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第六話 お使いメモ

 目の前に、小さな子どもが蹲っている。背中を向けているため表情を窺うことはできないが、丸めた背中を震わせるその姿は、葛城の憐憫の情を煽るのには十分だった。


 彼女はその子どもに手を伸ばそうとする。しかし、子どもは彼女の手が届くすんでのところで振り返り、満面の笑みをその顔に浮かべた。


『__師匠!』


 子どもは葛城の伸ばした腕をすり抜けて、師匠と呼ばれた男の元へ駆け寄る。


 男は口元に柔らかい微笑みをたたえて、膝に擦り寄った少女の深紅の髪を優しく撫でた。少女の頭をすっぽり包んでしまいそうなほど大きく、そしてしなやかな手だ。その手に、葛城は見覚えがあった。忘れるにも忘れられない、大切な人の温もりが、すぐそこにある。


「師匠……!」気がつくと、彼女はその男に向かって手を伸ばしていた。白銀の髪を揺らしながら、彼は笑って、向かってくる彼女を受け入れるように両手を広げる。


 彼の胸板に飛び込んだ次の瞬間、葛城の手に、ぬるりとした感触が走った。


「え……?」


 男に抱きついた己の手から、赤黒い液体が滴り落ちる。茫然と立ち尽くす彼女の前で、男は血を吐きながら、尚も柔和な笑顔をその顔に浮かべていた。


 その口が、彼女に向かって何事かをささやく。その声は、彼女の耳には届かなかった。代わりに両手にへばりついた血液が彼女の身体を這い上がり、呪詛を刻むようにその皮膚を喰い荒らしていく。


「あ、いや、いや……」彼女は顔を覆ってその場に崩れ落ちた。

「私が、私のせいで、私が師匠を、私が……」

 己の身体をつんざくようなノイズが辺りに鳴り響く。やがて、彼女の視界は黒く染まった。


***


「律さん、りーつさん」


 頭上から呼び掛ける馴染みのある声に気づき、葛城は瞼を開いた。いつのまにか眠っていたらしい。焦点の定まらない瞳をしばらく宙にさまよわせ、周りの景色がはっきりと見えてきたところで、桜井の肩に預けていた身体を起こす。彼は目を擦る彼女の姿を見て、ふふ、と小さく笑みをこぼした。


「おはようございます。本部へは、次の駅で降りるのが一番近いみたいですよ」

「そう、ですか」

「律さん、大丈夫ですか?無理してない?」


 桜井の鶯色の瞳が、心配そうに彼女の瞳を覗き込む。桜井は、葛城のこととなると微細な変化も見逃さないほどの卓越した観察力を発揮した。彼女のいつもと違う声色を敏感に察知した桜井の問いかけに、葛城は視線を合わせることなく「問題ありません」とだけ答える。


「少し……夢を、見ていたようです」


 夢の内容ははっきりとは覚えていないが、おそらく心地の良いものではなかったのだろう。ざわつく胸を抑えるようにして、彼女は呟いた。


 ほどなくして、人工音声による車内アナウンスとともに、列車がぐんと速度を落とす。二人は立ち上がり、ドアのガラス窓から外を覗き見た。桜井は窓に目を向けるや否や「ああ、あそこですね」と確信めいたことを言う。


 建物が所狭しとひしめき合う中、一際その存在感を露わにするビルが一棟あった。青白い光でライトアップされていて目につきやすいことはもちろんだが、なにより特徴的なのは、その構造である。


 通常のビルは直立不動の直方体の形をしているが、そのビルはグニャグニャと曲がっていて、見る者にどこか不安定な印象を抱かせる。DNAの二重螺旋構造に近しいその構造は、どうやら一定の階数を経るごとに棟の向きをズラした造りにすることで成されたものであるらしい。


「趣味わっる」、と桜井がぼやくのと同時に、扉が開いた。


 電車の窓からでもその個性が一目瞭然だったPHG本部は、間近で見ると、今にも建物の一部が崩れ落ちてきそうな嫌な臨場感がある。建物の一部が突出し、頭上の光が遮られているために周囲は薄暗く、威圧感も一入ひとしおである。


「本当、いい趣味してますねー」天に顎を突き出し、桜井は換言した。はんっ、と大袈裟に鼻を鳴らして、軽蔑するような、睨むような眼差しを螺旋へ向けている。


 葛城は彼のぼやきを背に胸ポケットから例のICチップを取り出すと、掌に乗せて観察する。表向きは、なんの変哲もない、クレジットカードにでも使われていそうなものと変わりない形状だが、PHGの発行するICチップはそれを遥かに超える膨大な情報を蓄積している。個人の家族構成から、所属先、担当任務、その成否まで、ありとあらゆる情報がこの小さなチップ一つに集約されているのだ。しかもそのICチップの電子配列は個人によって異なっており、割り振られた所属先以外への立ち入りはできないようになっている。当然この作り方は秘匿されており、生半可な技術では改竄などまず不可能に近い。


 本当にこれで入れるのだろうか。


「まさか、俺たちがまたPHG職員になれる日が来るとは思いもしませんでしたね」


 にわかに疑問に思う葛城の心の内を知ってか知らずか、桜井は彼女の横に並んで皮肉を飛ばす。


「しかも下っ端の特別捜査課から本部までひとっ飛び。とんでもない栄転ですよ。コイツが本物ならね」

 

 桜井の皮肉は止まらない。道端に唾でも吐きかけんばかりの勢いで語気を荒げる桜井を、葛城の手が制した。


「悩んでいても仕方がありません。私たちは、ただやるべきことをやるだけ」


 そう言って、親指の腹ほどの大きさのそれをPHGと金糸で刺繍された薄い手帳に挟み込むと、徐に入り口に向かって歩き出す。


 桜井は彼女の後を追いながら、なおも不満げに唇を窄めていたが、彼女の後に続き、ICチップを認証画面に近づけた。


__認証シマシタ。


 次いで画面から放たれた無機質な人工音声に、二人は思わず顔を見合わせる。パズルのように複雑に重なり合い頑として二人を遮っていた扉も、開くときは音もなくあっけないものだった。


「マジで開くんですか、コレ……」


 桜井はICチップと認証画面を交互に見て、信じられないとばかりに目を丸くする。いつもは桜井の言動を咎める葛城も、これには頷かずにはいられなかった。

 しかし、驚いている場合ではない。組織への侵入はあくまで第一関門を突破したに過ぎないからだ。自分たちの真に果たすべき目的は、ハリスの言う「南京錠」を持ち帰ることである。


 葛城は気を取り直して、桜井に「ハリスさんのメモを見せていただけますか」、と尋ねた。


「ああ、『お使いメモ』ですね」


 桜井は思い出したように呟くと、ズボンのポケットから二つ折りにしたメモを取り出し、葛城に渡す。彼女は片手でそれを受け取り、ドアを潜った。


 時間はすでに午前2時を回っている。葛城は腕時計を見、続いて一通り辺りを見回し耳を澄ませてみるが、聞こえてくるのは自分たちの微かな息づかいと足音だけで、別段人のいる気配はなかった。業務時間外を狙ってはきたものの、常駐警備員の存在を懸念していた葛城にとっては嬉しい誤算である。


 行きましょう。彼女は桜井へアイコンタクトを送り、頷く彼を尻目に内部へと足を踏み出した。


 薄暗い棟内の合間を縫うように設置された電光掲示板の発する心許ない光を頼りに進むと、やがて大きなエレベーターが見えてくる。彼女はそこで足を止めて、改めて桜井から受け取ったメモを開いた。


「F7、305……」メモに書かれた言葉を反芻していると、横から桜井が言う。


「Fってのは階数の意味がありましたよね。さしずめ、目的地は7階の305号室ってところでしょうか」

「……おそらくは」彼女は頷くが、その声色にはどこか釈然としない響きがあった。


「何か気がかりなことでも?」例に漏れず彼女の声色の違いを敏感に察知した桜井による問いかけに、少し思考を整理してから答える。


「通常『お使いメモ』と称されるものには、その場所ではなく必要な品物を書くことが一般的です。しかし、ハリスさんのこの書き方では、場所は分かっても目当てのものが何なのか判断できません」


 桜井はうーんと唸ってから、


「書き忘れとかじゃないんですか?アイツ、いかにもそういうことしそうですし」


そう言ってハリスに対する嫌悪感を露わにする桜井に、葛城は首を横に振って、


「桜井。人を見かけで判断してはなりません」


と彼の言動をたしなめる。


「だって見かけ以外に判断する要素ないんですもん」

「そんなことは——」否定しようと口を開く葛城を遮るように、エレベーターが到着を知らせるベルを鳴らした。


「お。きたみたいですね。行きましょうか」


 すっかり返答の隙を奪われてしまった彼女は、彼へ言葉を返すことは諦め、間もなく開いた扉に乗り込むと、話題とともに逸れかけた意識を眼前へと戻そうとする。


「とにかく、詳しいことは__」

「行けばわかること、ですよね?」


 彼女の呟きは、次なる言葉を予期していた桜井の手によって、またしても遮られてしまった。思わず閉口する葛城の横で、桜井がしたり顔でくすくすと笑う。


「律さんのことはなんだってお見通しですから」


 彼の相変わらずの言動は、葛城に天を仰がせた。

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