絆クエスト:因幡七曜⑤
朱里グランドシティビルは、因幡が通い中学校の最寄り駅から三つ先の駅の近くにそびえ立つ。三十階建てのビルは銀行の支店やバスセンター等の建物に囲まれた場所に位置し、駅からはビルに直通の高架歩道が接続されていた。
土曜日の朝、因幡と天馬は駅を出ると高架歩道を渡って、ビルへ入った。寒々しい空の下、白い息を吐きながら歩く僅かな時間で、二人の身体は冷たくなった。暖房の効いた建物内に入った二人は、エレベーターで目的地のイベントホールがある十二階へ向かう。『呪われた秘宝展』は十二階にある二つのイベントホールを丸々借りて開催される、大規模な展示だ。ビルのあちこちの壁にポスターが貼られ、宣伝に力が入っていることが窺える。混雑する中、客の間を縫うようにして通路を進んだ先で、因幡は洋風の寂れた邸のような内装に覆われた場所を発見した。
「なんかおどろおどろしい雰囲気だなあ」
「『呪われた秘宝展』のイメージに合わせてるのだろう。どこぞの幽霊邸でも真似ているのか」
入口に立つスタッフは男女ともに黒いスーツに身を包み、まるで邸の使用人を演じているかのようだ。綺麗なお辞儀をするスタッフに見送られ、二人は入場する。イベントホールの中も客の波ができている。秘宝展はネットでも好評で、初日から数日が経過しても客足が落ち着く気配はなかった。天馬によると、今回展示される品をモチーフとしたキャラクターが登場する人気ソーシャルゲームがあるらしく、ゲームのユーザーの注目を浴びているとのことだった。そんな話をしながら二人は早速展示された呪われた品々に目を通していく。
愛憎と妄想に狂った男が殺戮に使ったとされる剣。身に着けた人間が乗った車や船、飛行機が次々と事故に遭ったと云われる指輪。設置された場所で必ず惨劇が起き、誰かの返り血を浴びる仮面。実話か創作か不明なものも含めて、様々な逸話を持つ秘宝が一同に会した様は見物だった。
ふと、天馬が思い出したように口に出した。
「そういえば、この前森重グループが経営する美術館から盗難された絵画も、本当ならここに展示するはずだったって知ってた?」
「ほう、それは初耳だな」
因幡はその盗難事件のニュースを憶えていた。森重グループが出資金のほとんどを出した財団法人が運営する美術館は、日本内外の高価な美術品が揃い、森重会長の道楽の一環と揶揄されていた。そんな場所で盗難事件が起きたことで、森重会長が酷く落胆しているという噂を、因幡は耳にしたことがあった。
「あの絵も作者不明で、所有者の周辺で次々に人が怪死するっていう呪われた絵画として有名だったんだよ。前の所有者の奥さんも奇妙な死に方を遂げて、結局手放すことにしたらしい。その後、オークションで森重の会長が落札したんだってネットの記事に書いてた」
「大枚叩いて買った絵が盗難に遭うとは不憫だな。盗品の行方や犯人に目星はついているのか?」
天馬は首を振った。
「全然。犯人が警備員に扮して館内に潜り込んだのは分かってるけど、それ以外は何も分かってないらしい。犯人は他の警備員を眠らせた上で、防犯システムもすべて解除して、悠々と絵を持ち去ったらしい。監視カメラも無効化されていて、手掛かりになる映像も残ってなかったって」
「随分と手慣れた犯行だな」
因幡の指摘に、天馬はにやりと笑った。
「お、因幡もそう思うか? 実は、これも窃盗事件の記事で触れられてたんだけど、これと共通項のある美術品の窃盗事件が過去に何度か起きているみたいなんだ。盗まれたのはすべて何かしらの曰くがある品ばかりで、誰一人傷つけず、鮮やかな手口で盗み出す。そんな事件が分かっているだけでも、過去十五年で八件起きてる。いずれも日本国内でだ」
「同一犯なのか?」
「多分そうじゃないかと云われてるな。というのも、そのうちの何件かで犯人の姿を目撃した人がいるんだけど――」
その時、横から天馬にぶつかってきた人物がいた。三十代から四十代と見える白いブラウスを着た女だった。
「すみません。余所見をしていました」
「こちらこそすいません」
眼鏡をかけた地味な印象のあるその女は天馬に謝罪すると、やや駆け足で去っていく。因幡は女の行き先へと目を向けた。広く確保された場所の中央に、一つの展示品が照明を浴びて存在感を誇示していた。
「あの辺りに人だかりができているな。余程面白い物が展示されているのか」
二人は展示品の周りを囲むようにして立つ人の山へと踏み込んだ。そこに鎮座していたのは、大理石と思わしき素材で彫られた白い女の像だった。足元からは蔦が伸び、太腿の辺りまで螺旋を描くように巻きついている。左の掌の上には、一見すると何か分からない果実が乗せられていた。
天馬は像を観て「ああ」と納得した顔を浮かべた。
「『正体不明の神像』だな。あれが今回で一番目玉の展示物ってパンフレットに書いてあるぞ」
「『正体不明の神像』?」
因幡は奇妙な名称に気を惹かれた。
「今から百年くらい前にイギリスで発見された彫像だって。何かの神を彫ったと思われるけど、該当する神が世界のどこを探しても見つからないから、正体不明と名付けられたとさ」
「女神像か」
改めて像を見ると、確かに神々しさを感じるデザインだと因幡は思った。
「果実を手にしているから豊穣の神じゃないかと推測されてるらしい」
「発見された場所から、どこの国で作られた物か見当はつかんのか?」
「全然。ある資産家が亡くなって遺品整理をしていたら見つかったんだって。遺族もその時初めて存在に気づいたし、入手経路について書いたメモなんかもなかったから、本当に一切が謎なんだ」
「こいつも曰くつきの一品らしいが……」
因幡は像の近くに立てられたパネルの説明文を読んだ。
「この像の由来について研究していた学者が相次いで奇妙な死を遂げた、か。その中に、死ぬ直前、像の出所を掴んだと公言していた者がいたようだ。その後その学者が死に、それが元で像の真実に近づいた者は死を遂げるという噂が生まれたというわけか」
「ヤバそうな像には見えないけどなあ。妙に魅力的にも見えるし」
天馬はそう言って像を見つめる。
石造りの女神は観客の視線を受けながら、無表情で左手に乗った果実を見据えていた。
しばらくして、二人は片方のホールの展示をすべて見終えた。
「もう一時半か……そろそろ昼飯にするか?」
天馬がスマホで時間を確認しながら訊ねた。因幡もスマホを操作し、朱里グランドシティビルのテナントを検索する。
「フードコートは五階にあるようだ。どこへ行く?」
「ファストフードでいいよ。適当に食べて、早くもう一つの方回ろうぜ」
ホールを出ると、相変わらず外は人が多かった。昼時になり、朝よりも数が増えたように見えた。
因幡はエレベーターへ向かおうとしたが、天馬が立ち止まってどこかを見つめていることに気づいた。
「どうした天馬」
「何かあっちの方騒がしくないか?」
天馬が指差した方角を見ると、一人の男がスタッフたちと揉めているような光景が目に入った。男はイベントの雇われ警備員に取り押さえられている。その様子を見ている客のどよめきが聞こえてくる。
「誰かがスタッフに取り押さえられているようだな。誰だ?」
男は五十代くらいで、ぎょろっとした目つきが近寄り難い雰囲気を漂わせている。髪はいくつか白いものが混じり、寝起きのままやって来たかのようにぼさぼさだ。男は取り押さえられたまま、スタッフに叫んでいる。
「俺の話を聞けと言っているだろう! 一刻も早く中止するんだ!」
「何だあの人?」
唾を飛ばす勢いで怒鳴る男を眺め、天馬は首を傾げた。
「こんな馬鹿げた催し開きやがって! あれは見世物じゃないんだぞ! 何人死ぬと思ってる!」
「望月さん、落ち着いて!」
男性のスタッフが望月と呼ばれた男を宥めるが、彼に収まる気配はなかった。
「責任者をすぐに呼べ! 竜造寺はいるんだろう!」
「私をお呼びですか、望月先生」
突然、野次馬の海を割るようにして男が現れた。こちらは四十歳ほどで、グレーのスーツを綺麗に着こなし清潔感がある。因幡はその男を見て、大企業の重役のような印象を受けた。この男が、たった今望月が呼んだ竜造寺なる人物のようだった。
望月は竜造寺を見るなり、怒りに顔を歪ませた。
「竜造寺! お前何を考えている! あれが何なのか知らないわけがないだろう! あんな物展示するなど……どうかしてる!」
竜造寺は困った顔で肩をすくめた。
「私に怒鳴られても困ります。あれの展示は私一人で決定したことではありませんので。私はあくまで上からこの美術展の差配を任されているに過ぎません。どうしても不満があるなら上に掛け合ってください」
「そんな時間があれば、とっくにそうしてる! お前は人死にを出したいのか!」
物騒な単語が飛び出したことに、因幡と天馬は眉を顰めた。スタッフたちは成り行きを見ているばかりで、どうしていいか分からない様子だ。責任者である竜造寺が話している最中に、口を挟むことを躊躇っているようだった。
そこへ新たに一人の男が登場した。
「望月先生、そこまでにしましょう。貴方の行いは抗議ではなく営業妨害です」
現れたのは恰幅の良い中年の男で、竜造寺と同じようにスーツを着ている。彼の両隣には黒服の男が警護するように立っていた。因幡はその男の顔を見て、既視感を覚えた。
竜造寺は現れた男を見て、驚いた顔を見せた。
「これは天津先生……大変申し訳ありません。出迎えができなくて」
「気にしなくていい。こんな状況だ」
竜造寺が男の名前を呼び、因幡ははっとした。
「天津――天津成久か?」
天馬が頷いた。
「ああ。天津成久。法務大臣だ」
数ヶ月前に法務大臣に就任したばかりの天津成久は、数年来の知人と再会したかのように望月に語りかけた。
「望月先生、久方ぶりにお会いできて光栄ですが、これは流石にいただけませんな。折角の賑わいに水を差すようではないですか」
「天津さん……あんたはこのことを知っていたのか? 知っていたなら何故止めなかった?」
「それは私の与り知らぬことです。私に口出しする権限などありませんからね」
天津は憐れむように望月を見た。
「望月先生の気持ちは理解できます。あんなことが立て続けにあれば、気が狂いそうになるのも無理はありません。ですが、今は冷静になるべき時ではありませんか?」
それから天津は望月の傍へ近寄ると、耳元でそっと囁いた。
「貴方がこのような騒ぎを起こせばご親族にも迷惑がかかるでしょう。聞いた話では来年甥御さんが高校に進学するそうですね。言動には細心の注意を払うべきです」
「それは脅しか?」
望月は天津を睨みつけた。
「単なる事実の指摘です」
竜造寺が会話を打ち切る合図をするように手を叩いた。
「先生を蔑ろにするのは気が引けますが……落ち着いていただくためにも、まずはここから退きましょう。往来の邪魔ですよ」
竜造寺が言い終えると同時に、一階の防災センターから駆けつけた警備員たちが、望月を連れていく。竜造寺は野次馬たちに騒ぎについて詫びると、スタッフに後を任せ、どこかへ去った。天津成久もスタッフの一人に案内され、バックヤードへと入っていった。
騒ぎが落ち着き、辺りが元の状態を取り戻すと、天馬が言った。
「あの人、すげえ剣幕だったな。人死にがどうとか……」
「『呪われた秘宝展』ともなれば、ああいった手合いが湧くこともあるか」
因幡は望月の口振りから、過去の死亡事件の関係者ではないかと推測した。当事者にとっては腹立たしい思いがあるのだろう。そんなことを考えながら周囲を見回し、少し離れた位置に見覚えのある女の姿を見つけた。
(あの女、さっきの……)
先程天馬にぶつかった眼鏡の女が、バックヤードの入口を妙な目つきでじっと見つめていた。
因幡と天馬はフードコートにある有名ファストフードの店舗を訪れ、腹を満たすことにした。
天馬はトレイの上のフライドポテトをつまみながら、因幡に訊ねた。
「なあ、この後すぐもう一つの展示場に行く? 急がないなら他に寄りたい所あるんだけど」
「いや、急ぐつもりはない。何かあるのか?」
天馬はそこで一度動きを止め、友人の前まで顔を近づけると内緒話をするように言った。
「俺の買い物に付き合ってくれない? 四階の雑貨店に行くんだけど」
因幡はそれだけで意図を理解した。
「ああ、松井の誕生日プレゼントか」
「な、何――」
天馬は露骨に動揺して、視線を泳がせる。因幡は呆れたように言った。
「気づいてないとでも思ったか? 俺を侮るな。松井の誕生日が二月であることも、お前が女性向けの小物やアクセサリーについて調べていることも、とうの昔に知っていた」
因幡から見れば天馬の松井に対する感情はあからさまであり、ましてや普段興味を持たない装飾品について記された情報サイトを閲覧しているのを何度も見かければ、何を考えているかは明白だった。
「はー……じゃあ、隠す必要はなかったのか」
「そもそも最初から隠せていない」
因幡がはっきり言うと、天馬は咳払いした。
「とにかくだ。一人で選ぶのは自信がなくて……協力してくれないか?」
「それは構わんが、一つ訊いておきたい」
「何だよ?」
「貴様、プレゼントを渡したら告白するつもりか?」
天馬は目を逸らした。
「そ、そこまでは――単なる誕生日プレゼントのつもりで」
「松井の方は期待していると思うがな」
「そう、かな」
天馬は自信なさげに呟いた。
「傍から見る限りでは、貴様が思っているより互いの距離は十分に縮まっているように思える。他の女子もお前と松井の仲を察して、最近はあまりお前に近寄らなくなったからな。お似合いなのだろうよ」
かつては女子生徒から黄色い声を投げかけられていた天馬であったが、最近はそのような光景をめっきり見なくなった。天馬の人気が衰えたわけではない。天馬と松井が一緒にいる場面が多いことに気づき、それとなく引いたのだ。それを知った時、因幡はこの学校の女子は気配りの良い奴が多いのだなと感心したものだった。
天馬は悩んだ後、決心したように表情を引き締めた。
「……それなら覚悟を決めるかな」
「そうしろ。万が一駄目でも、骨は拾ってやる」
因幡はそう言って友に微笑んだ。




