第四話 ハリスという男
男が目覚めたと病院から連絡が入ったのは、それから三日ほど後のことだった。
「南病棟、201号室です」受付嬢は二人に面会許可証を差し出しながら言う。「面会の際は、こちらを各病棟のスタッフにお見せください」
白一色で統一された院内で、黒いロングコートに身を包んだ二人の出で立ちはどこか物々しく、病棟を行き交う患者の視線を集めるには十分だった。彼らの好奇の目を掻い潜るように足早に目当ての病室の前まで来た葛城たちは、患者名簿を確認する。表札に掲げられた男の名はハリスと言った。
葛城はドアを軽く三度ノックし、「失礼します」と声をかける。中から応答はない。窺うような眼差しを向ける葛城に、桜井は軽く首を竦める。他人の病室に無断で入るのには少し抵抗があったが、調査のためと思い直し、意を決して引き戸を開けた。
開けた瞬間、病室にはそぐわないくぐもった匂いが鼻をつく。
「よぉ、嬢ちゃん……と、もう一人か」
言いながら、男は鷹揚と咥えた煙草を外し、開けた窓の外に向かって白い煙を吐き出した。
「ハリスさん、とおっしゃるんですか」
「まあな」葛城が尋ねると、男は横目で彼女を一瞥して首肯する。
「……病室での喫煙は禁止事項と伺っておりますが」
「そう堅いこと言いなさんなって。これくらいしか楽しみがないんだ。個室だし誰にも迷惑かけちゃいないだろ」
彼女の注意をものともせずに、煙草の灰を窓の外へ落とすハリスに悪びれた様子はない。
「随分と横柄な物言いですねー。あなた、自分の置かれた状況が分かってないんですか?」
「そいつぁあんたらだって同じこったろうよ」
ハリスはくつくつと喉を鳴らして笑った。怪訝そうに眉を寄せる桜井に向かって、副流煙混じりの息とともに嗄れた声を吐き出す。
「あんたらだって、あんな現場をまじまじと見ておいて自分たちがまだ職場で働けるとは思っちゃいまい」
「では、やはり貴方は先日の件について何か知っておられるということですね。そのことについて、少しお聞かせ願えますか」葛城が男の元へ進み出て言った。
「そんなこと、知ってどうしようってんだ」
「PHG……プロテクト・ヒューマンズ・ガバメントは、人々の保護を目的として設立された組織です。本来人々の人権を保護する立場にある組織が、人身売買を黙認、ひいては容認しているこの現状を看過するわけには参りません」
「じゃあ、なんだ。あんたらはたったの二人でその組織に下克上しようってのか?世界公認の組織に?」
ハリスは二人の姿を上から下まで舐めるように眺めまわすと、小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。「寝言は寝て言えってんだ」
「お前……っ」
「相手がどんな規模であろうと関係ありません」
憮然として言い返そうとする桜井を制し、葛城は努めて冷静に言い返す。
「我々には、正しいことをする義務があります」
彼女の言葉を聞いたハリスは、不意に神妙な顔つきになって黙り込んだ。無精髭の生えた顎先に手を当てて逡巡するように視線を床へと這わせる男に、桜井は盛大なため息を吐いて、葛城の肩を軽く叩く。
「律さん、こいつじゃ話になりませんよ。もっと別の誰か探して……」
「……良いだろう」
「は?」そのまま葛城の袖を引こうと伸ばした桜井の手は、ハリスの言葉に行き場を失った。
「あんたらのやろうとしてることは、俺にとっちゃぁ正気の沙汰とは思えねえ。だがまあ、どうせ明日の命も分からねえのはお互い様だ……っと、あちち」
胴の短くなった煙草の燃えかすが、彼の指先をちりりと焦がす。思わず顔をしかめたハリスは、そのまま煙草を窓の外へと投げ捨てた。
「なら、ちょっとくれえ冒険してみてもいいかと思ってな」
そう言って、枕元をまさぐり、取り出した新しい一本にライターで火をつける。
「では、教えていただけるのですね」
葛城の瞳に一縷の光が差し込むのを見て、桜井は慌てたように彼女とハリスの間に割って入った。
「ちょ、ちょっと律さん……!こんな奴信用しないほうがいいですって絶対」
「ああ、良いぜ。いかした兄ちゃんらの頼みだ。聞いてやらなきゃ道義に反するさ」
「何が道義ですか。さんっざん俺たちをバカにしておいて何を今更」
「っと、その前に、だ」
男は人差し指を糸を引っ張るように何度か手前に動かして、二人に軽く手招きする。葛城の視線の先で、眉間にしわを寄せて首を横に振る桜井の姿が映ったが、彼女は見て見ぬ振りをした。
「一つ頼まれてほしいことがある。あんたらの欲しい情報は、そいつと引き換えだ」




