蔓の王
シーリア・ラングは苦い表情を作る。
「今迷宮が大きく揺れましたね。視える範囲に崩落した箇所はありませんが心配です」
「恐らく大物が動き始めたのでしょう。誰かがその大物と遭遇して刺激してしまったと見るべきです」
レイチェルは揺れの原因が、迷宮のどこかに潜んでいる大物――短時間で迷宮を生み出した元凶にあると推測した。そして、今まで活動する様子をまったく見せていなかったそれが活動を開始した理由は、生徒の誰かがそれと遭遇したからだとも考えた。
「急ぐ必要がありますね。大物がいるとすれば最奥部でしょう。早く迷宮の構造把握を終わらせないと……」
シーリアが疲れたように息を吐くと、レイチェルが眉を下げた。
「あまり無理しないでくださいね。複数の“眼”の同時運用で負荷がかかってるんですから。貴女に倒れられてはどうにもなりません」
シーリア・ラングのスキル『千里眼』は、自身の分身たる“眼”を生み出し遠隔操作するというものだ。一度に生み出すことのできる眼は三つまで。彼女はそれを活かして迷宮の構造把握や分布する魔物の事前調査を担当している。
この眼は行動範囲に制限はないが、同時に複数運用することで術者であるシーリアへの負荷が大きくなる。また、眼に戦闘能力は皆無であり、眼が魔物によって破壊されることもしばしばあった。
「無理をしてはいけないのは承知していますが、探索と情報収集ができるスキル持ちは私しかいませんのでここが踏ん張りどころです。順調に生徒の救助もできていますし」
「そこだけは安心できる材料ですね」
シーリアの眼は迷宮内に取り込まれた生徒たちを次々に発見することができた。彼女はただちにそこに辿り着くためのルートを割り出し、ミラたち《青嵐》の探索者たちがに救助に向かわせた。すぐにでも出動したかったミラは許可が下りるや否や、疾風の如く迷宮へ飛び込み、生徒たちを次々に救助していった。それは同じく救助に向かったライアックやリオなどを置いていき、一人で全員救い出さんとするような気合の入りようであった。
二人がいる部屋の外では、探索者に救助された生徒や自力での脱出に成功した生徒が集まりほっと一息吐いていた。安堵する者もいれば友人が未だ迷宮に取り残されている状況に不安を隠せない者もいる。
森重秋音が暗い顔をしている生徒たちに優しく声をかける。
「皆さん、不安に圧し潰されそうになる気持ちは理解できますが、危機的状況にある今こそ優雅に構えるべきですわ」
秋音は泰然自若として紅茶を一口飲む。甘い香りがふわりと漂い、気品ある微笑みが不安に駆られていた生徒たちを僅かに勇気づけた。このような状況下でも気高く己を保つことのできる秋音に、これが持てる者の余裕かと感心する者もいた。
だが、彼女と共に行動していた吉田志津、若松羅紋、東海林翼によって、その虚像は悲しく打ち砕かれた。
「こんなこと言ってるけど脱出するまで紅茶のカップ片手にがたがた震えてたよね?」
「カップの中身溢しながら歩いてて、全然冷静じゃなかったぜ」
「森重さんは凄いですね~。どんなに醜態を晒しても最後にそれっぽく振る舞えば全部帳消しになると思うなんて、とても前向きで尊敬します~」
「褒めてるのそれ……?」
東海林の褒めているか貶しているか分からない言葉に、志津が呆れる。
そんな会話を耳にしながらシーリアとレイチェルは会話を続けた。
「ここまで救助できたのは十九人。死者が未だ確認されていないのは良いことです」
「残りは二十二人ですか。そのうち所在が確認されていないのは?」
シーリアは答えた。
「六人です。織田くん、水城さん、陶山さん、帆足くん、星加さん、それに久住くんですね」
「ということは大物と遭遇したのもその六人の誰か、あるいは全員でしょうね」
レイチェルは眼鏡の奥の瞳を鋭く輝かせた。
(さて、間に合えばいいのですが……)
永遠たちは突如床を突き破って現れた巨大な蔓に圧倒されていた。
最初に我に返ったのは晴臣だった。
「逃げろ皆!」
その言葉で全員が一斉に動き出す。あれは不味いと本能が警鐘を鳴らしていた。これまで戦ってきた魔物とは違う。決して今の自分たちが気軽に戦っていい相手ではない。彼らの考えは完全に一致していた。
永遠たちは部屋の入口へと一直線に走る。蔓との距離は離れている。このまま逃げ切れるはずだ。
そう思った瞬間、入口周辺の床が大きく割れた。
先頭を走る晴臣が思わず立ち止まる。後方からついてきていた歩が晴臣の背中にぶつかって悲鳴を上げた。
彼らの目の前では床を割って生えてきた無数の蔓によって入口周辺の壁や床が破壊されていく。かつて道が続いていた場所は二十秒と経たないうちに完全に瓦礫の山に埋もれてしまった。
「何だよこれ!」
「塞がれた……!」
晴臣と歩は瓦礫をどかそうとするが、それをするには力も時間も足りなかった。背後では巨大な蔓が大きくうねっている。
「あれは間違いなく私たちを逃がさないという意思を持って行動している。どうやらやるしかないようだ。覚悟を決めよう」
千紘は蔓を直視しながら言った。その言葉で全員が現実を悟った。
あの魔物を倒さない限りここから出ることは叶わない。
彼らの覚悟が決まったその瞬間、戦いは始まった。蔓が永遠たちのいる場所へ向かって素早く伸びてくる。彼らは放射状に散らばり蔓を避けた。
「あれ捕まったら絶対ヤバいやつだよね!」
「恐らくあの穴の下に引き摺り込まれる! そうなれば一巻の終わりだ!」
千紘が蔓の根元部分を見やった。床に開いた大きな穴がどれほど深いのかは分からない。ただ、あの穴に引き摺り込まれれば致命的であるのは明白だった。
「うおっと!」
『浄化』を発動した右手で蔓に触れるチャンスを窺っていた晴臣が、間近で動いた蔓に驚いて飛び退いた。
「織田くん、無理はするな!」
千紘が叫ぶ。
晴臣は永遠の元まで走ると、荒く呼吸を繰り返した。
「『浄化』であの蔓焼けないかと思ったけど……ちょっと焦げついただけだった」
「大きすぎて少し触れただけじゃダメージがほとんど通らないんだと思う」
「あれだけ動き回るんじゃずっと触ってるのは無理だな……」
蔓の太さは直径一メートル程度で、ハリオオカミとはサイズに著しい差がある。あれを『浄化』で焼き尽くすには長い時間触れ続ける必要があると永遠は思った。
一方、歩は三体の魔物を操って蔓に攻撃を仕掛けている。ハリオオカミと梟が気を惹き、その隙に赤鎧が攻撃するというルーティンだ。
赤鎧の剣は巨大な蔓の表面にいくつもの傷をつけていく。しかし、完全に切断するには足りなかった。
そうしていると花についた目玉が歩の姿を捉えた。彼が魔物の主であると認識した蔓は、魔物を無視して術者を狙うことに決めた。弧を描くように飛んだ蔓が歩の身体を薙ぎ倒そうとする。
だが、彼の前に割り込んだ人間がいた。杏樹だ。
「帆足くん危ない!」
彼女は『聖痕』が放つ光を背に纏い、眼前に迫る蔓を見つめる。そして右腕を掲げ、蔓を真正面から受け止めた。蔓が一瞬硬直したのを杏樹は見逃さなかった。彼女は今度は右腕を振りかぶると、蔓を思い切り殴る。次の瞬間、蔓は鈍い音とともに反対方向へ弾き飛ばされた。
歩は繰り広げられたインファイトに感動して、歓声を上げた。
「水城さんありがとー! 凄いよー!」
「今の大丈夫なのかよ?」
天麗が蔓を受け止めたことを心配するが、杏樹は平気な顔をしていた。
「大丈夫です! 『聖痕』で強化しているのでまったく怪我はありません! それより敵は……」
皆は一斉に蔓が飛んでいった方角へ目を向けた。
蔓は地面に倒れ伏したまま動かない。遠くで見づらいが、よく見ると杏樹に殴られた箇所が破裂したようにぐしゃぐしゃになっている。蔓は薄い皮だけで繋がっているような状態で、薄い緑色の組織片と漏れ出た汁が床を汚していた。
「おお、倒した! 凄いじゃないか水城さん!」
晴臣が満面の笑顔にガッツポーズをとる。
だが、永遠は穴を注視しつつそれを否定した。
「いや、まだだ! 本体が残ってる!」
首を傾げた晴臣に、千紘が叫ぶ。
「久住くんの言う通りだ! 恐らくこの下に本体が潜んでいる! まだ倒せていない!」
その言葉で理解した晴臣は、すぐに気を引き締めた。杏樹は『聖痕』の発動させたままいつでも動けるよう準備し、歩はいざという時に仲間を庇えるように魔物たちを移動させる。千紘は深く息を吸い込み、視覚と聴覚を研ぎ澄ました。
場の空気が緊張に満ちる。
緊張を打ち破ったのは、突如床から鳴った何かが砕けるような音だ。
「ん? なんだ……」
天麗は足元を見下ろす。そして、自分が立っている位置を中心に床が大きくひび割れているのを目にした。
「そこを離れるんだ星加さん!」
千紘が警告を発するのと、天麗の真下の床が崩れ落ちるのは同時だった。
「あ……」
天麗の顔が絶望の色に染まる。誰もが驚愕に顔を歪めたまま動けず、彼女の姿が奈落へと消えていくのを見ていることしかできない。
否、一人だけ動けた人間がいた。
「捕まれ!」
永遠は思考するより先に身体が動いていた。彼は手を伸ばし、天麗の腕を掴み取る。雷に打たれたような彼女の表情が視界に入った。
そのまま引っ張ろうと力を込めるが、重心を失った彼の身体は穴の方へと傾く。
「トワ!」
歩の悲鳴を背中に受け、永遠と天麗は暗い穴へと落ちていった。




