫だと信じたい時なのかもしれない。すぐそばにいる人を、心の底から信じたい瞬間にこそ、行動は雄弁に、言葉は無言になってゆく。

 そう言う時に、大丈夫という言葉は、安く軽くなってゆくのだ。意味を持たず独り歩きしてしまう。それでは伝えたい言葉の真意とやらはどこに置かれたのやら、わからなくなってしまう。そうした時でも、大丈夫という言葉が意味を持つ瞬間はあるだろうか。

 あるのだ。それは、自分に対しての大丈夫、である。大丈夫、この人は信じていい。この人は立ち上がる力を持っている。そう信じていればいいのだ。そういう意味での、大丈夫。これこそ、意味を持った大丈夫になるのである。

 軽率に言わず、けれど無言にもならず、大丈夫という魔法は、そこにある。

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