38 そこに山があるから
山登りが趣味だ。中学生の頃に富士山に登ってからというもの、あの達成感を再び味わいたいものだと何度も山に登っている。大学生になってからは休暇を使って遠い地方の山にも登った。有名な山には大方登った。
ある時、聞いたことのない山の前に立っていたことがある。どこかで聞いたことがありそうなありふれた名前の山だったが、知らないな、と直感的に思った。
私はその山を登り始めた。よくあるような傾斜の、よくあるような足元の、特に絶景ポイントがあるわけでもない普通の山。だが、徐々に傾斜がきつくなると、私は不思議な感覚に陥った。
なぜ、私はこの山を登っているんだろう。有名なわけでもない、絶景があるわけでもない、一緒に登っている人はいないし、誰かに誘われたわけでもなく。ただ私は山を登っている。
山の傾斜はいよいよ厳しくなり、手をついて登っても険しさを緩和できなかった。こんな思いをした先に、一体何があるというのだろう。達成感?そんなもの、よく登る山で味わえばいい。真新しさ?この山にそんなものはない。どこにでもあるような山で、そんなものは味わえない。
気がつけば、私は岩肌の前にいた。私は山登りこそするが、ロッククライミングはしない。コースにロッククライムがある場合、だいたい山登りを辞めるほどだ。ではなぜこんなところに岩肌があるのか。迂回もできそうにない。
私は激しい無力感に襲われた。虚無感が冷えのようにじわりじわりと侵食してくる。私は泣きたくなった。幸い、ここに共に登っている人はいない。いっそ声を上げて泣いてしまおうかと思ったが、喉は開かず、嗚咽すらうまく出なかった。
私は苦しくて、自暴自棄になってしまったようだ。急にわけもわからず岩肌の突起を掴んで、それを登り始めた。妙にクリアな視界を気にすることなく、私は岩肌を駆けるように登った。さして急なわけでもなかったからか、初心者の私でも普通に登ることができた。
岩肌を登り終えると、急に視界が開けた。そこは何の変哲もない山々の中の一つの頂上に過ぎず、もっと高い場所など同じ峰にいくらでもあるように見えた。けれど、私は上を目指さず、そこに腰を下ろしてふ、と笑った。
ようやくわかったのだ、私がなぜこの山を登っていたのかを。そこに山があったからだ。山があったから、私は登った。引き返すことなく、他に選択肢がないかのように登った。夕日が眩しい。私はそっと目を閉じた。
気がつけば、私は自宅のベッドの上でカーテンから漏れた光を顔に受けていた。そうだ、あれは夢だったのだ。あの山は存在するだろうか。もしあるならば、行ってみようか。
ところが、私はその山の名前を思い出せなかった。それでも別に良かった。山に登る理由が一つはっきりした、いい夢だったから。
今度の休日はどの山に行こうかな、と考えながら、私はベッドを抜け出した。




