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衝突

 永遠は真正面から睨みつけてくる少年を観察する。赤い髪と鍛え上げられた肉体。黒い手甲を着用し、目立つ場所に武器になるような物は携帯していない。恐らく格闘戦闘を主とする探索者であると推測した。永遠には少年と連れの少女二人に見覚えがあった。迷宮の外で見た探索者だ。


「ジャイルズ、やめなさい。休憩地点で他の探索者に突っかかるのはマナー違反ですよ」


 後ろに立つ二人の少女のうち、背が高い方が答えた。薄い茶色の髪を首の後ろで結い、やや吊り目で厳しそうな印象がある。ジャイルズは背後へ少しだけ顔を向けると、鼻を鳴らした。


「セシリーは黙ってろ。ついてこなくていいって言っただろ」

「いや、でも放っておくわけにはいかないし……」


 今度はセシリーと呼ばれた少女の隣に立つもう一人の少女がおずおずと言った。セシリーと対照的にこちらは背が低く、四組の女子で背が低い稲荷貴恵や弦巻梓と並ぶほどだ。


「ローニャの言うとおりですよ。人様に迷惑をかけるような真似はするなと言ったはずですよ?」


 セシリーは永遠が感じた印象通りに、厳しい目と言葉を仲間にぶつけた。ジャイルズはそれに臆した様子もなく、鬱陶しそうに肩を揺するだけだった。


「ジャイルズ、いい加減に――」


 セシリーがこめかみに青筋を立てて怒鳴ろうとしたその時、これまで沈黙を保っていた因幡七曜が口を開いた。


「ふむ、俺たちに何か用があると見たが、用件は何だ?」


 因幡はすっと立ち上がると、ジャイルズを見据える。敵意を露わにする相手に対し、彼は威圧するようなポーズをとってみせた。ただ、彼の左手がツナマヨおにぎりを持ったままであることが、すべてを台無しにしていた。


「いえ、なんでもありません。気にしないでください。すぐに立ち去りますから――」


 セシリーは慌てた様子で返すと、ジャイルズの服の袖を引っ張った。ジャイルズは奇怪なものでも見るかのような目で因幡を見ていたが、セシリーの手を振り払うと挑発的に言った。


「お前たちが迷宮探索を遊び半分で考えているみたいだから、一言言ってやりたくなったんだよ。迷宮は簡単な気持ちで挑むような場所じゃない。実力者について回って楽するような奴は、皆の邪魔なんだよ」


 彼はランチを前に座ったままの永遠たちを睥睨した。永遠たちはここに至るまで傷一つ負うことなく、無事に探索を進めることができた。そんな彼らの姿を見てリジーに助けてもらったと考えたのだろう。

 永遠はジャイルズの言葉に少しばかり頭にきた。リジーは一切介入していない。これは彼らだけで勝ち取った成果だった。それを失礼な誤解で侮辱されるのは不愉快だった。また、生死を境目に立っているという緊張感を忘れたことは一度もない。下層の魔物は対して強くないとはいえ、戦いに気を抜くことなどなかった。それは旧寮迷宮に放り込まれた四組の生徒は皆そうだ。特に主と戦った永遠、歩、杏樹はその意識が強かった。それを何も知らない外の人間が簡単な言葉で片付けることを、戯言で済ますことはできなかった。


 最初に反論したのは晶葉だった。


「ちょっと。私たちのこと知りもしないくせして強い言葉使うじゃない」


 気の強い晶葉が真っ向から喧嘩を買う姿勢を見せる。仲の良い杏樹が心配そうに見つめた。

 ジャイルズは言い返した。


「お前たちのことなら皆知ってるよ。この迷宮に現れた漂流者の集団で、偶然ミラさんに会って気に入られた運が良いだけ(・・・・・・)の苦労知らずってな」


 ジャイルズは同意を求めるように、彼らの遣り取りを遠巻きに見物していた探索者たちを振り返った。永遠たちが釣られて彼らを見ると、彼らは一様にばつが悪そうに顔を背けた。面白半分に観ていただけで話に加わるつもりはなかったのだろう。自分たちの意見が求められるとなれば、何を言うべきか悩んでいるような表情だった。彼らの多くは《悠久の城》に対する嫉妬を少なからず持っていたが、それに文句を言う気はなかった。彼らは、コネもまた探索者が大成するために必要なものだと理解していた。《悠久の城》が《青嵐》や《狐火》と友好を深めたとして、それを非難する資格などない。探索者として最低限の実力を備えているなら尚更だ。一方で、《悠久の城》への陰口の一つや二つ叩くことも当たり前で、その点ではジャイルズに強く言えないことも事実だった。彼の主張は、確かに部分的には当たっていた。それ故に、彼らはジャイルズに肯定と否定のいずれを返すか迷ったのだ。

 ジャイルズは野次馬たちの態度を都合の良いように解釈したのか、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。セシリーは仲間が醜態を晒したことで恥辱に塗れ、わなわなと震えた。とうとう我慢の限界が来た彼女は、力づくでジャイルズを止めようと前に出た。


 その時だった。


「吠えたな小僧」


 因幡が低い声で言った。それを聞いた永遠たちは一斉に因幡を見る。彼は目を閉じ、若干俯いていた。

 ジャイルズは因幡が放つ妙な気迫に気圧された。


「小僧って……お前俺と同じくらいだろ」


 少し弱気になったことを悟られないように、ジャイルズは語気を強くして返した。

 因幡はゆっくりと歩み出た。


「因幡?」


 永遠は因幡の様子がおかしいことに気づき、反射的に彼を止めようと立ち上がった。

 だが、その瞬間、永遠の身体に違和感が走った。全身に熱のような何かの感覚が迸ったのだ。


(……?)


 永遠ははっとして自分の手足を見た。手を握ったり閉じたりするが、何も不自然なところはない。先程感じた違和感は既に消えていた。


 因幡は一歩また一歩とジャイルズとの間の距離を詰める。ジャイルズは相手の異様さに思わず後退りそうになるのを堪えた。


「人は誰しも退いてはならぬ時がある。俺にとっては今がその時だ」


 因幡はそう言うと、俯いていた顔を上げた。その顔には強烈な怒りの色があった。


「今確かに口にしたな? “運が良いだけの苦労知らず”だと。その言葉、俺への宣戦布告と受け取るぞ」


 晶葉が言った。


「あんた何言い出すのよ。こんな奴の言うこといちいち真に受けないの。どうせつまんない嫉妬で突っかかってきただけだし――」


 晶葉が言い終えるより先に、因幡は叫んだ。


「それは無理な相談だ。この男は! この因幡七曜の軌跡を否定した! 俺の今日に至るまでの研鑽を、苦悩を、決断を! 運という粗末な言葉で片づけた! これを看過することは絶対に赦されぬ! 俺自身が赦さん!」


 因幡の言葉は普段通り仰々しく芝居がかっているが、そこに込められた感情は明らかに違っていた。永遠たちが知る限り、因幡七曜という人間が怒りを露わにした場面は一度もない。過去にクラスメイトからぞんざいな扱いを受けたことは何度もあったが、いずれも気取ったキャラクターを演じて躱すだけだった。だが、今回彼はジャイルズの侮辱に心の底から激昂しているようだと誰もが思った。


「いいだろう。ならば決闘だ。貴様のその威勢が真実か虚飾かどうか見定めてやろう」


 因幡は魔力を研ぎ澄ませ、スキルを発動する準備を整える。因幡の足元が暗い魔力で彩られた。ジャイルズがそれを目にして身構える。セシリーとローニャがはっと息を呑んだ。緊張感が走ったのは永遠たちも同じだった。歩と杏樹は顔を強張らせ、真夏と晶葉は小さく呻き、顔を見合わせる。一二三は微かに眉を顰め、腰を上げていた。永遠は焦りながら周囲を見回し、一瞬視線を止めた。それから彼はすぐに因幡の下へ駆け寄った。


「おい因幡、落ち着けって」

「久住よ。これは俺と奴の間の問題だ。貴様は口を挟むな」


 永遠に肩を掴まれた因幡は首を横に振ると、拒絶の意思を突きつけた。彼はジャイルズへの敵意を瞳に滾らせ、足元に意識を集中させようとした。


「いや、そうじゃなくて」


 永遠はちらちらと因幡の背後を気にするように顔を向けていたが、因幡はそれに気づかなかった。


「俺たちが幸運を味方につけただけの凡夫と侮ったな? ならばそれが浅慮であると身を以って――」


 鈍い音が響くと同時に、因幡の口上は中断された。音の出所は彼の頭の上だった。彼の背後にいたリジーがその小さな体躯を跳躍させ、踵を頭頂部に叩き込んだのだ。因幡は体をぐらりと揺らし、顔面から倒れた。


「何が決闘よ。探索者同士の私闘は禁じられているって、レイチェルから教えられてないの?」


 リジーは倒れた因幡を見下ろし、呆れかえった。永遠は掌で顔を覆った。


「……リジーさんが制裁を加える準備してるって言おうとしたんだ」

「“吠えたな小僧”のあたりからウォームアップしていたことに、全然気づいてなかったみたいだね」


 一二三が言った。彼もリジーの動きに気づき、リジーを止めようかどうか迷っていた一人だった。


「くだらない揉め事はここまで。あんたたちもこういう時はすぐに止めなさいよ。問題起こしたらクラン全体の責任よ?」

「はい……」


 杏樹は項垂れて答えた。


「そろそろ休憩も終わりにするから、出発する支度をしなさい。因幡には後で私の方から言っておくから。それから――」


 リジーはジャイルズをじろりと睨んだ。高名な金毛狐に不快そうな目を向けられ、ジャイルズは息が詰まりそうになった。


「あんたも探索者なら口先じゃなく成果で勝負しなさい。いいわね?」


 リジーがそう言うと、ジャイルズは不貞腐れたように顔を背ける。彼はそのまま踵を返すと去っていった。セシリーはほっとすると、頭を下げ謝罪した。


「本当に申し訳ありません。ジャイルズには確と言い含めておきます。行きましょうローニャ」

「お騒がせしました……失礼いたします」


 ローニャもぺこりと頭を下げると、小走りでジャイルズを追いかけていく。セシリーはその後をゆっくりとついていった。


「ほら、あんたたちも散りなさい。見世物じゃないわよ」


 リジーは野次馬を追い払うように手を振る。彼らは若干気まずそうな顔を見せたまま逃げるように去っていく。


 辺りが静かになると、因幡が頭を摩りながらよろよろと立ち上がった。


「まったく。あんた意外と熱くなりやすい性質なのね」


 晶葉が呆れたように言った。因幡の瞳にはもう強い感情は残っていなかった。


「……興が削がれた。行くぞ」


 因幡はそれだけ言うと、一足先に休憩地点を出ていった。


「因幡があんなに感情的になるとは思わなかったわ」

「本当。中二病キャラだからむしろ余裕かますタイプだと思ってた」


 晶葉と真夏がクラスメイトの意外な一面に話し合う。杏樹は因幡の後ろ姿を眺めていたが、永遠が掌をじっと見つめていることに気づくと、彼に声をかけた。


「久住くん、どうかしましたか?」

「いや、何か……」


 永遠は言葉を濁すと、再び掌に目を落とした。彼は先程の奇妙な感覚を思い出していた。


(あの感覚、『絆』が強化された時の感覚と似ていたな……)


 彼は星加天麗や猫田真琴の絆を獲得した時の状況を思い返した。それらの時に感じた全身を走る熱。先程の感覚はそれらとは異なるが、酷似していた。新たな絆を手にした自覚はない。永遠にはこの感覚の理由に見当がつかなかった。


 永遠の脳裏が疑問で占められる中、歩は無言のままだった。

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