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リジー・フォックス

 二日後の朝、《悠久の城》に所属する四組メンバーは“守護者の家”を出発した。留守を任されたデリアに見送られ向かった先は、最初の日に訪れた《青嵐》本部に近い港だ。以前来た時は夜でも賑わっていたが、昼間となればさらに賑わいは増す。《悠久の城》は好奇の視線を集めながら集合場所である広場へ進んでいく。

 広場は待合所の建物の隣に位置し、湖を見渡せる絶好のロケーションだ。湖沿いには遊歩道が整備され、憩いの一時を過ごす探索者が見受けられる。ミラたち《青嵐》の探索者三名は、広場中央の緑地の傍に立っていた。ミラ、リオ、そして見知らぬ男性が一人。


「初めまして。俺はライアック・バルトハイム。《青嵐》のクランマスターであり、お前たちをこれまで指導してきたミラ・バルトハイムの夫でもある」


 名乗った男に対して、永遠たちは驚きの表情を浮かべた。


「クランマスターって、つまり《青嵐》のトップよね?」

「大手クランのクランマスターってことは、大手企業の社長レベルだよな?」

「ミラさん結婚してたんだ……」


 生徒たちにとって《青嵐》のクランマスターが教官として現れたことは意外だったが、それ以上にミラの夫であるという事実に驚いた。ミラが結婚しているという話は今まで一度も出なかったからだ。ミラと距離の近い女子生徒も未だ知らぬことだ。


「何故仁科は膝をついているんだ?」

「割と良いなと思ってた年上の女性が既婚者だったことに絶望しているだけです」


 ミラは膝をついて項垂れている仁科荘介を見て首を傾げる。椿雪成が憐れみの視線を向けつつ答えた。


「……というより、何故マスターが来ているんですか? 予定ではイルムさんが来るはずでしたよね? 出発する時、当然のように同行してきたから追及していいのか迷って結局スルーしちゃいましたけど」

「あいつには急遽舞い込んだ別件を任せた。シレーネがどうしても人探しが得意な奴が欲しいって言うからな」


 ライアックはリオの疑問に対して簡潔な回答を寄越した。それを聞いてリオは顔を顰めた。


「《賢人塔》ですか。また面倒事の気配が……」

「そこは報告待ちだな」


 《賢人塔》のクランマスターであるシレーネ・ケープは、ライアックが信頼する友人の一人だ。彼女が緊急の用件で人を借りたというなら、それは厄介な案件であることを意味している。ライアックは如何なる用件かまだシレーネに訊いていない。相手が急いでいたこともあって後回しにしたのだ。


「ところで、別のクランから来る人たちはどこに?」


 菖蒲は六人いるはずの教官役が三人しかいないことを疑問に思った。《青嵐》とは別のクランからも三人来るはずと聞いていたにもかかわらず、その姿はどこにもなかった。

 晴臣が辺りをきょろきょろと見回す。


「ここで待ち合わせの予定だけど……まだ来ていないな」

「いや、もう来ているぞ」


 当たり前のことを語るように答えたミラに、思わず晴臣は訊き返した。


「え? どこですか?」

「どこかの物陰から隠れて見ているのだろう。盛大な演出とともに颯爽と登場しようという腹積もりだ。あいつらしい考えだよまったく」


 “演出”や“颯爽”といった妙な単語が出てきたことに、永遠は一昨日の不安がより大きくなるのを感じた。

 広場に変化が起きたのは、まさにその瞬間だった。

 永遠たちの頭上で何かが揺れ動く気配がする。彼らがふと見上げると、突如として青色の炎が何もない空間に生じた。その数は六つ。ぎょっとした生徒たちを嘲笑うかのように六つの炎は宙で円を描くように舞う。


「え、何? 火の玉?」

「人魂やろか? えらいけったいなもんが出てきはったなあ」


 竜晶葉は訳が分からないという顔を見せた。それとは対照的に、徳山真帆は平然とした顔で眺めている。生徒の多くは晶葉と同じ反応を見せていた。


「ふふふ、恐れ慄いているようね。この私の“六連焔踊(えんよう)”に」


 どこからともなく女の声が聞こえた。高い調子で、子供のような声だ。


「な! “六連焔踊”だと!?」


 女の声が口にした言葉に因幡七曜がはっとした。


「因幡、知ってるの?」

「今度俺も真似させてもらおう」

「中二ネタ拾っただけだった」


 図師心が真意を問い質したが、深い意味があるわけではないと判明しただけで終わった。


 そうしている間に、声の主が姿を見せる。緑地に立つ木の上に隠れていたらしく、軽やかな動きで永遠たちの前に降り立った。

 最初に目に入ったのは金色の耳。その次に尾。それはまるで狐を思わせるような出で立ちだ。髪の色も同じく金。そして、十二歳程度の小さな体躯。濃い紫色のローブを纏ったその女は呆気にとられた生徒たちを見て、自信たっぷりに笑った。


「ようやく出逢えたわね。漂流者のひよっこども。このリジー・フォックスの手を煩わせるなんて万死に値するんだけど、今の私は機嫌が良いから赦してあげてもいいわよ?」


 機嫌が良いのか怒っているのかいまいち判別できなかった生徒たちは、助けを求めるようにミラを見た。


「ええと、どう反応するのが良いんですか?」

「なんでもいいから適当に褒めれば速攻で落ちるぞ」


 ミラは断言した。生徒たちは考えるより先に、取り敢えず彼女の言葉に従うことに決めた。


「美人!」

「ちっちゃい!」

「“六連焔踊”っての凄い!」

「耳と尻尾可愛い!」


 思いつく限りの内容を次々に言葉にして狐の少女にぶつけると、彼女は途端に相好を崩した。先程までの不敵な笑みは完全に消え去り、今にも顔が溶け落ちそうなほどに目尻が下がっている。


「ふへへへへ、いいわよもっと褒めても。あ、でもそれ以上褒めらると顔がふにゃふにゃになっちゃう」

「もうなってるよ」

「なんだこの人……」


 生徒たちはこの少女にどう接していいか分からず困惑するしかなかった。

 その時、リジーが登っていた木の陰から新たに一組の男女が姿を現した。


「リジーさん、そろそろ自己紹介しましょうよ。いい加減待たせるのも悪いので」

「やっほー! キミたちが噂の漂流者たちだね! あ、今は《悠久の城》って呼んだ方がいいかな?」


 男女はいずれも二十代前半といったところだ。男は厚めの白い服を着た穏やかな顔つきの好青年。女は溌剌とした瞳をきらきらさせ、袖の短い茶色の軽装を着こなしている。

 男から指摘された狐の少女は、慌てたように咳払いしてようやく威厳を取り戻した。


「こほん。私こそは王都に覇を轟かせたクラン《狐火》のクランマスター、リジー・フォックスよ。その耳によく刻んでおきなさい」

「同じく《狐火》所属のアルスタイン・ホークです。専門はリオさんと同じく水上戦ですが、今回は新人教育の教官として抜擢されました。よろしくお願いします」

「マイア・ドリネス! 《狐火》の中遠距離戦闘担当です! よろしく!」


 狐の少女と後から現れた二人が名乗る。リジーは胸を思いきり張り、どうだと言わんばかりの顔だ。


「今回来てもらった《狐火》は《青嵐》とも非常に関わりの深いクランだ。リジーは金毛狐という種族で、見ての通り狐に似た身体的特徴を持つ。金毛狐は生まれながらにして高い魔力を有していて、スキルが発現しやすい種としても知られるのは既にソニアから習っているか? 見ての通り愉快な性格をしているが王都でも指折りの探索者で、数十年に一人の天才と云われる奴だ。決して侮ってはならんぞ」


 ミラがしっかりと言い含めると、生徒たちは背筋を伸ばして緊張を取り戻した。リジーのことを知らなくとも、ミラの言うことは素直に信用できたからだ。


「ふふん、いいじゃない。その畏怖の視線。これよこれ。こういう反応を期待してたのよ」


 リジーは機嫌の良さを証明するかのように耳をぴくぴくさせた。尾も心なしかゆらゆらしているように見える。


「王都じゃ私とミラ、それからここにはいないシレーネとの三人で“三姫”なんてまとめられてるけど、私が頭一つ飛びぬけてるのは自明の理よ」


 永遠は歩に耳打ちした。


「なあ、さっきもライアックさんがシレーネって名前を口にしていたけど……」

「うん、憶えてるよ。デリアさんが言ってたよね。王都の上位クランの幹部の名前。ライアックさんもリジーさんもシレーネさんも名前が挙がってた」


 永遠は改めてリジーを見据える。デリアもまた実力者として名を挙げた女。小さな体に一体どれほどの力を秘めているのだろうと彼は考えた。

 その金毛狐のクランマスターは未だ地面と向かい合ったままの仁科荘介に声をかけていた。


「そこのあんたもミラなんかより私のファンになりなさい。後悔させないわよ?」

少女(ロリ)は専門外だ。他を当たってくれないか」

「こいつくっそ失礼ね! あと私あんたより年上よ!」


 仁科は顔を上げると至って真剣な面持ちで突っぱねた。リジーの威厳はツッコミと共にいとも容易く崩れ去った。


「あの、語尾に“のじゃ”ってつけてくれませんか? そうすればほぼ完璧なんで」

「何の話してんのよ!」


 さらに宝田三雄がここぞとばかりにオタクじみた要求を出す。狐耳の少女という属性を付与された人物と邂逅したことで、彼の内なる欲望が刺激されていた。


 そんな遣り取りを眺めながら、ライアックが目を逸らしつつ言った。


「とにかく、まあなんだ。リジーは口先だけじゃないから安心しろ。幼馴染として俺が保証する」

「あれ。ライアックさんってリジーさんと幼馴染なんですか?」


 弦巻梓が訊ねる。


「ああ、こいつの両親と俺の両親が友達で、その縁で仲良くなったんだ」


 その時、リジーが勢いよく振り返った。


「私の両親とライアックの両親は迷宮の研究者だったのよ! その影響で子供の頃からお互い迷宮に興味を持って、探索者を目指そうって夢を語り合ったものよ。私は昔から人並外れた才能を持っていて、ライアックも私に及ばずながらトップクラスだったわ。何をやっても成功するに違いないって羨ましがられるくらいにね。それも私が勉強やら何やら教えてあげたお陰なんだけど」

「勿論リジーには感謝してるよ。お前の力あってこその今の俺があるからな」

「うへへへへへ」


 ライアックが微笑むと、リジーの顔がさらに崩れる。永遠はこのまま液状化するのではないかと心配になった。

 だが、そこへ爆弾を投下した者がいた。樹神透だ。


「ふーん、二人はそんなに親しかったんですね。でも、なんでお互い探索者になるって表明してたのに、一緒にクランを創らなかったんですか?」


 その瞬間、リジーの表情は凍りついた。溶け落ちそうになっていた顔は元に戻り、今度は永久凍土に封じられたかのように固まった。そこにある感情は虚無。それは夢の行き着く果てで、あり得ざる光景を目の当たりにした者の顔だった。


 ライアックはそんなリジーの様子に気づかず、樹神の疑問に答えた。


「ああ、それか。俺が探索者になった時、新人探索者の講習で出逢ったミラと意気投合してな。そのまま二人で組んで王都を出たんだ。それから数年経って結婚して王都へ戻った後に《青嵐》を設立したんだよ。その頃、リジーはもう《狐火》を設立してばりばりやってたからなあ。できればうちのクランに誘いたかったんだが、《狐火》の勢いは留まるところを知らなかったし邪魔しちゃ悪いと思って……」


 申し訳なさそうに答える彼には、何か含むようなところはない。

 生徒たちは顔を突き合わせると、こそこそと話しだした。


(ねえ、これって……)

(うん。リジーさんは多分ライアックさんのこと……そして、ライアックさんはそれに気づいてないわね)

(ライアックさんと一緒に探索者になるつもりだったのに、突然現れたミラさんに掻っ攫われた形か……)

(リジーさんはライアックさんと組むのが当然だと思っていたから、一緒に組もうとか約束してなかったんだろうな……そして、ライアックさんも別にリジーさんと組むつもりはなかった)

(リジーさんってどう見ても唯我独尊タイプだから、自分を必要としているなんて普通思わないよね)


 リジーがライアックに恋愛感情を抱いていることは明白だった。気づいていないのはライアックだけであろうことも。リジーは幼馴染で良好な関係を築いていた人物が、自分以外の人間と探索者デビューするとは微塵も考えなかった。突きつけられた現実は彼女にどれほどの衝撃を与えたのか、想像するに難くなかった。


「分かります。幼馴染で関係も良好だったから“勝ったな。風呂入ってくる”状態だったんすよね。余裕かましてたら奇襲に対処できなかったというところでしょう」

「幼馴染は負け属性ではないが、幼馴染の椅子に胡坐をかいた者は例外なく負けヒロインとなるのよ……」


 宝田と心が理解していると言いたそうに頷く。リジーは仁科と同じように跪き、自嘲した。


「ふふふ……そうよ。私は敗北者。勝利の未来へいざ往かんと思ってたら、名前も知らないどこぞの女に横から盗られた馬鹿な女。負け犬と嘲笑いなさい。金毛狐じゃなくて敗北犬と呼んでもいいわよ」

「急にネガティブになった……」

「種族も犬に変わってる……」


 永遠と歩は、性格が変わったかのように暗い声でぶつぶつ言い出したリジーに、変なものでも見るような視線を向けた。すると、加藤鳩乃がリジーの傍に寄り、優しく肩に手を置いた。


「大丈夫。狐もイヌ科だから誤差みたいなものだよ」

「加藤さん。それはどういう意図のフォローなの……?」


 湧井穂菊が何の慰めになっていない鳩乃の言葉に困惑した。


 リジーは嘆き、ライアックは首を捻り、ミラは呆れる。リオ、アルスタイン、マイアは肩をすくめた。生徒たちは痴情のもつれに似た光景を前に囁き合う。

 そんな情景を前に水城杏樹が呟いた。


「そろそろ訓練の話しましょうよ……」

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