誘い
ジャイルズ・ブラックは、夜の通りを一人肩を怒らせながら足早に歩いていた。
(なんでうまくいかねえんだよ。故郷じゃこんなこと一度もなかったのに)
脳裏に思い出すのは、昼間迷宮で起きた《悠久の城》との悶着だ。苦労知らずの新人に洗礼を浴びせるつもりで勢いのまま向かっていったが、因幡七曜の気迫に気圧され、さらに高位の探索者として名高いリジー・フォックスにも窘められ、ジャイルズのプライドはズタズタだった。
ジャイルズは己を成功者と信じて生きてきた。故郷ではスキル持ちということで羨望の視線を集め、スキル持ち特有の身体能力で運動でも一番だった。頭の良さではセシリーとローニャに劣るが、決して悪いわけではない。王都に出る前に受けた試験でも十分な結果を出せた。これなら王都でもやっていけるだろうと大人たちから褒められ、いざ王都へ旅立った。
それから一年が経過して、今はこの有様だった。
(努力はずっとしてきた。スキルだって驕らずに鍛え上げてきたんだ。最初より成長して範囲も精度も上がった。十分使いこなせるようになったんだ)
ジャイルズのスキル『生命探知』は、探索者として活動する上でも非常に使い勝手の良いスキルだった。効果は周囲に存在する生命体を把握するというもの。最初は位置や大きさを漠然と知ることができるだけのスキルだったが、ジャイルズは探索者として大成するため、その精度を向上させた。より正確な位置と大きさを把握するのは当然として、有効範囲を広げ、今では自分を中心とした半径二十メートル以内の生命を余すことなく探知できる。それに加え、探知した生命に付随する魔力を測りどれほどの強さを持つのか判断したり、そこからさらに対象の生命が持つ魔力の流れなども視認することを可能とした。
これまでジャイルズたちは、このスキルを活用して探索を成功させてきた。予め魔物の位置を正確に把握し、完璧な奇襲で討伐する。逆に、魔物から不意打ちを受ける心配などまったくない。どれだけ気配を隠していてもジャイルズが気づくからだ。彼のスキルは若手探索者の中でもトップクラスと言っても過言ではなかった。
(それなのに、なんで上手くいかない?)
躓き出したのは今年に入ってからだ。十層を越えたあたりから、徐々に足が鈍りだした。理由は単純だった。上の階層へ進んだことで魔物が強くなったのだ。ジャイルズたちは『生命探知』を有効に使い、大した危険もなく順調に上へと進んだ。そこで彼らはそれだけでは乗り越えられない壁に遭遇したのだ。
三人の戦法は、パターンが決まっていた。まず、ジャイルズが魔物の位置を把握する。次に、薬師見習いであるローニャが調合した毒を剣や鏃に塗る。そして、剣を用いるジャイルズと弓矢を用いるセシリーが戦う。毒の効果は下層の魔物相手には絶大で、彼らは負け知らずだった。
ところが、上の層の魔物は違った。今までの戦法が通用しない相手が多かったのだ。顕著なのは、体格が大きな魔物を相手としたときだ。体が大きい分、毒の回りが遅く、また少量の毒では死に至らないことが多い。これがジャイルズたちにとって最初の足踏みとなった。彼らには真正面から魔物と戦う経験に乏しかったのだ。結果、撤退せざるを得ない場面が何度もあった。また、高所を飛行し、弓の届かない位置にいる魔物も増えた。毒も相手に与えられなければ意味がない。さらに、そもそも毒に耐性のある魔物も現れるようになった。こうした三人が苦手とする魔物の登場は、順調だった彼らの歩みに暗雲を立ち込めさせた。
後に彼らが他の探索者から聞かされた話では、十層より上は“発展の層”と呼ばれ、それまでの常識が通用しない魔物が現れ、それにどう対処するかが問われる区域だと云われていると判明した。十層を越えた探索者にとっては最初の関門とされ、ここで手をこまねく者、力尽きる者、諦める者が続出するという。ジャイルズたちもその例に漏れなかった。鍛え上げたスキルだけでは、壁を越えるには到底足りなかったのだ。
「くそっ」
ジャイルズの悪態は、夜の空気に溶け込んで消えた。何か近くにある物を適当に蹴飛ばしたい気分に駆られる。
彼の背中に声がかけられたのは、そんな時だった。
「荒れてるなあジャイルズ」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこには顔見知りの探索者が立っていた。
「なんだ、ラドリーさんか」
ラドリーは手を振りながらにこやかな顔で近づくと、馴れ馴れしく肩に手を置いた。
「聞いたぜ。お前今日迷宮で騒ぎ起こしたそうだな。相手は例の漂流者たちだっていうじゃないか」
「なんだよ。お説教ならもう十分だ。放っといてくれ」
迷宮から出た後、ジャイルズはセシリーからこっぴどく叱られる羽目になった。彼はその際一切反論することなく、ひたすら耐えた。故郷でガキ大将だったジャイルズでも、セシリーに口喧嘩で勝てたことはない。無暗に口答えせずに、大人しく嵐が過ぎるのを待つべきだと経験的に知っていた。
ジャイルズがラドリーの手を振り払い、立ち去ろうとする。ラドリーは慌てて追い縋った。
「まあ、待てって。つまらない話をしに来たわけじゃないんだ。今ちょっと人手が欲しくてさ。乗る気はないか?」
ジャイルズは肩越しにじろりと胡散臭そうに睨んだ。
「人手って何だよ。一緒に組んでほしいのか? 今は“住み替え”のせいで迷宮に入れないだろ」
「だから、その騒動が収まった後だよ。実は面白いネタを仕入れてな。立ち話もなんだから来いよ。マフールが待ってる」
ラドリーが案内した先は、近場の小さな酒場だった。店の中に客の姿はまばらだ。薄汚れた店の奥に行くと、マフールが一人酒を呷っていた。マフールは近づく二人に気づくと、グラスを置く。
「遅かったね。ジャイルズがいるってことは、説得には成功したのかな?」
「これから詳しい話をするところだ。とりあえず好きなもの注文しろよ。奢りだ」
ジャイルズはまだ不審そうにしていたが、遠慮なく酸味の強い果実水を注文する。間もなく運ばれてきた果実水を一口飲み喉を潤すと、ジャイルズは訊ねた。
「で、面白いネタってのは何だよ?」
真向かいに座るラドリーが、ずいと身を乗り出す。
「お前たち最近実力に伸び悩んでて、ろくな成果を出せてないんだったよな? 今は下の層で修行のし直ししてるって聞いたぜ」
「それがどうしたってんだよ」
ジャイルズはむっとした。そのことで悩んでいたばかりなのに、他人にまで指摘されるのは不愉快だった。
「そう怒るなって。こつこつ修行するのも退屈で仕方ないだろ。どうせならまとまった金でも欲しくないか?」
金、と聞いてジャイルズは思案するように目を細めた。
「そりゃ金があれば質の良い魔法道具を揃えることもできるからな。あてでもあるのか?」
ラドリーは意味深な笑みを浮かべた。
「あるんだよなこれが。今回の“住み替え”とも関係がある話なんだけどな」
ラドリーは周囲に視線を配り、誰も三人の会話に気を払っていないことを確認すると、小声で続けた。
「実は“住み替え”したのはミズヌシだけじゃない。二十五層のコガネドリもなんだ。奴等の群れが三層に出現した」
「コガネドリ!?」
ジャイルズは思わず声を上げた。コガネドリは《メイリム都市迷宮》の二十五層に棲息する珍しい魔物だ。その名が示すとおり黄金色の羽毛に包まれた鳥で、魔力資源として遺す羽には濃密な魔力が蓄えられていることで知られる。コガネドリは決して強い魔物ではなく、二十五層の魔物にしては弱い。新人探索者でも危険なく討伐できるほどだ。しかし、警戒心が非常に強く、それでいて動きも素早い。滅多に人前に姿を見せず、個体数も少ない。それ故に希少な魔物に認定され、その羽は高級素材として垂涎の的だった。
ラドリーは声を上げたジャイルズの口を塞ごうとする。
「馬鹿。声が大きい」
「ご、ごめん。でも本当かよ?」
素直に謝罪したジャイルズに、ラドリーは頷いた。
「勿論だとも。なにせ発見者が俺たちだからな。場所は三層北東部の果樹園跡地だ。行ったことあるか?」
「いや、今は一層と二層を重点的に探索して回っているから、三層はあまり探索してないんだ」
「果樹園跡地は草木が生い茂って、ちょっとした森みたいになってる所だ。大樹の中に森があるってのも変な話だが――そんなことは置いといて、俺たちは今日そこでコガネドリの群れを見つけた。なんとか一匹だけ狩るのに成功したぜ。ほら、これが証拠だ」
ラドリーは懐から一本の羽を取り出す。薄暗い中でも金色に輝く羽が放つ魔力は、ジャイルズの瞳を惹きつけた。
「コガネドリの羽……本物ならいくらするんだ?」
ラドリーは得意げに笑うと、羽を懐に収めた。
「羨ましいだろ? でも、これっぽっちじゃ満足できねえよな。もっと欲しいのが心情ってもんだろ? だから、もう一度行ってまた狩りたいと思ってるんだが――」
「二人だけじゃ手が回らない。それにコガネドリは警戒心が高いから、人の気配があればすぐに逃げ出す。狩るなら静かに忍び寄って、一撃で仕留めるしかない」
マフールが話の先を引き継ぐ。
「そこで、お前の出番ってわけだ。理由は言わなくても分かるよな?」
「『生命探知』か?」
正解と言わんばかりにラドリーは片目を瞑った。
「御明察! お前のスキルがあればコガネドリの位置を正確に把握できる。それに逃げられても追うことができる。これほど旨いスキルはない」
「セシリーとローニャにも手伝ってもらうよ。特にローニャは毒の調合ができるからね。確実にコガネドリを仕留める手段は欲しい」
ラドリーとマフールは、ジャイルズの返答を待った。ジャイルズはしばらく考えた後、言った。
「……取り分は?」
「半々でいいだろ。それが一番揉めない。今後のためにもお互い仲良くした方が良いからな。どうだ?」
ジャイルズは果実水を口に含む。強い酸味が、彼の頭の中で急速に働く思考を刺激した。
(コガネドリの羽は、魔法道具の希少な素材として有名だ。それに高級な調度品の装飾にも使われるから、金持ち相手の需要も高い。それが一本だけじゃなく何本も。間違いなく大金になる。それを元手にすればもっと良い魔法道具を揃えられて、今の状況から抜け出せる)
彼は皮算用を終えると、力強く頷いた。
「分かった、やるよ。セシリーとローニャは必ず説得する」
「よし! そう言ってくれると信じてたぜ!」
ラドリーはがっちりとジャイルズと握手した。
「規制が解除されたらすぐに取りかかるってことでいいんだな?」
「ああ、またこっちから連絡する。そうそう、分かってると思うが、この話は漏らすなよ。セシリーとローニャにも直前まで黙っとけ。どこで誰に聞かれるか分かったもんじゃない。話すのは決行直前になってからだ」
「言われなくても。それじゃまた。今夜にご馳走になったよ」
ジャイルズは店を出ると、ほうと息を吐いた。全身が火照るような昂揚感だった。久々に味わう感覚だ。
(まさかこんな旨い話が転がり込んでくるなんて……)
ラドリーとマフールは今年で三年目の、年数の浅い探索者の中ではぱっとしない二人だ。良く言えば堅実だが、将来性に欠ける。あと数年もすれば探索者を引退しても不思議ではないタイプだ。そんな二人がこれほどの儲け話を持ち込んでくるとは誰も思わないだろう。幸運とは、いつどんな形で転がり込んでくるか分からないものだとジャイルズは思った。彼の中には、もう《悠久の城》への醜い嫉妬心はなかった。勝者の側へ一歩足を踏み入れたことへの満足感だけがあった。
(セシリーとローニャだってこのままじゃいけないと思ってるだろうし、断らないだろ)
ジャイルズは二人が拒否しない未来を、当然の如く夢想していた。昔から三人は一緒に行動していたのだ。今回も何だかんだ言って付き合ってくれるに違いない。彼は楽観していた。
(それにしても――ミズヌシが“住み替え”したのと同時に、コガネドリも“住み替え”したなんて、妙な偶然もあるんだな)
ジャイルズを見送ったラドリーは、肩をすくめる。
「やれやれ。あんな簡単に乗るなんて、先が思いやられるぜ」
「ジャイルズなら疑わないだろうと思ってたけど、あそこまでとはなあ」
マフールも呆れかえったような口振りだった。ジャイルズが単純な性格をしていることは知っていたが、ここまで二人に疑念を持たないとは思わなかった。疑われた時のための言い訳を予め考えていた二人は、拍子抜けするしかなかった。
「追い詰められた人間は思考が鈍るってな。ま、こっちにとっては都合が良いがな」
ラドリーは嘲笑を浮かべた。
マフールが天井を見上げながらぼやいた。
「それにしても失敗したなあ。コガネドリを下層へ誘い出せたのはいいけど、ミズヌシまで寄って来たのは不味かったよ。故意に上層の魔物を下層へ“住み替え”させたなんて迷宮管理局にバレたらただじゃ済まないだろうなあ」
「魔物を操って人的被害を出したら重罪だからな。故意の場合は、極刑もあり得る。尤も、迷宮管理局のボンクラどもに情熱香を突き止められるわけないさ」
ラドリーは腰の小さな鞄から長方形のガラス容器を取り出した。容器の中には淡い紫色の液体がゆらゆらと波打っている。
「こいつは本当に大した代物だよ。魔物が遺す魔力資源を溶かした液体をこいつの中に入れるだけで、その魔物を引き寄せられるようになる魔法道具なんてとんでもない発明だ」
「試作品だから不具合はあるって“玩具屋”は言ってたけどね。そうでなきゃミズヌシが来ずに済んだのに。その点は改善の余地ありって言ってた」
「こんな物を実際に作れるだけで十分だと思うぞ。お陰で俺たちにもツキが回ってきた」
ラドリーはうだつの上がらない探索者として過ごした日々を思い返した。仕事にあぶれて踏み入った探索者の世界。大した才能もなく、口八丁で景気の良さそうな探索者に取り入っておこぼれに与る生活。自分がどれだけ努力しても、三十層に到達するのがいいところだと悟ったのが去年の話だ。“三年七割の法則”はラドリーにも当てはまっていた。それでも不真面目な自分が真っ当に就ける仕事が思いつかず、探索者を続けることにした。それは同期のマフールも同じだった。二人して変化のない探索を続け、また無為な一年を過ごす。そんな時に二人の前に現れたのが“玩具屋”だった。
“玩具屋”と初めて会ったのは一月前の夜。今いるこのテーブルで、二人は“玩具屋”と話した。酒を酌み交わしながら与太話に花を咲かせていた時に、突然二人に声をかけてきたのだ。
“玩具屋”は子供が祭で被るような動物の仮面で顔を隠した人物だった。背格好と振舞いから大人の男であることは推測できるが、それ以外のことは何も分からない。訝しむ二人に、“玩具屋”はある依頼を持ちかけてきた。自作の魔法道具を与えるので、実際に使ってその効果を確認してもらいたいという話だ。そう言って彼が取り出したのが情熱香だった。
ラドリーとマフールは、当初その話に乗り気ではなかった。魔法道具は国が認可したものでなければ使用してはならないという法律がある。“玩具屋”が差し出したそれは、明らかに未認可のものだ。未認可の魔法道具を使用した探索者は処罰を受ける。二人はそんな危険は冒せないと断ろうとした。
だが、“玩具屋”が情熱香の効果を説明すると、誘惑に駆られた。魔物を自在に引き寄せる魔法道具。それがあれば容易に大金を得ることも夢ではないと。その夜、酒場を出たラドリーの鞄には情熱香が収まっていた。
二人はそれから伝手を頼りにコガネドリの羽を扱う業者にどうにか渡りをつけ、羽の一部分でもいいから譲ってほしいと交渉した。業者は一部分とはいえ希少な素材ということで高値を吹っかけてきたが、二人は辛抱強く交渉した末に業者が提示した“厄介な仕事”を請け負うことと引き換えに、羽を手に入れることに成功した。その仕事は法的にグレーなものもあれば、明白に違法といえるものもあった。しかし、情熱香を手にしていた彼らにとって、その程度のリスクは許容範囲であった。そして今日、迷宮の第三層に到着した二人は、コガネドリの羽を溶かした液体を情熱香に入れた。その結果、二人は新たなコガネドリの羽を手に入れることができたのだ。
「こいつがあればもっと稼げる。探索者で一番の金持ちになることだって夢物語じゃねえ」
コガネドリを効率的に狩る算段はついた。ジャイルズは性格に難ありだが、スキルは一品だ。間違いなく力となってくれるだろう。
「ところでさ、ジャイルズは本気で引き入れるつもり?」
マフールが訊ねた。
「ん? そりゃああいつがいるといないとじゃ大きく違うからな」
「でも、セシリーとローニャは邪魔だよね。もし、あの二人が情熱香のことやミズヌシを“住み替え”させたことを知ったら、絶対に迷宮管理局にチクるよ?」
「分かってるって。さっきはジャイルズにああ言ったが、あの二人程度なら替えは利く」
遠距離戦闘の手段も魔物を仕留める毒も、替えが利かないわけではない。いなくなっても問題のない程度の人材だ。何より秘密を知る人間は少ない方が良い。ジャイルズだけならうまく丸め込む自信が、ラドリーにはあった。
「ふーん、じゃあどう始末する? やっぱり探索中に“不運な事故”で死んだってことにする?」
「いや」
ラドリーは手の中の情熱香に目を落とした。
「ミズヌシも来たってことは、奴もこれで誘えるってことだよな。もののついでだ。ちょっと実験してみるか」




