燻る火種
『マーケット』の実験は食堂で行われることになった。祖父江は椿から受け取った魔力資源を通貨に換え、適当に食料品を購入する。画面に表示された商品の項目をタッチすると、テーブルの上に光の塊が出現した。光は徐々に形を整えていき、指定した商品へと変化する。それを数回繰り返し、祖父江は購入した商品を調べる。
「成程な。どうやらこれはあっちの世界から直接商品を購入するのではなく、コピーを生成すると言った方が正しいな。見ろ、十個以上買ってどれも賞味期限が同じだ」
千紘はテーブルの上に並べられた紙パック入りのジュースを見比べる。祖父江の言う通り、同じ商品は何から何まで同一だった。
「じゃああっちのお店から商品が消えてるわけじゃないんだね。これコピーする商品はどういう基準で決めてるんだろう? 仮に腐った商品があったとして、それをコピーすることもあり得る? 安全な品だけを選ぶことはできるのか? 商品の内容量に変更があったり販売中止になったりしたら、それに応じてラインナップはアップデートされるのか?」
「そこは要検証だな」
千紘の考察は今後スキルを使っていく上で確かめなければならないことだらけだ。三人は実際に購入した食料を口にして味を確かめたり、残された容器などのゴミを調べたりするのに時間を費やした。
そうしていると吉田志津が食堂に姿を現した。志津は三人を見つけると媚びるような笑みを浮かべて近寄る。
「ねえねえ祖父江くん、地球から買い物できるって聞いたけどマジ?」
「誰から聞いた?」
「さっき黒崎くんがそこ通って皆の話してること聞いちゃったそうなんだよね。でさ、私からも頼みがあるんだけど……」
志津は手をも揉みながら上目遣いで祖父江を見る。
「吉田さん、何か欲しい食べ物でもあるの?」
色気より食い気が勝ると云われる志津が求める物など分かり切っているとばかりに椿が訊ねた。
志津は勢い良く首を縦に振った。
「ピザとハンバーガーとコーラ! 私の胃はカロリー高そうなあれこれを欲している!」
「買えるの?」
椿は祖父江に視線を投げた。
「ファストフード店のは無理だが、スーパーに売ってるようなインスタントのハンバーガーやピザなら買えるぞ」
「やったぜ!」
志津は天井を仰ぎ、ガッツポーズを決める。
「いや、真面目な話ここの食事物足りないんだよね。悪いとは言わないけど、どうしても地球と比べるとさあ」
「今は《青嵐》からの配給に頼ってるから贅沢な食生活は送れないよね」
寮で使われている食材はすべて《青嵐》からリオ・ヘイドンが運搬してくれるものだった。量が不足しているわけではないが、かつての食生活と比較して味気ないという意見がクラスのあちこちから出ていた。
「そうなの! だからもうストレス溜まっちゃって! 仕方ないからスキルの訓練で気を紛らわせていたけどもう限界! 脂っこいものが食べたい!」
「気持ちは分かるなあ」
椿は同情を滲ませて言った。
その時、食堂の入口から大きな物音がした。食堂にいた四人が一斉に振り向き、ぎょっとした。そこには夏目緑が床に這いつくばってずるずると身体を動かしている姿があった。
「な、夏目さん? どうしたの?」
椿は表情を引き攣らせながら、今までにない奇行を見せる緑に声をかける。前髪で顔を隠した女が這い寄ってくる様はホラー映画を彷彿とさせた。
「……祖父江くん、スキルで地球の商品が買えると聞きましたが本当ですか? それって本も買えるんですか?」
「ああ」
祖父江が答えると、緑は顔を上げた。彼女の瞳には懇願の色で染まっていた。
「だったら……とにかく本を……この世界の未知が詰まった本は非常に満足がいきましたが、やはり元の世界の本も読まないと気が済まなくて……ずっと我慢してきましたがそろそろ禁断症状が……」
「禁断症状って何さ」
志津が胡乱な目つきで見下ろす。
「道行く人を手当たり次第に捕まえては、これまでに読破した小説のネタバレレビューをしたくなる衝動に駆られるんです」
「地味に迷惑度が高いな……」
椿は引っ込み思案だと思っていた読書家の思わぬ一面を見て、彼女に対する印象を修正した。
「一冊だけ! 一冊だけでいいんです! 七海旬の新刊をまだ読んでなくて……ドラマ化された《未だ見知らぬ春》とストーリーの繋がりがあるという噂で、今のうちに読んでおきたいんです!」
緑は恥も外聞も知らないという風に喚きたてた。
そこへ今度は小太刀李が滑り込むようにして登場する。
「禁断症状という不穏な言葉が聞こえてきたので参じました。どうやら夏目さんが何らかの症状を呈したと見ます」
「とりあえず『診療所』に放り込んでおいた方がいいよ。ストレスによる精神状態の悪化だ」
「それはいけません。ただちに処置をしましょう」
李は早速『診療所』の扉を出現させ、緑の首根っこを掴むと部屋の中へ放り込む。緑は悲哀に満ちた小動物のような鳴き声を残して消えていった。李が部屋の中へ入ると扉は消える。
その後も噂を聞きつけたクラスメイトたちが現れては、様々な陳情を訴えていく。
「そのスキル成長させて玩具も買えるようにしてくれない? 携帯ゲームがプレイできるようになれば暇潰しに困らないと思うんだよね」
「娯楽に飢えるのはきついからな。できるだけ早く頼む」
図師心と望月玄衛は玩具を購入できるようにと。
「食料が買えるなら茶葉も当然いけますよね? え、高級品はまだ無理? こう、もうちょっと頑張ったらいけるとかありません? 駄目?」
森重秋音は高価な茶葉を求めて。
「スーパーの食料品が買えるならプロテインを頼む。現状の筋肉を維持するのは少々厳しくての……」
黛大刹は自慢の肉体のために。
こうした要望が次から次へと舞い込んでいった。
「――とまあ、こんな感じで細々とした不満が溜まっている」
千紘の話を聞き終えた一同は、揃って溜息を吐いた。
「そっか。でも、当然といえば当然か。いきなり違う世界に来てストレスを感じない奴は少ないだろうな」
「生活のランクが下がるのは皆敏感だよね。極端に低いわけじゃないけど、やっぱり日本にいた頃と比べると……」
晴臣と歩はクラスメイトたちに共感を覚える。ただでさえ命懸けの迷宮探索に挑まなければならないという状況下における生活の質の低下は、彼らの心に鬱屈とした感情を生み出すには十分だった。一つ一つは些細な不満に過ぎない。しかし、それらが積もりに積もればやがて大きな火種となる未来は想像できた。
その時、永遠がぽつりと言った。
「それもあるけど、やっぱり家族と離れて寂しいってのが大きいんじゃないか? 元の世界に帰る方法を見つけられるかもまだ分からないし」
その言葉に全員がはっとした。永遠は皆のリアクションを見て反射的に身体を震わせた。
痛々しい沈黙が流れる中、最初に口を開いたのは杏樹だ。
「そうですね。皆さん敢えて口にしませんが、心の中では寂しさを抱えているはずです。気にしてない人なんてほとんどいません」
杏樹はそう言って今は逢えない家族の顔を思い出した。両親、二人の弟と二人の妹。水城家は裕福な家庭であり、同時に幸福な家庭の見本だった。杏樹はこの世界に来てから家族と暮らしていた頃を思い出さない日はなかった。
永遠はばつの悪そうな顔をして、歩に小声で話しかける。
「今の言及してよかったのかな……」
「いいんじゃない? どうせいつかは直視しなきゃいけないからね。それにこの集まりの中で口にする分には問題ないでしょ。僕も含めてここにいる皆はそのへんは割り切ってると思うよ」
歩は澄ました顔で言った。普段は感情をこれでもかとばかりに表すが、時折シビアな判断を見せるのが帆足歩という人間だ。永遠はこれまでの共同生活の中で、その性質を徐々に理解しつつあった。
「何やら難しい話をしていますね」
低音の心地よい声が耳に入る。永遠は声の主を見やった。
猫田真琴が銀色のトレイを持ち、立っていた。どこから調達したのか分からないメイドの制服を着こなしている。
「猫田さん」
「どうぞ。クッキーを作ったのでお持ちしました。徳山様と弦巻様との合作です」
真琴はトレイをテーブルの上に置いた。皿に盛られた小麦色のクッキーが鼻をくすぐる甘い香りを放つ。
「わー、良い香り」
「お、なかなか良い味」
クッキーを一枚つまんだ天麗が、舌に残るまろやかなバターの味わいに高評価を下した。
「吉田さんも言っていたが、この世界の食材も決して悪くない。工夫次第で何とかなる範疇だ」
「ですね」
「だな」
千紘の意見に、杏樹と晴臣が同意する。不満はあるが致命的ではない。それが現実だった。
「先程のお話を聞かせていただきましたが、クラスの皆さんは大なり小なり現状に不満を抱いておられるようです。お世話をしていると抑圧された感情をひしひしと感じることが度々あります」
「やはりそうですか」
杏樹は悩ましそうに額を押さえた。
「私もメイドとして今の生活にご満足いただけるようご奉仕しましたが力及ばず……忸怩たる思いです」
「そんな、猫田さんは十分に頑張ってくれています」
「そうだよ。皆感謝してるよ? 君の指導のお陰でここの家事は回ってるからね」
杏樹と歩が慰めると、真琴は微笑んだ。
自己紹介で自らをメイドと名乗った真琴は、その名乗りに違わない活躍を見せた。炊事、掃除、洗濯。日常生活における雑務は、彼女とその指導を受けた徳山真帆をはじめとする数人の協力者によって円滑に進められた。
真琴は現在の寮生活を根幹から支える柱だった。彼女のスキルは『奉仕』。その効果は“他者に奉仕することで、奉仕した相手に肉体的または精神的な変化を与える”というものだ。
料理を作れば、食した相手に活力を漲らせる。掃除をすれば、綺麗になった部屋を訪れた人物に清潔感のある居心地の良さを与える。衣服を洗濯をすれば、その衣服に身を包むだけで身体能力が格段に向上する。そんな多岐に渡る効果を、真琴はこれまでずっと発揮してきた。
真琴はここでの生活を続けるために、なくてはならない存在となっていた。そんな彼女はクラスメイトの内心に気づき、それを少しでも和らげるために手を尽くしてきたはずだった。それでも皆の不満が溜まるのを遅らせるのが限度だった。
「……そう言っていただけると嬉しい限りです」
永遠は真琴をじっと見つめる。彼女が慣れない暮らしを細かい部分で支えてくれた。彼女を認めていない人間はこの寮にはいない。だが、果たしてこのまま彼女の厚意に甘えていいのかと永遠は自問した。否、と彼は答えを出す。
「……問題があるのに人任せってのは良くないよな。俺たちも何かできることがあれば手伝おう」
「お、良いこと言うじゃないか久住」
他人任せが嫌いな天麗が、不敵な笑みを浮かべた。
(『絆』を鍛えるとどこまでいけるのか試してみたい気持ちもあるし……もう少し積極的になるのもいいか)
問題を解決すれば絆が深まるだろうという期待もあった。どのみち前に踏み出す場面がやって来るのなら、それが今でも早計ということはない。天麗との絆を紡いだ経験が、その方針を後押しした。
「何かあれば遠慮なく言ってくれ。できるかぎり力になるからさ」
「ありがとうございます久住様。機会があれば頼らせていただきますね」
真琴は年相応の笑みを見せ、礼儀正しく頭を下げた。
二日後、永遠はここで安請け合いしたことを後悔する。




