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こんなに穏やかに過ごせるなんて、と宵月はほっと一息吐いた。
家族にも、姉の番にも合わない日々がこんなにも楽だなんて彼女は思っても見なかった。鬼の姉への態度を見ていたからなんとなく知っていたが、番にかける異種族の愛というのは非常に強いらしい。
髪も、肌も、十分にケアされて、怪我は手当をしてもらえる。囁かれる言葉は甘く、一気にダメ人間への階段を駆け上がってしまいそうだと宵月は苦笑した。
「宵月」
「晴明さん!」
名前を呼ばれて、本を畳む。
おかえりなさい、と口に出すと晴明は嬉しそうに笑った。
「学校はどうだった」
「随分と過ごしやすくなりました」
家から離れたことで虐げられることもなくなり、本来の穏やかな面が押し出される。
どんなことがあったのかを聞きながら、時折相槌を打つ晴明の視線は蕩けるように甘い。
晴明は時折明るく、弾むように話す宵月を見ながら、連れ出してよかったと心の底から思っていた。
宵月の両親はまだ何か言ってきていたようだが、会社の方に圧をかければそれも無くなった。警戒を解くわけにはいかないが、それでもまともな思考であればもう関わりたいとは思わないだろう。
晴明には番を得た者特有の、番にしか興味を持たないという特性が表れていた。
元々、彼らは番を手に入れるためだけに地上で相応の地位を築いてきたのだ。そうでなければ、住みにくい下天になど降りはしない。
あとは相手を連れて天上へと戻ってもいいくらいの気持ちではあるが、“人”にとっては天上の世界は生きにくい。少なくとも神の力に馴染むまでは。
人が神の力に染まるまでには少し時間がかかる。神にしてみれば、一瞬の瞬きの間ではある。けれど、待ち遠しいと感じてしまうのはきっと、ずっと番が現れるのを待っていたからだろう。
「晴明さん?」
いつだってニコニコ微笑みながら自分を見ている晴明が少し眩しそうに瞳を細めた。
それを不思議に思って首を傾げる。
「いや、何。愛しい者が側にいるというのは、なんと素晴らしい日々だろうかと思うただけよ」
その言葉に宵月は苦笑する。
特に何をしたわけでもない。あえて言うならばあの夜、彼を必死に助けたことくらいか。
愛しいと言われるのにも慣れず、心のどこかで信じきれない部分がある。その反面、もっと早く彼に出会いたかったとも思う。
(きっと、もっと早くこの人に出会えていたら、私は素直にその心を信じられたのかもしれない)
ずっと要らない子だった自分。
特別ではなかった自分。
特別でなくても、普通でいたかった。そんなかつての宵月が心の中でまだ泣いている。
ここまでこじらせる前に、出会えていたら。そんな叶わぬ願いが頭を過ぎった。
そんな彼女は、今、それ以前を取り戻すかのように愛情を与えられている。それに関して、徐々に絆されてきてもいた。
けれど、同時に思うのだ。そうすれば、彼に何かを返せるのだろうかと。




