第八話 変異者
ここまでは順調だ。順調に行き過ぎているほどに__。
メモリーカードを入手したことに少なからず安堵していた葛城は、本部を出るまで、その違和感に気づかなかった。ビルを包囲するように並ぶ群勢に気づいてようやく、自らが未だかつてない窮地に立たされていることを知る。
その群勢は、分厚い防護服に身を包み、個々人の姿は視認できないものの、おそらく千をゆうに超える人数を携え、二人を取り囲むようにして銃、それも小型ではなく自動小銃と思しきものを構えて立っていた。これほどまでの人員を短時間で用意できるのは、PHGを置いて他にはいない。
「あっちゃー。見つかっちゃいましたねー」桜井はさして動揺した様子もなく、左手を挙げて軽く伸びをする。
ふと、群勢の真ん中で、一人の男が拡声器を持ち上げるのが見えた。
「『手を挙げろ!』とでも言うんでしょうかねー」
桜井が次の発言を予想する。
「__撃て!」
しかし、男の放った言葉はそれ以上に単純明快、かつ交渉の余地のないものだった。その声を合図として、手前の群勢が一斉に銃口をこちらへ向ける。
「権力者様お得意の実力行使ってわけですか。いいですね、そう来なくっちゃ!」桜井の眼光がギラリと光る。
二人は示し合わせたように頷き、ロングコートの襟足に手をかけた。
けたたましい発砲音が辺りに鳴り響く。同時に彼らの脱ぎ去ったそれに無数の風穴が空いた。
「やつらはどこだ!」
「おいっ、見ろ、前、前っ!」
気づいた隊員の一人が慌てて仲間に声をかける。しかし、銃の照準を合わせる間も無く、男の身体は地面に伏した。
「なに……!」もう一方の男がくぐもった声を防護服の隙間から漏らす。
部隊が宙を舞い踊るコートを狙撃している隙に、素早くその懐へと回り込んでいた葛城は、倒れた男の前に立ち、後方へ視線を投げかけた。
「相手はたったの二人だ!撃て!撃て!」
どよめく部隊。その士気を取り戻すように、拡声器越しの叱咤が駆け抜ける。
「くそっ、なんだってんだ!」一人の男が、その声に触発されたように、彼女の背に向けて出鱈目に銃を発砲した。
しかし、弾丸は彼女の身体をすんでのところで掠め飛んでいく。その様は、まるで、弾丸の方が彼女を避けているかのように錯覚させた。
次の瞬間、彼女の鋭い膝蹴りが男の腕を突き上げる。思わず口から漏れ出たぐぁっ、という呻きとともに、男は固いコンクリートに頭を打ち付け失神した。
葛城はすかさず男の手から離れた武器を奪い取り、間髪入れずに浴びせられる銃弾をその胴体でもって防ぎ切る。
また一人、勇敢な男が銃を投げ捨て彼女に飛びかかったが、尖った銃口の先を脇腹に突き立てられたことで、あえなく撃沈した。
「なんだ、あれ……」
「ば、化けもんじゃねえか……」
葛城の人間離れした技を目の当たりにした隊員たちの動揺は、水面のように部隊の間を伝播する。千を超える人員を持って作られた包囲網は、ものの数分も立たないうちにその形勢を崩されていった。
「何をしている!怯むな!」
「あなたこそ、そんなところで喚いてないで一緒に戦ってあげたらどうなんですか?」
「なに__」
拡声器をもたげて隊員に指示を飛ばしていた男は、突如背後から投げかけられた声にはたと動きを止める。
脊髄反射で振り返る男の顔面に、桜井の拳がめり込んだ。
男はそのまま数メートル後ろに吹き飛んで、地面に顔面を擦り付ける。男の顔を覆っていた防護マスクは殴られた拍子に外れ、苦悶に満ちた表情が隊員たちの足元に晒された。
「人に向かって偉そうに命令するならまず身の安全を確認してからじゃないと。こうやって足元掬われちゃいますよ?」
悪役顔負けの台詞を言い放つ桜井に、すっかり戦意を削がれてしまったらしき隊員の一人がひっ、と情けない声をあげる。
「さーてと、律さんは……」
桜井は軽く首をひねって左右を見渡し、闘争の渦中にいる葛城の姿を視線の端に捉えると、飛んでくる弾丸をダンスのステップを踏むかのように翻しながら、
「よっと」彼女の背後でサバイバルナイフを振りかざす男を蹴り飛ばし、その華奢な背中に自らの背を合わせた。
「いやー、それにしてもキリがありませんねー」
そうこうしている間にも、パトカーからボディアーマーを着用した隊員たちが続々と降り立ち列に加勢していく。深夜にも関わらず、辺りはサイレンの音とパトランプの点滅する光が入り混じり騒然としていた。
このまま体力を削られ続ければ、いずれこちらが押し負けてしまうことも、想像に難くない。
強行突破も視野に入れるべきだろうか、と考え始めていた葛城は、ふと、パトカーの連なる路上で何やら不審な動きがあるのに気づき、目を留めた。
「お前、何者だ!」
列をなしていた隊員の数人が異変に気づき、そちらへ駆けつける。直後、彼らは赤黒い血飛沫をあげてパトカーのボンネットに倒れ込み、その白い車体を赤く彩りながらずるりと地面に転がり落ちた。
「何事だ!」
「まさかまた変異者か……!?」
「おのれ!やつもこいつらの一味か!」
「違う……」
部隊から噴出する混乱の声を拾い上げた葛城は、鮮血を吹き出して倒れる隊員たちを呆然と見つめて呟く。
違う。この殺気は、間違いなく、私たちに向けられたもの__。
刹那、乾いた銃声が空間を切り裂いた。
手前の隊員が握っていたライフルが、ごとりという音とともに地を跳ねる。間髪入れずに肉を切り裂く鈍い斬撃音が響き、彼女たちの前に立ち塞がっていた男たちは一斉に崩れ落ちた。
死体の織りなす一本の道の前に、一人の男が立っている。その男は、赤い液体の滴る刀を右手に、発砲したばかりで未だ硝煙の立ち上る小型銃を左手に構え、地の底から湧き上がるような殺意をその目に宿していた。
「貴様らが、変異者だな」




