この世界でやりたいこと
「ふわあああ、中も立派ですねえ」
梓が広々とした一階ロビーを見渡す。ロビーは開放感のある吹き抜けとなっており、玄関からずっと奥へと伸びている。ラウンジ部分は複数のテーブルの椅子が並び、すぐ傍の壁には大きめの絵画が飾られていた。廊下は正面奥と左右の三つある。正面奥を進むと訓練施設や武器庫などが集まる区画。左へ行くとギルドマスターの執務室や資料室などギルドの事務やそれに付随する部屋が集まる区画。そして、右へ行くと工房など生産スキル関係の設備が揃う区画に繋がるとデリアは説明した。
「定期的に掃除したり、傷んだ箇所は補修しているの。いつでも使えるようにね」
「デリアさんはここに住んでるわけじゃないんだよね?」
「私の家はここから少し離れた住宅街にあるわ。前はもっと遠い所に住んでいたけど、何かあればすぐにここへ来れるように引っ越したの」
デリアは歩に答えた。
「それじゃあ応接室へ案内しましょう。お茶くらいは出すわよ」
左の廊下を少し進んだ先にある応接室へと移動した一同は、デリアによる簡単なもてなしを受けた。彼女に淹れたお茶は王都の富裕層に出回る高級品だった。森重秋音が知れば欲しがりそうな品だ。ほのかな甘い風味が部屋に漂い、永遠の緊張は僅かに解れた。
デリアは適度に空気が弛緩したのを見計らって口を開いた。
「さて、貴方たちのことについて凡そは知っているわ。《青嵐》の庇護下でクランを設立するらしいわね?」
「はい。あちらの世界へ渡る方法を探すために《メイリム都市迷宮》に挑もうと考えています」
菖蒲が代表者として答えた。それを受けてデリアは思案するような仕草を見せる。
「あの迷宮にその手掛かりがあると期待してるのね。確かにないとは言い切れないわ。《冥樹の果実》は叡智を与えると云われているし、世界を越える手段を知ることも夢物語ではないでしょうね。何故漂流者がこの世界にやって来るのか、その仕組みが分かれば逆にあちらの世界へ行くことも可能になるかもしれない」
「デリアさんは《冥樹の果実》が実在すると思っているんですか?」
「ええ。だからこそ私たち《累月》はあの迷宮を踏破しようとしたの」
梓の問いに対して、デリアは確信に満ちた響きで返した。彼女の瞳に一切の疑いの色はなく、純然たる事実を語っているという絶対的な自信があった。
デリアは四組の面々を見回した。
「ねえ、一つ聞かせてくれる? 貴方たちは迷宮に踏み込むことをしっかり理解しているかしら?」
「どういう意味だよ?」
天麗が訝しそうに訊き返した。
「貴方たちはスキルを手にして、戦う術を手に入れたかもしれない。けれど、所詮は手段に過ぎず、貴方たちの成功を約束するものではないと理解しているのかってことよ。これまでに数えきれないほどの探索者があの迷宮を踏破しようと意気込んで、道半ばで夢破れてきたわ。才能だけなら私を上回る人だって何人もいた。でも、つまらないミスで命を落としたり、精神的に未熟だったために心が折れたりと、いろいろな理由で消えていったの。貴方たちはどうかしら? そんな過酷な場所で前を向いていける? たかだか家に帰りたいなんて望みくらいで最後まで頑張るのは困難よ」
デリアが淡々と突きつけた言葉には若さを侮るような調子はない。ただ、現実を認識しているか否かを問うていた。
家に帰りたいというのは子供たちにとって切実な望みであるとデリアは理解している。だが、それは数多の困難を前にしても原動力とするには不足していると言わざるを得なかった。あの大樹の迷宮を踏破するには希望だけでは到底足りない。魔物にに打ち勝つだけの実力も、前を見続ける精神も、危険を潜り抜ける判断力も、天をも味方につける幸運も、あらゆるものを束ねなければ道は拓けない。それを知らない世界に来たばかりの子供が用いできないのは当然だ。故にデリアは問いかけた。これから長い時間をかけてそれらを手にするまで希望を持ち続けられるのか?
彼女の真剣な眼差しを受け、天麗は小さく息を吐いた。
「……かもしれないな。つい先日ヤバい目に遭ったばかりだし」
迷宮の主と対峙した一人である天麗は、その脅威を身を以って知っていた。彼女だけではない。旧寮の迷宮化は犠牲者が出てもおかしくなかったことは、生徒全員が認識している事実だ。スキルを手にしたとはいえ魔物と戦うには不十分だと知らしめられた出来事であり、それ故に皆が少しでも戦いに臨めるよう努力している。未来に甘い見通しを持っている人間は、少なくともこの場にはいなかった。
永遠は仲間の表情を窺った。歩は天麗の発言に対してこくこくと肯定の頷きを返している。千紘はテーブルの上に目を落とし、無言のまま考え込んでいるようだった。梓もまた永遠と同じように仲間の様子を観察していた。真琴はただ静かに場の成り行きを見守っている。そして、菖蒲はデリアの顔をじっと見つめていた。
永遠は既に答えを決めている。彼にとって悩むまでもない結論だった。ただ、それをどう言語化するべきか頭の中で思いつく言葉をこねくり回していた。己の意思を他者に説明するのはハードルが高かった。それでも沈黙が痛々しい空気の中、誰も何も言わないのはいけないと逸る気持ちが勝った。
「あの、俺が答えてもいいですか?」
「どうぞ」
永遠は注目を集めながら、立ち上がる。彼は一度咳払いした。
「迷宮の探索に危険が伴うってのは実際に体験して一応理解しているつもりです。その上で俺は迷宮に挑みたいと思います」
「では、貴方は迷宮で戦い続ける覚悟を決められるの? いつ願いが叶うかも分からないまま?」
デリアが抑揚のない声で訊ねると、永遠は首を横に振った。
「いえ、流石にそれは無理です。この世界のことをまだ全然知らないのに、覚悟なんてできません」
「なら、どういう理由で?」
深掘りするように続けて問われると、永遠は気恥ずかしさから顔を赤くした。その反応を見て全員が不思議に思う。
永遠は声が小さくなりそうなのを必死で抑えながら言った。
「ええと、つまりですね、こういう言い方は不謹慎かもしれないんですが――悪くないと思ったんです」
「悪くない?」
永遠は乾いた唇を舐めた。
「俺は……元の世界じゃろくに人付き合いをしない人間でした。向こうでいうところの“ぼっち”ってやつです。それを苦に思ったことはなかったし、これからもそういう風に生きていくんだろうなって思ってたところで今回の異世界行きです。その上手に入れたスキルは『絆』なんてもので、クラスの誰かと絆を結ばなきゃ役に立たないっていうし、こんなのどうすればいいんだって嘆きましたよ。でも、スキルのせいで必要に迫られて仕方なくクラスの連中に接して……それが案外悪くないと思ったんです」
誰かと一緒に過ごすというのは窮屈さや戸惑いが伴った。ただ、決して不快でなかったのは事実だ。歩は陽気で良い男であり、杏樹は他者を慈しめる少女。晴臣は勇敢でリーダーシップに優れ、千紘は冷静沈着で適切な助言をくれる。天麗はぶっきらぼうだが誰かのために身体を張れる心を持っていた。
彼らは皆親切だ。それは同じ境遇の人間に対する共感もあるのだろう。だが、永遠は彼らと共に過ごすのが心から楽しいと思えた。
「結果論になりますが、俺は今の状況が嫌じゃありません。自分の知らなかった世界が開けたようで、もっと先を見てみたいという欲求があるんです。そうすればまた新しい何かが手に入るんじゃないかって。そのために迷宮に挑む必要があるっていうなら、やってみようと思います。要するにですね――俺は元の世界に帰りたいっていう大きな目標よりも、目の前の小さな目標の方が気になるんです。目の前の欲しいものを求めていたら、気がつくと遠くにあったはずの一番欲しいものもついでに手に入ったらいいなって。それくらいの緩い考えです」
何故こんなにも饒舌に語っているのか永遠自身もよく分かっていなかった。ただ、ここで自分の考えをはっきり言わなければ、デリアに真意を伝えることはできないという直感だけがあった。
永遠が語り終えると沈黙が下りた。それはデリアに問いかけられた時とは異なる、しみじみと感じ入るような空気に包まれていた。
「分かる。私もそうだったからな」
天麗がぽつりと言った。迷宮の主との戦いを通じて蟠りを融かした彼女にとって、永遠の主張はすとんと胸に落ちるような感覚だった。
歩もまたにかっと笑った。
「そうだよねえ。僕だってこの世界でやりたいことを思いついたんだ。そのためなら危険な真似だって厭わないつもりだよ。勿論最後には元の世界に帰る前提でね」
「私はメイドとしての役目を全うするだけです。たとえそれがどんな場所であろうとも」
「同感だ。ボクのやるべきことはどの世界でも変わらない。危険の有無なんて大した問題じゃないよ」
「私もこの世界でやりたいことが沢山あるんですよ! だって楽しまなきゃ損じゃないですか!」
真琴も、千紘も、梓も次々に同意する。果てにある見えない望みではない。今やりたいと願っていること、今自分がやれると信じていること。それが踏み出すべき第一歩だと、生徒たちは共通の答えに辿り着いていた。現在を満足させる生き方ができなければ、未来を満足させることなど叶わない。言葉にしなくとも感性だけで彼らはそれを理解した。
そして、それは多くの探索者を助けてきたシーリアにとっても、ソニアにとっても同じだった。
「そうですね。探索者って、そもそもそういう生き物ですからね」
「欲しい物があるから迷宮に挑むのが探索者です。先のことを考えて生きるより、目の前のことしか見えないのが当たり前ですよ」
探索者とは誰もがそうなのだと二人は良く知っていた。いつ死ぬかなど気にしない。金も、地位も、名誉も、求めるだけ手に入れる。その生き様に魅せられる人間がいて、一人また一人後に続く。いくつもの屍が積み重なろうとも先へ進むのが探索者であると、シーリアは迷宮管理局の新人時代に教えられたことを思い出した。
「……そうね。探索者って難儀な生き方しかできないのよね」
デリアは昔を懐かしむように言った。彼女の脳裏には《累月》時代の記憶はまざまざと蘇っていた。昔肩を並べた彼女の仲間たちも、目の前のことに命を懸ける大馬鹿者ばかりだった。
「貴女はどう思ってるの?」
デリアは一人黙っている菖蒲に訊ねた。菖蒲はゆっくりと目を合わせると、決意に満ちた表情を見せた。
「教師としては生徒を危険な目に遭わせるべきではないのでしょう。ですが、一方でこの子たちがこの世界で自由に生きられるようにしてあげたいとも願っています。そうするために戦う力がなければならないというのなら、それが早く叶うよう手を貸したいと思っています」
「そう。よく分かったわ」
デリアは天井を見上げると、大きく息を吐いた。ややあって顔を下ろした時、彼女の顔には優し気な微笑が満ちていた。
「いいわ。合格よ」
「え……」
永遠の口から無意識に言葉が漏れた。
「それって……」
「ええ、この“守護者の家”に関するすべての権利を貴方たちに譲渡するわ。私は貴方たちを“相応しき者”として認める」
少しの間を置いて、歓声が上がった。
「おお!」
「やったー!」
「いえーい!」
椅子から立ち上がり拳を握る者、ハイタッチを交わす者。生徒は思い思いの方法で喜びを表した。
「……とうとう合格者が出ましたか」
「驚くことではありませんね。何となくこうなるとは予想していました」
ソニアは感慨深そうに言うが、シーリアは平然としていた。昨日既にこの結果を予期していた彼女に驚きは一切なかった。
千紘と真琴が騒ぐ生徒たちに落ち着くよう言い聞かせる中、デリアは嬉しそうに呟いた。
「……やっとこの日が来たのね。随分待ちくたびれたわ」
その言葉を拾ったのは、デリアの顔を見つめていた菖蒲だけだった。




