セル(細胞)
初稿にちょこっと手を加えました。
体内で「彼」はたゆたっていた。樹状細胞のお姉ちゃんと手を繋いで、他の幹細胞たちに囲まれていた。
ある時。外界から迎えが来た。
お姉ちゃんと繋いでいた手を切り離され、体外へ。
ガラスのシャーレに置かれ、培養液に浸され、不思議な声を聞いた。
「お前の敵は、このウイルスだ。よく形状を覚えて間違わないように!」
戦意喪失して瀕死のウイルスが送り込まれた。
培養された彼は、ウイルスを飲み込んで、それが死滅するまでじっくりと相手の性質を読み込んだ。
「彼」は「彼ら」になって、体内に戻された。
「彼」を繋ぐものはない。体内を循環し、さまざまな組織に浸透した。
「やあやあやあ、我こそは、ウイルスb500!お相手願おう!」
変なウイルスと出会った。
「あいにく、俺の相手はあんたじゃないし、あんたの相手も俺じゃない」
「なにい?」
手近な白血球に見つかって、そのウイルスはスパイクを取り込まれて動けなくなった。やがてキラー細胞が集団でやってきてウイルスを一網打尽にした。
「いつだ?俺の敵はいつやってくる?」
戦意でめらめらと心が燃えた。
どくん。
宿主が不調になった。死滅する仲間の細胞、今度こそ敵が現れた。
「お前が死ぬか、俺が死ぬまで決闘だ!」
「ほう」
覚えこまされたウイルスの完全版だ。究極の力を誇る。
キラー細胞たちが援護に回るが、それさえもはねつけて彼はウイルスと闘う。
熱が発生して、宿主が苦しんでいる。
新型の強力なウイルスだ。
彼はそれを倒すためだけに存在する。
ファイト!!!
どこからか彼の分身の彼らが集まってきて、一個のウイルスに総がかりで立ち向かう。
手強い敵もこれには敵わない。
ウイルスの死滅。
喜びも束の間。同じ型のウイルスが向こうにいると伝達されて彼らは一斉に体液の流れに乗ってそちらへ向かった。
闘いに次ぐ闘い。
彼はいつしか強力になり、倒れても倒れても、死ぬまで立ち上がった。
いつか、お姉ちゃんと手を繋いでたゆたっていた頃の記憶が彼が死ぬ時走馬灯のように現れた。
闘いは勝利した。両軍に犠牲が出た。ウイルスは死滅して、宿主が健康体になった。
「先生、おかげさまでもうすっかり良くなりました」
「そうですか。よかった」
「注射された薬はどんなものだったのですか?」
「セル(細胞)の対ウイルス対策済みのものを注入しました」
「へえー」
「再生医療の一分野です」
医師が笑って言った。