クラン設立に向けて
「どうも……今日は戦闘訓練なしの座学だけというクソつまらない日です……そんな若者には地獄みたいな授業の担当で本当に申し訳ありません」
四組の生徒たちに社会、歴史、法律を教える《青嵐》職員のソニア・ウィルフスは、寮の玄関で暗い顔を見せながら言った。
ソニアは二十七歳になる艶のある黒髪を垂らした女だ。レイチェルとよく似た高い知性を覗かせる瞳を、いつも陰気な色で塗り潰しているのが特徴だ。彼女はミラがスカウトしてきた一人であり、《青嵐》の記録事務を担当している。優秀であるが自己評価が著しく低いのが欠点だった。
「いえ、別にそんなことは……この国の歴史とか社会の勉強も興味深いですよ?」
「そこで“楽しいですよ”と言わないことで凡そ察することができます……」
ソニアを出迎えた杏樹はフォローを入れるが、ソニアは言葉の裏に隠された生徒たちの総意をすぐに見抜いた。杏樹は失敗したと唇を引き攣らせた。
白坂菖蒲が話題を変えようと試みた。
「あら、今日はレイチェルさんとシーリアさんも一緒なんですね」
「はい。今日は四組の皆さんに朗報がありまして、それをお伝えするために参りました」
ソニアの後ろにはレイチェルとシーリア・ラングの姿もあった。シーリアは何やら気を惹くような口振りだ。
「朗報ですか?」
「ええ、大事な話なので授業が終わった後でゆっくりと話しましょう」
シーリアはそう言って手に提げている大きな鞄に目を落とした。菖蒲はその鞄を初めて目にした。これまでシーリアと会った時に持っていたことは一度もなかった。不思議に思いつつも菖蒲はシーリアとレイチェルを中に通した。
この日の授業は午前のみだった。ソニアが生徒からの人気のなさに心が折れそうになる場面が何度かあったが、どうにか持ち堪えて終えることができた。
レイチェルが昼食の後に話があると伝達すると、生徒たちは速やかに食堂に集合し、昼食を食べ終えた。
「それで朗報とは一体何ですか?」
皆が話を聴く準備を整えたのを確認すると、菖蒲は訊ねた。シーリアは咳払いをしてから答えた。
「まず一つ目。昨日付けで皆さんはこの国における特別滞在者の資格を取得しました。これで皆さんはこの国で公的な活動を行う権利を得たことになります」
生徒から沸くような声が上がった。
「おー、ついにか」
歩は身体をそわそわさせる。
「こちらがその身分証になります」
シーリアは持参した鞄を開いた。中には日本の運転免許証程度のサイズの銀色のカードが大量に収納されていた。カードにはそれぞれ生徒たちの名が刻まれている。シーリアが生徒の名を次々に呼び、カードが与えられていった。
全員に身分証を配布し終えると、シーリアは言った。
「さて、皆さんが身分を手にしたことでついに目標への第一歩を踏み出せるようになりました。そう、クランの設立です」
ついに来たか、と永遠は思った。一年四組全員でのクラン設立と《メイリム都市迷宮》での活動。それが《青嵐》の協力を取り付ける条件であり、元の世界に帰還するための道筋だった。
クランを設立すれば、いよいよ本格的な迷宮攻略が始まる。それまでの間にどれだけスキルを鍛え上げられるか。永遠は天麗との絆で得た力を、掌の上で僅かに輝かせた。
「そうだ。クランの話で一つ気になったんだけど……私たちのクランハウスってどうしたらいいんだろう?」
卜部希海が発した言葉に、湧井穂菊が「あ」と漏らした。
「そっか。四十一人もいるから拠点となる場所は必要よね。流石にこの寮使い続けるわけにもいかないし……」
寮は訓練場が併設されていることを除けば生活空間としての役割しか果たせない。何より寮は迷宮管理局の所有物であり、一クランが好きに使っていいものではないと穂菊は考えていた。
そうなれば新たにクランハウスとなる建物を探さなければならない。だが、この世界に来て一月にも満たない彼らに探す当てなどなかった。
レイチェルはそんな生徒たちの考えを見抜いたかのように言った。
「はい、当然そこは気になりますよね。そこで二つ目。今日は皆さんがどんなクランハウスを求めるのか、希望条件を聞きに参りました。土地勘のない皆さんが探すのは大変ですからね。我々の方で条件に合う物件を見繕わせていただきます」
菖蒲が申し訳なさそうな表情で言った。
「それは……至れり尽くせりで気が引けますね」
「恩に感じるなら、是非我々の迷宮探索にご協力ください。そういう契約ですからね。というわけで、皆さんクランハウスにこれが欲しいなんていう要望があればお聞かせください。参考にさせていただきます」
図師心が勢いよく手を挙げた。
「それじゃあ忌憚のない意見ってやつを言わせてもらうよ。私のスキルは生産系だから工房に使えるような部屋とか設備があるといいな」
「ああ、やはり生産系スキルはそこがネックですよね……」
ソニアは遠い目をして頷いた。《青嵐》でも生産系スキルを持つ職員が、工房の増設や設備の交換などを申請することが度々あった。クランお抱えの生産者は、探索者用の武具や医薬品などの製作、製造を担当するため、彼らの活動がクラン全体の活動を支えている。それ故に満足のいく仕事ができる環境が整わなければ、生産者たちが事務方へ苦情を入れに来ることがあり、ソニアはその対応に追われたことを思い出していた。
「それと居住スペースがあるのが望ましいですね。寮が併設されているような場所はありますか?」
「大丈夫です。そこは予め条件に入れてます」
菖蒲は現在と同じように生徒たちが固まって生活できる環境を希望した。生徒たちの住居が離れ離れになるのはリスクが伴うという考えからだった。
「台所が使いやすいのがええなあ。この寮のは手狭であかんわあ」
「確かにキッチンの使いやすさは大事ですね」
「……居住スペースの個室にシャワーってついてるのかしら?」
「うーん、難しいですね。ついている物件もあるにはありますが、大体幹部用の個室のみですね」
徳山真帆と竜晶葉の希望は、生活に関わる内容だった。キッチン周りの希望に大きな問題はないが、晶葉の希望にレイチェルは否定的な回答をした。
「牧場育ちとしては畑と畜舎がほしいですね。スキルを活かすこともできますし」
「牧場作るのは無理じゃねえか? 鶏くらいならいけるかもだが」
「あ、私も植物を育ててみたいな。温室がある所はないかな?」
「娯楽室のある場所がいいな……」
「図書室……図書室……」
「やはり医療設備ですね。私のスキルだけでは賄いきれないこともあるでしょう」
「屋根裏部屋!」
生徒たちは続々と希望条件を提示し、その都度ソニアがメモしていく。
永遠はそんな様子を見つめていた。
「個人的な希望も結構多いな……」
「やはりこれも小さな不満が積もっている所為でしょうね」
「だろうな」
杏樹が希望条件の多い理由を推察する。ストレスを解消するための環境を欲している生徒がそれだけ多くいるのだろう。永遠も彼女に同意した。
小松茶々が羅列された条件のリストを見ながら言った。
「でもさ、これだけの条件を満たす物件なんて流石にないっしょ。やっぱどれかは諦めないと駄目じゃね?」
「そうですね……」
菖蒲が溜息を吐きながら答える。
生徒たちは希望という形で溜まった感情を吐き出したが、それらがすべて叶えられるなどとは誰も思っていなかった。駄目元で口にしてみただけ。この中から二つか三つ叶えられたら上出来。その程度に考えていた。
したがって、ソニアの口から出た言葉は彼らにとって予想外だった。
「……いえ、ありますよ。今挙げられた条件をすべて満たす物件」
皆の視線がソニアに集まった。ソニアは思わず身体を強張らせる。
「すみません。出しゃばった真似をして……」
「いえ、そんなことよりあるんですか? 今言った条件を満たす物件」
菖蒲が問いかけると、ソニアは答えた。
「売りに出されている物件ではありません。とある人が所有しているかつてクランハウスだった建物と、その土地なんですが……」
静かに話を聴いていたシーリアが、はっとした。
「ソニアさん、それってデリア・サイレムの……」
ソニアは言った。
「はい、《累月》のクランハウス――“守護者の家”です」




