引っ越し
“守護者の家”は一年四組への譲渡が決まってから数日後、古い一部の設備の改装が行われた。デリア・サイレムが懇意にしている施工業者の仕事は的確で速かった。彼女が永遠たちに説明したように工事は一日で終わった。スキル持ちの仕事はそれだけ速いものだ。後は各部屋に備えつけられた家具の点検をするだけで、建物はすぐに引き渡せる状態になった。
そして、ついに四組が迷宮管理局の旧寮を出る日が来た。
「皆さん、忘れ物はありませんね?」
寮の玄関には荷物をまとめた生徒たちが勢揃いしていた。生徒が元の世界から持ち込んだ私物は少なく、ほとんどがこの世界で手に入れた教本や文具、衣類などだ。吉田志津や夏目緑をはじめとする数名の生徒は、祖父江信宏の『マーケット』で購入したこの世界にはない菓子類や清涼飲料水、書籍を鞄に詰め込んでいた。
外に出た一同は寮を見上げた。ほんの一ヶ月足らずの間だがそれなりに愛着の沸いた場所だ。生徒たちは感慨深そうな表情を浮かべた。
「それでは行きましょう。デリアさんが待っています」
それから彼らは“守護者の家”への道程を歩いていった。到着した時、門の前でデリアが彼らを待っていた。
「ようこそ。既に準備はできているわ。さあ、入って」
永遠たちはおよそ一週間ぶりに、他の生徒たちは初めて敷地内に足を踏み入れた。因幡七曜が建物の外観を観察しながら「ふむ」と呟いた。
「なんとも異様な気配の漂う城だ。雪のように降り積もった思念がいたるところに滲み出ている」
「どういう意味?」
「年季の入った良い雰囲気の建物ですね、と言いたいのでしょう」
弦巻梓が首を傾げると、真琴が代わりに翻訳した。因幡は我が意を得たりという顔で笑った。
生徒たちは本館の一階ロビーに案内されると、内部の荘厳な空間を目の当たりにして感嘆する。既に訪れていた歩や梓は、彼らのリアクションをにやにやしながら見ていた。その後、生徒たちは寮に案内され、与えられた個室へ荷物を置く。部屋の広さと浴室、トイレが完備されていることに竜晶葉は満足そうだった。
ミラ・バルトハイムとリオ・ヘイドンが“守護者の家”を訪ねてきたのは、生徒たちが到着してから一時間後だった。
「まずはおめでとう諸君。ようやくお前たちもクランとしてようやく出発することができた。まだまだ駆け出しだが、ここまで弱音を吐かずに努力してきたことは素直に賞賛する」
迷宮管理局の旧寮の時と同じく、食堂を講堂代わりにしてミラが演説する。小松茶々が「いやあ、褒めても何も出ないっしょ」と恥ずかしそうに手を振った。
「クランの経営は簡単ではないが、そこはデリア殿が教授してくれるだろう。必要とあらばレイチェルやソニアに頼っても構わない。探索者として成長できても、経営で躓いたら困るからな」
「ま、そこは心配いりませんよ。僕や森重さんはそのあたりみっちり仕込まれていますからね」
「大船に乗った気でいてよろしくてよ」
日本有数の企業を経営する実業家の家に生まれ、英才教育を施された樹神透と森重秋音が胸を張る。いずれも才能溢れる人間特有の自信に満ちていて、これからの成功を疑ってもいない顔だった。
「さて、訓練を重ね良い具合に力をつけ、クランも始動した。そろそろ次の段階に移ってもいいだろう」
“次の段階”という言葉に、晴臣は思い当たる節があった。
「それってもしかして……」
「ああ、《メイリム都市迷宮》での実地訓練を行う」
食堂全体に緊張感が走った。
(ついに来たか……)
永遠は旧寮の迷宮を彷徨った時のことを思い返した。最奥で主と戦った時の恐怖と興奮は今でもよく憶えていた。天麗もまた永遠と同じことを考え、身体をそわそわさせている。
「本来ならこれが最初の迷宮探索になるはずだったが、氾濫での一件で予想外の迷宮探索をお前たちに強いる羽目になった。前回は手探りで大変だったろうが、今回は私たちがついて教える。だから案ずるな」
「そうしてもらえると助かるわね」
湧井穂菊が心の底から希うように言った。彼女は救助のためにやって来た《青嵐》の探索者によって救助された一人だった。
「実地訓練は明後日の予定だ。四十一人を六つのグループに分け、私たちベテランの探索者が一人ずつ付き添う。そのグループ毎に行動し、迷宮探索の初歩を学びながら、仲間との連携を深めていくことが目的だ」
「教官が六人ってことはミラさんとリオさん以外に四人来るのか。レイチェルさんやソニアさんじゃないよね?」
「あの二人もまったく戦えないわけではないが、基本的に戦闘や迷宮探索は専門外だ。うちからは私とリオ以外にもう一人、残り三人は《青嵐》と提携している別のクランから出す」
ミラは図師心の問いにそう答えた。杏樹は不思議そうに目を瞬かせる。
「別のクラン、ですか?」
「お前たちもそろそろ他のクランの連中と誼を通じておいた方がいいだろう。こちらで信用の置ける探索者を絞ったので明後日に会ってもらう。クランによって探索者の気質や雰囲気も違ってくるので、早い段階で慣れておいた方がいいと判断した。まあ、あいつらなら問題なく親しくなれるだろう」
「どんな人たちなんですか?」
菖蒲が訊ねると、ミラは面白そうに笑った。
「それは会ってのお楽しみというやつだ。先入観を持たずに付き合ってほしい」
永遠にはそれが意味深な笑みに思えた。まるで悪戯を考えている子供のような顔だ。彼は代わりにリオに問いかけるような視線を送った。リオは一瞬悩むように目を伏せたが、ぎこちない笑みを浮かべた。
「……ご安心ください。良い人ですよ」
精一杯擁護するような表現を耳にして、永遠は少しだけ嫌な予感を覚えた。




