『聖痕』の秘密
施設の探索は不気味なほど何もなく順調に進んだ。
「大丈夫です。入ってきていいですよ」
扉の陰から部屋の中を覗き込み、杏樹が言った。
後ろにいた仲間たちはゆっくりと部屋の中へ進む。広々とした長方形の部屋で右手の奥に扉が見える。反対側にも扉が一つと上の階へ続く階段があった。
「椅子とテーブルが並んでるな。食堂か?」永遠が部屋を見回した。
「うん。あっちにキッチンがあるね」
一二三が部屋の一画を指し示す。
「結構しっかりした施設だな。思ったより広いのかもしれない」
「冥樹自体が大きいからね。階段もあるし全部を探すのは骨が折れそうだよ」
「ミズヌシが施設内を移動して回っているとしたら痕跡もあちこちに残ってそうだな」
永遠はうんざりした顔で溜息を吐いた。
彼の後ろにいたローニャが、壁の一部分を見て叫んだ。
「ねえ、あれここの地図じゃないかな?」
ローニャが発見したのは壁に掛けられた施設の案内板だった。文字は所々かすれているが、問題なく判読できる程度だ。
ジャイルズが案内板に目を通す。
「三階建てか。見たところ各階も広そうだな」
「今いるのが食堂で……ここから他の部屋と上階に行けるみたいだ」
「向こうに娯楽スペースみたいな所もあるし、ここが皆の集まる場所だったのかな」
話し合う永遠たちにバハロスを連れたレイチェルが近づいてきた。
「ミズヌシは基本的に広い場所を好みます。候補は絞り込めるでしょう」
その方がこちらも助かります、とレイチェルは最後にそう付け足した。バハロスが同意するように鳴いた。
「広い部屋というと、こことそれから……」
案内板の前で話し合う仲間たちを、歩は離れた位置から見つめていた。
(今回僕は魔物をテイムできていないから戦力としては論外。必然的に他の人たちにミズヌシと戦ってもらうことになる)
彼の頭の中では、最適解を導き出すための思考が展開されていた。人数、能力、性格。盤面を彩る手札が並べられていく。
(直接的な攻撃できるスキルを持っているのは水城さんと竜さん。バハロスを使役できるレイチェルさんも含めても三人。それ以外はサポート寄りで純粋な戦闘能力の面では心許ない。やっぱりこの三人に頑張ってもらうしかないわけだけど――)
歩は渋い表情を作った。
(ミズヌシの守りを突破するには貫通力に優れた攻撃が必要だ。バハロスは上層の魔物だけどさっきの戦いを見た感じではあまり期待できない。レイチェルさんの反応からしても多分そうだろう。竜さんの『弾丸』は魔力を多く籠めて生成すれば威力が上がる。でも、あれだけ俊敏に動けるミズヌシの核を一発で撃ち抜けるかは未知数。それにセシリーを盾にされる恐れもある。セシリーはスキル持ちじゃないから耐久力もないし、誤射すればただじゃ済まない。使い時は考えないといけない)
そこまで考えて歩は厨房を調べている杏樹を見やった。
(やっぱり、手早く確実に済ませるなら――水城さんを頼るのが一番だ)
杏樹は晶葉と因幡と三人で探索をしている。
「こちらに食糧庫がありましたが空ですね」
「ま、長らく放棄されていたみたいだし、今更何か残ってるわけもないけど」
「争った形跡がないのを見るに、魔物が襲撃してきたわけではなさそうだ。事前にすべて持ち出したと見るべきか」
「そういえば前にソニアさんが授業で教えてくれたわね。この都市が廃墟になったのって――」
杏樹はいつでも有事に対応できるように『聖痕』を発動させた状態を保っている。それは行動を共にしている時間が長い歩にとって見慣れた光景だ。
同時に、それは異常な光景でもあった。
(水城さんの様子はいつもと変わらない。穏やかに笑っていて、皆を先導してくれる頼もしさがある。けれど、僕は知っている。ずっと人間を駒として見てきた僕だから読み取れる彼女の秘密を。他に知っているのは最初に全員のスキルを把握したシーリアさんと迷宮管理局の職員だけ――いや、陶山さんも『観察眼』を持っているから、多分彼女も気づいているだろう。その上で敢えて言及しないでいる。
あれは――『聖痕』は自らの苦痛と引き換えに身体能力をブーストするスキルだ)
歩が見定めるような視線を真っ直ぐ向けていることに気づく素振りもなく、杏樹は探索を続けていた。
(最初から変だと思っていたんだ。スキルは基本的に名称も効果も簡潔なものばかりで、成長したとしてもその原則が変わるわけじゃない。でも、『聖痕』のスキルは聖痕が浮かび上がることと身体能力強化の関連性がわからなかった。“どうしてただ強くなるだけのスキルじゃないんだろう? 聖痕が浮かび上がることに何の意味があるんだろう?”とずっと気になっていた。その理由は、水城さんが戦う姿をずっと観察しているうちに読み解けた。聖痕は犠牲の象徴だ。聖痕が浮かんでいる間、水城さんはずっと激しい苦痛に襲われている。その間だけ尋常でない力を発揮できているんだ。そんなスキルを彼女は平然として受け入れている。
スキルは保有者の性格、思想、経験によって覚醒する。つまり、保有者の内面を映し出す鏡のようなもの。実際クラスの皆のスキルは性格や好みの影響を受けたと考えられるものが多い。僕の『テイミング』もまた人を支配する性質から生まれたものだ。じゃあ、水城さんの『聖痕』は? 自らに苦痛を与えて力を得るスキルは、いったいどんな精神から生まれる?)
歩は水城杏樹という人間が、皆が思っているよりはるかに恐ろしい人間であると理解しつつあった。あの屈託のない笑みの裏側に何が隠されているのか。歩は想像するだけで寒気を覚えた。
「帆足、どうした? ずっと何か考え込んでるみたいだけど」
突然永遠に声をかけられ、歩ははっとした。永遠は心配そうに歩の顔を覗き込んでいる。
「ああ、いや。ちょっとね」
問題ないと歩は軽く手を振った。永遠は訝しそうにしていたが、すぐにジャイルズたちの元へ戻っていく。
(トワはもし水城さんの秘密を知ったらどうするんだろう?)
「うーん。今のところミズヌシの気配はまったくないわね。何もないと段々緊張感が削がれてくわ」
晶葉は食堂の奥の扉の先を調べながらぼやいた。
「隙間には気をつけてね。どこに潜んでいるかわからないから」と、真夏が注意を促す。
杏樹は友人たちの声を背中で受けながら部屋を見回す。レクリエーションルームとして使われていたと思われる場所だった。いくつかの家具と遊具が残されている。
「水城」
因幡から小さく声をかけられ、杏樹は振り向いた。
「どうかしましたか因幡くん。何か気づいたことでも?」
「そうではない。貴様のことだ」
「私?」
杏樹はきょとんとした顔を見せる。一方、因幡の方は真剣な面持ちだった。
「巧みに隠しているようだが、先程から妙に覚悟を決めた顔をしているな」
「覚悟、ですか?」急に何を言い出すのかと思いながらも、杏樹は答えた。
「ええ、まあ、そうですね。今まで格上の敵と戦った経験はありませんからやはり――」
「これまで数多の人間を目にしてきた我が眼を侮るなよ。それは不安や憂慮の感情ではない。自己犠牲の精神を持つ人間のそれだ」
杏樹の瞳の中に一瞬冷たい緊張が走ったのを、因幡は見逃さなかった。
「立ち振る舞いを見れば見当がつく。貴様は他人が傷つくことを恐れているが、自らの傷は省みない性分だ。水城、貴様は他人に尽くすことに生甲斐を見出す人間だな? それも猫田のような奉仕精神とはまったく異なる。例えるなら、自らの体の肉を切り分け供物として差し出すようなもの。命を捧げることを良しとする思考だ」
杏樹は何も言わなかった。彼女はただ因幡を見つめ返しているだけだった。
「王として忠告してやる。それはやめておけ。貴様の理念は知らぬが、それはどこまでいってもただの傲慢でしかない。一年四組に貴様の犠牲を必要とする者は一人もおらん」
そう言うと、因幡は背中を見せた。
「一先ず言っておくことはそれだけだ。今一度考えてみよ」
杏樹は微動だにせず因幡の背中を見続けていた。
彼女の表情には何の感情も宿っていなかった。
シーリア・ラングは《鋼鉄拳》のバーク・カリオンと並んで、ラドリーとマフールを見下ろしていた。
「で、こいつらが住み替えを引き起こしたってのは本当なんですか?」バークがシーリアに問いかけた。
「追及された途端に逃走を図ろうとしたことからして十中八九そうかと。詳しいことは尋問を行えばわかるでしょう」
「気の良い連中だと思っていたんですがね」
バークが哀れむように地面に座る二人を見た。
「気前の良い犯罪者はいくらでもいますよ。自分とは無関係なことにはおおらかになれるだけです」
罪を犯した探索者を多く見てきたシーリアは、無情に言い捨てた。
「彼らの連行はアインさんたちに任せます。私たちは急いで《悠久の城》の応援に向かいましょう」
シーリアはレイチェルに預けた『千里眼』を通して、隠された施設の内部を観察した。
「秘密の施設ですか。歴史的大発見と喜びたいところですが、まずは喫緊の問題をどうにかしないといけませんね。バークさん、他の人たちの準備は?」
「いつでもいけると」
「わかりました。では――」
「へえ、随分面白いことになってるじゃない?」
シーリアの言葉は突然響いた高い声に遮られた。
「貴女は……」
シーリアは声の主を見て目を丸くした。
悠々とした足取りでシーリアの元へやって来た《狐火》のクランマスター、リジー・フォックスは強者の笑みを浮かべた。
「暇だったから“守護者の家”に行ってみたら、緊急事態でこっちへ出張ったと聞いたから気になったの。よければ私も混ぜてくれない?」




