12 クリーチャーと少女
それは、いつから自我を持ったのだろうか。水槽の中で漂っていた時か?水槽から出され、檻の中に閉じ込められた時か?檻の中で乾燥した餌と水を摂食している時か?少なくとも、檻を壊して研究員を殺戮して周った時には、自我の片鱗があっただろう。
それは、怪物だった。人の手によって生み出された、憐れな怪物。実験番号B2098S‐P。名前はない。
怪物は、施設を歩き回った。自分が何者かどころか、これからどうしたいかもわからないまま。少なくとも、大量に置かれていた餌が尽きるまでは外に出ようとは思わないだろう。
やがて、怪物はどこか寂しいとでも思っていたのか、人…研究員が繰り返していた言葉を発するようになった。それはとてもまともな言葉ではなかったが、怪物はそこに意味を見出そうとしていた。
怪物は腐敗臭すらしない死体の横をのそりと歩いた。その死体は、自分の仲間ともいえる、そして仲間とは言えない、水槽の中にいた時に隣にいたかもしれない同胞だった。蠅すら群がらない、孤独な生涯。それを悲しいと思う気持ちを、怪物は持ち合わせていない。
怪物は、非常に長い時をその施設で過ごした。餌が尽きかけた頃、ようやく怪物は外の世界を志した。
怪物は歩きだした。施設はどうやら森の中にあったらしい。怪物は大きくなってギリギリ通れるかどうか、といった扉をこじ開けて外に出た。外は怪物が初めて見るもので溢れかえっていた。風、木々のさざめき、鳥の声、土の感触、森の匂い。怪物にとって壁一枚を隔てた向こう側の世界だったそれが、今は自分を囲んでいる。
怪物は意味も分からないまま、叫んだ。
「ア”ッダオ”ー」
それは研究者たちが自分を水槽から引きずり出した時の言葉だった。
怪物は森の中で草木や死体を喰らいながら生きた。施設の中とは違い、怪物が何かを食べた後でも、移動してしばらくすればそこには生命が溢れて、食べるものも満たされた。
怪物はこの新天地を喜んだ。自分の生まれた場所がだいぶ小さくなってしまっても、もう中に戻りたいとは思わなかった。雨は少し苦手だったが、それも仕方がないことだと割り切って、お気に入りの洞窟を木々で囲うようにして雨宿りする場所を作った。
怪物がそうして過ごしていると、かつての研究員に似た形の生物と出会った。似た形ではあったが、どうにも髪の長さも服装も違う。少女は怪物に向かっていった。
「もりのかみさま、わたしをたべてください。わたしはいけにえです。どうか、もりをしずめてください」
少女は泣きながらそう訴えた。しかし、怪物にはその意味が分からない。
「ア”-、ゾーダ」
怪物は何も考えずに鳴いた。森の動物が増えてきている。それで困るのは自分もそうだ。死体はさっさと違う動物に食われてしまうし、植物も減ってしまう。怪物はそれを思い出し、そろそろ暴れている大型肉食獣と大型草食獣の一族をそれぞれ一つずつ潰すことにした。
怪物はのそりと動き出し、忘れないうちにそれらを行動に移し始めた。少女は怪物が自分を食べないことを見ると、怪物が動いた後を追った。
「…もりのかみさま、わたしをたべないんですか?」
怪物は何も答えない。少女の前で大きな肉食獣を食べてしまっても、草食獣を潰してしまっても、何も言わなかった。ただ、すこしばかりうめき声を上げるだけ。
「あなたは、いきているものはころしたくないのですね。なら、わたしがしんだら、たべてくれますか」
怪物は何も言わず、寝床に帰っていく。少女はその後を追って、寝床で寝に入った怪物にそっと寄り添った。