第十二話 危機一髪
どぷり、という音とともに、車体が灼熱の海に沈む。金属の波がうねりながら押し寄せ、およそ2tもの重量のある金属の塊を瞬く間に液状化させていく様は、まるで生物が食物を消化する一連の流れを再現しているかのようだった。
完全に溶解炉の一部と化した車の成れの果てを見下ろす男が1人。言わずもがな、PHGの職員だ。彼は徐に懐から無線機を取り出し、
「__始末、完了しました。メモリーも焼却されたものと推測されます」
上部へ連絡を繋いで状況を簡潔に報告すると、もう一度確認するように中を覗き込む。そして異常のないことを確認すると、手を軽く上げて後続車に合図を出し、来た道を引き返して行った。
エンジンの駆動音が遠ざかり、辺りが静謐に満ちる。
その時、溶解炉の縁からぬっと5本の指が伸び、見慣れた金髪が顔を出した。
「っぶねぇええ……危うく死ぬとこでしたよ」
幅1mほどの小さな足場へと這い上がった桜井は、汗で張り付いた前髪を払い、つと下に向かって手を伸ばす。
彼の差し向けた掌の先には、梯子に捕まりこちらを見上げる葛城の姿があった。
彼らの飛び込んだ溶解炉は円形状になっており、外周を取り囲むようにして、炉蓋と呼ばれる人1人分の幅のある突き出し板が付いている。桜井が足場としたのはその突き出し板だ。そしてその下には、作業員が定期メンテナンスの際に用いる鉄製のはしごがかけられている。
あの後、急降下する車から咄嗟に身を外に投げた彼らは、その梯子に飛び移ることで運良く煮えずに済んだ。
さらにこの炉蓋が外部から内部を覗き込んだ際に死角となり、追手の目をくらます事に成功。彼らによる追撃をも免れることとなったのである。
桜井は、差し出された彼女の手をしっかりと握り、勢いよく上へと引っ張り上げた。
「感謝します」
「どういたしまして、Sweetie」
下から湧き上がる熱気がぐらぐらと空気を揺らす中で注がれる、それに勝るとも劣らない熱視線に、葛城は呆れとも困惑ともつかない表情を浮かべる。彼女の後に続くようにして、男も足場に乗り上げ、3人は一堂に会した。
桜井の視線から逃げるように目を逸らしていた葛城は、ふと思い出したようになって彼の方に向き直る。
「桜井、メモリーカードは」
聞かれた桜井は一瞬ぽかんと口を開けて、ハッとしたかと思えば、わなわなと唇の端を震わせ始める。嫌な予感が背筋を伝い、「まさか」と目を見開いたその時、葛城の目の前にずいと掌が近づけられた。
「なーんて、ちゃんと持ってますよ。びっくりしました?」
彼は指の間に挟んだメモリーカードを顔の横に持っていき、いたずらが成功した子どものように愉快げに口角を上げる。律はいよいよむっとして、彼の頭を軽く小突いた。
「あいたっ」
「今はふざけている場合ではありません」
「えへへ、はーい」
返事を返す彼の声色には、懲りた様子は微塵もなく、どこか嬉しそうな響きすら感じ取れる。葛城は桜井の相変わらずの言動に呆れたが、同時に、窮地から脱したことに少なからず安堵もしていた。
「こちらから、外へ降りられます」
2人の会話がひと段落ついた丁度その時、彼らのやり取りを背後に辺りを探っていた男が、下へ続く螺旋階段を見つけて声をかける。
「わかりました。……行きましょう」
葛城が応え、腰を上げる。しかし、安心して力が抜けたのか、はたまた右足の負傷が意想外にも重傷だったのか、彼女は立ち上がった拍子にバランスを崩し、もつれた足が空を切った。
再び奈落へと投げ出されかける彼女の腕を、男の手が掴み、引き寄せる。
咄嗟に顔をあげた葛城と男の目があった。その瞳孔は猫のように縦に長く、夜露に濡れ艶やかに咲く藤を彷彿とさせる色味をしている。
先刻まで冷徹な殺意を向けるばかりだった彼はいま、心配を色濃く滲ませた表情でこちらを見つめていた。
「……ご無事ですか」
「はい。ありがとうございます」
「……」礼を言われてからも、男は神妙な顔つきで葛城を見据えたまま動こうとしない。不思議に思った葛城が声をかけようと口を開いたその時、
「いつまでそうしてるつもりですか」
彼女の言葉と代わるようにして、桜井の冷ややかな声が男に投げつけられた。
男は弾かれたように顔をあげて、慌てて彼女の手首を握る拳を解く。桜井は葛城と男の間に割って入り、男を鋭い眼光で睨みつけた。
「律さんを助けてヒーロー気取りですか。先に傷つけたのはアナタだってこと忘れてません?調子乗ってんじゃねえですよ、クソが」
今まで募らせた鬱憤を唾棄する勢いで吐き捨てる。
「てめえさえいなけりゃ、律さんがこんな目にあうことだってなかったんですよ」
「桜井、やめなさい。私が助けられたことは事実です」
「でも__」言葉を返そうとする桜井に、葛城はかぶりを振って言った。
「よく言うでしょう。昨日の敵は今日の友と。初めてことわざを実現できたかもしれません」
「いやっ、昨日の敵は今日も敵ですよ!律さん忘れちゃったんですか!?コイツ俺たちを殺そうとしたんですよ!」
「誰にでも過ちはあります。少なくとも今、彼に私たちを殺める意図はないはずです」
敵愾心をむき出しにして男を威嚇する桜井を窘めるように、葛城は続ける。
「それに、彼がいなければ、我々は今頃PHGの包囲網に敗れていたことでしょう。我々には彼に感謝する理由はあれど、責める道義はありません」
「律さんは優しすぎるんですよ、こんなヤツに感謝とか反吐が出ます!」
桜井はなおも眉間に深い縦皺を寄せて嫌悪感を丸出しにしていたが、ふと思い直し、表情を元に戻した。
「……まあ良いです。アナタとはこれっきり。もう一生会うこともないでしょうし?最後の贖罪が出来て良かったじゃないですか。分かったらさっさと消えてください?」
「……そのことですが」
男は桜井の言葉を無視して、背後にいる葛城に視線を合わせ、首を垂れる。
「私も、貴方と行動を共にさせていただきたく存じます」
「ハァ!?てめえこの期に及んで——」
「……なぜ?」
今にも男に掴み掛からんとする桜井の首根っこを掴んで止め、葛城が尋ねる。純粋な疑問だった。男は彼女の問いにしばし瞑目し、自身の胸の内を訥々と語り始める。
「私は、復讐として沢山の人間をこの手にかけました。本当は分かっていたのです。復讐の果てに残るものなど、何もないと。……しかし、あの時の私には、そうするしか道がなかった。記憶を失い、生きる意味すらも失った私には……ただ、剣を取り、犠牲となった者たちの無念を晴らすことでしか、己の存在している意味を、肯定できなかった」
男は胸の前で拳を固く握りしめ、顔を上げた。
「しかし、貴方は私に、剣を振るう意味を、私が生きる意味を、与えてくださった。私が私として生きる権利。それは、貴方がいなければ、貴方があの時、私に慈悲をかけてくださらなければ、一生気づくことができなかったものです」
確固たる眼差しが、葛城を射抜く。
「元は貴方に救われた命。この命をもって、私は貴方をお護りする。そのために、この剣を振るう。それが今の私にできる唯一の贖罪であり、唯一の選択です。……どうか、ご承諾いただきたく」
そう言って再度深々と頭を下げる男に、葛城は静かに歩み寄り、その肩先にそっと手を添えた。
「……私に、あなたの意思を左右する権利はありません」
「それは……つまり」
「私にできるのは、あなたの選択を尊重することだけ。ゆえ……あなたを、歓迎いたします」
彼女から発せられた言葉は、男の申し出を諾するものに他ならなかった。
男は彼女の返事を噛み締めるように俯き、「身に余るお言葉です」と、恭しく感謝の意を述べる。
かくして、2人の間に、今後新たに行動を共にする仲間が参入することとなった。しかし、この状況に納得していない1人は、当然のことながら良い顔をしなかった。
「俺は、アナタを仲間だなんて認めませんよ」
「私とて貴様と仲間になった覚えなどない」
どうやら男の慇懃な態度は葛城にのみ向けられたものであるらしい。フンと鼻を鳴らして自身の放つ悪態を軽くあしらう男に、桜井の奥歯がギリギリと音を立てる。
「律さんと俺はパートナーなんですよ!アナタが入る余地なんざこれっぽっちも残ってないんです!」
「どうだかな」
「2人とも、早く降りましょう。これ以上ここに居座るのは危険です。この辺りは非常に高温ですゆえ、気道熱傷をする危険性があります」
葛城の静かな促しは、ヒートアップする彼らの口論を鎮める打ち水のような働きをした。
2人ははたと我に帰り、こちらに小さく手招きをする律を追いかける。
隣で同じように歩き始めた男と目が合うと、桜井はもともと鋭い視線をさらに一層鋭く尖らせたが、それ以上何か言い返すことはしなかった。




