第九話 男の敵意
「俺たちを助けにきた救世主……ってわけじゃあなさそうですねー」
そう言って、桜井は値踏みするような視線を男に投げかけた。いつも通り語尾を伸ばし、どこか相手を見下したような癖のある言い回しだが、その声色には拭いきれぬ警戒心が滲んでいる。それも当然だった。男の纏う殺気は、尋常なものではない。
「貴様らは、私が殺す。今、ここで」
男は刀に付着した血を薙ぎ払い、燃えたぎるような憎悪の目を二人に向けて言い放った。
男が駆け出すのと同時に、桜井の頬を弾丸が掠め飛ぶ。目線だけを動かしてその軌跡を追うと、隊列を成したPHGの職員たちがこの機に乗じんとばかりに銃口をこちらに向けているのが見えた。
「しつこい奴らですねー」苛立ちを顕にして、桜井は舌打ちする。
葛城は今一度辺りを見回して、
「桜井、ここは私が引き受けます。あなたは脱出口の確保を」
そう言うが早いか、自ら男の間合いへと身を投じた。
「律さん!」慌てて彼女の後を追おうとした桜井だったが、背後から湯水のように浴びせられる弾丸がそれを阻む。
「クソッ」桜井は悔しげに奥歯を噛んで、後方を睨めつけた。
男の斬撃が、葛城の痩躯目掛けて振り下ろされる。男は彼女が身を翻す一瞬の隙をついて、左手に構えた銃を撃った。乾いた銃声と共に、空気を斬る鈍い音が虚空にこだまする。
弾丸が彼女の肩を掠め、擦り切れた布の間からじわりと血が滲んだ。ピリリとした痛みが走り、思わず眉を顰める。
逃げれば撃たれ、近づけば斬られる。ゆえに間合いを詰めることもできず、葛城はただひたすら男の繰り出す攻撃を躱すことしかできずにいた。男がなぜ自分たちに敵意を向けるのか、その理由を推し量る間もない。
男の憎悪に満ちた目が、葛城の眼差しと交差する。その時にふと、彼女は違和感を覚えた。男の向ける眼差しが、自分を介して、別の敵を見ているように感じたからだった。
「あなたは一体、何と闘って__」
「貴様らのせいだ……貴様らさえいなければ!」
彼女の言葉を遮り、男は叫んだ。刀を握る手に力がこもり、刃先が小刻みに震える。
「貴様ら変異者のせいで、罪のない者が大勢死んだ……。貴様らは、生かしておけぬ。私がこの手で……根絶やしにしなければならない」
私たちのせいで、罪のない人が、大勢……?男の言葉に、葛城は混乱した。生まれてこの方、人を手にかけたことなど一度もなかった。組織を追われた今、組織に謀反を働くものとして命を狙われているのは理解しているが、それ以外、特に大衆に恨まれるようなことをした覚えは一切ない。
となると、男が目の敵にしているのは私たちではなく、変異者ということになるが__、葛城は男の眼差しの奥に眠る真意を探ろうと逡巡する。
以前からたびたび耳にする『変異者』という名称。これまで反逆者のような意味合いだと思って深く詮索することはなかったが、男の反応を見るに、何か特別な意味のある呼称であるように思われる。
しかし、その意味を噛み砕く間も無く振り下ろされた刀に、葛城は思考の中断を余儀なくされた。
一方の桜井は、後方で葛城たちの戦況に目を配りながら、立ち塞がる防護服の男たちを蹴散らしていた。
「てめえらの相手はそっちじゃねえんです、よ!」
葛城に向けて銃の照準を合わせる男の頭を殴り飛ばし、辺りを見回す。地面を埋め尽くさんばかりに転がる気絶した兵士たち。しかし、退路の一つも開ける気配がないのは、倒せども倒せども、それと同じ、もしくはそれ以上のペースで増援が現れるからだ。流石世界を担う肩書きを背負うだけあって、どれだけ犠牲者を出そうともこちらを逃さぬ魂胆らしい。
「雑魚兵士どもがわらわらと……。うじ虫はうじ虫らしく、地を這ってんのがお似合いだっつーんですよ」
はっ、と息を一つ吐き出し、左手を構える。確実に疲労が蓄積し始めているのか、筋肉は軋み、身体は鉛を着けられたかのように重たい。
自分の身に鞭打つことなど慣れている。それ以上に今は、彼女のことが心配だった。早くこの辺りの敵を片付けて、彼女の手助けに回らなければ。
胸に入り込んでくる不穏な陰りを払拭し、敵陣へ駆け出そうとした時だった。不意に視界の端を蠢く影に、桜井は目を見開く。
先ほどまで地面に伸びていたはずの兵士の一人が、懐に忍ばせていたらしき拳銃を構え、徐に引き金に手をかけるのが見えたからだった。その矛先は自分ではなく、葛城の足元に向けられている。うつ伏せになっていたせいで、直前まで銃を装填していることに気がつかなかった。
「しまっ……!」切羽詰まった声が口から漏れ出す。ダメだ。間に合わない。
「律さん__!」彼女の名を叫ぶ。それと同時に、乾いた発砲音が辺りに鳴り響いた。
葛城が、男から放たれる幾度とない斬撃を交わすべく右足を後ろへ下げようとしたその時だった。突然、彼女の身体が支柱を失ったようによろめき、体勢が崩れる。
「なに__!?」振り下ろされる鈍色の刃に、葛城は咄嗟に受け身を取り、地面を転がるようにして斬撃をかわす。その際、右足から大量の血液が流れ出るのを目にしてようやく、葛城は自身が撃たれたことに気がついた。
右足全体が痺れたようになり、うまく力が入らない。それでもなんとか地面に手を付き立ち上がろうとする葛城の額に、ヒヤリとした固い感触が走る。
「……ここまでだ」銃口を彼女の額に突きつけ、男が言った。
「恨むのならば、貴様を生んだこの世界を恨め」
引き金に手をかける。
己の目前に迫る死から逃れようのないことを悟った彼女は、観念したように瞳を閉じる。次の瞬間、聞き飽きた銃声が空を裂き、
「ぐっ」
男の呻き声とともに、額を押しやる冷ややかな感触が消え失せた。目を開くと、膝に手をつく男の痛みを堪えるような険しい表情が目に入る。男の所持していた拳銃は、男から数メートル離れた地面に吹き飛ばされていた。
男が顔を上げ、忌々しげに横を睨みつける。その視線の先を辿るようにして振り返ると、そこには拳銃を片手に息を切らす桜井の姿があった。
「桜井!」
叫んだ後で、はっと前を振り返る。男はすぐさま右手の刀を振り上げ、鈍色に光る刃を葛城の肩目掛けて一直線に振り下ろした。
肉に刃先が食い込み、ぱっくり割れた傷口から鮮血が噴き出す。
「なに……!」しかし、その光景を目にした男の口から漏れ出たのは動揺の声だった。
自らの手を犠牲にして男の刃を受け止めた葛城は、男の動揺して力の緩んだ一瞬の隙をついて、右手を支柱に身体を半回転させ、男の腕を蹴り上げる。刀はあえなく男の手から離れ、宙へと弾き飛ばされた。
そのまま左足を軸に着地した葛城は、回転しながら落ちてくる刀の柄をそちらを見ずに手に取ると、男の肩に切っ先を突きつける。
「……殺せ」
しばしの沈黙ののち、諦めたように男が言った。男の目の中で燃え盛っていた殺意と憎悪の炎は、今や失意と悔恨の波に呑まれ見る影もない。
「所詮あがいたところで……私は貴様らのなり損ない。貴様らの細胞で作られた模造品になぞ、生きている価値はない」
葛城は何も言わず、項垂れる男を静かな眼差しで見下ろした。男は続ける。
「気づいた時には、私はすでに手足を鎖で繋がれていた。その前の記憶は、よく覚えていない」




