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宵月は朝の日差しで目を覚ます。
柔らかな感触に手を伸ばすと、もふっとした─宵月にとっては─至福の触感があった。
彼女が寝ぼけ眼でそれを抱きしめれば、困惑したような声で、「気に入った様子のところ申し訳ないが、一旦離して欲しい」と言われた。柔らかく優しい、心地よい声が宵月の耳に響く。
驚いて完全に目を覚ました彼女が周囲をキョロキョロと見回すと、金色の美しい毛を持つ狐が楽しそうに目を細めていた。
「昨晩は私を助けてくれたこと、心より感謝する。私の番殿」
心より感謝する、までは心穏やかに聞いていたが、「番」という言葉を聞いた瞬間に心が冷える。
それに対して狐は不思議そうに首を傾げた。
─冷えた心が少しだけ暖かくなった。
どういう存在であれ、もふもふは正義である。
「すまない。番に何か悪いイメージでもあるのだろうか?人族の事には疎くて」
少し悲しげに聞こえる声音に、宵月は慌てて姉とその番の話を少しだけする。
彼女にも理由があってその言葉に忌避感がある。けれどそれは、決して狐のせいではないと伝えたかった。
狐は「あぁ……、それはイメージを損なっても仕方あるまいな」と肩を落とした。
案外感情表現が豊かだなぁ、と感心する。
神社という空間で元気になっていることから神獣や神の類だろうけれど、揺れる尻尾も含めてどこか愛らしい。
「申し遅れた。私は黄金原晴明という」
「あっ、私は崎守宵月です」
相手に名乗られたので反射的に返すと、狐が少し微笑んだがように見えた。
──その途端だった。
光で形取られたお互いの名前が宙に浮く。キラキラと輝く字は、宵月の名は狐の元に。狐の名は宵月の元へとやってきて、やがてそれは赤い石のついたゴールドの指輪となって互いの左手薬指に落ち着いた。
それを見て宵月の顔から血の気が引いた。
そういった経緯で生まれる指輪に覚えがあるからだ。
「君は無理やりにでも繋ぎ止めないと逃げて行ってしまいそうだったからね」
文句を言おうと狐の方を睨もうとしたら、そこには黄金色の髪に紅玉のような瞳を持つ逞しい美青年が居た。
思わず目を擦ると、くつくつと笑う声が聞こえる。「夢ではないよ」と言う彼の声は狐のものと同じだ。
「私は狐神の一族だ。仲の悪い神にちょっかいをかけられて傷ついたところを君に救われた。それが番だったのは幸運だったけれど……待て。何で指輪を引っこ抜こうとしておるのだ?」
なぜ、と言われても「気に食わないから」としか言いようがない。
むしろなぜ引っこ抜かないと思ったのか。
宵月が首を傾げると、晴明は「可愛いな、君は!」とよくわからないキレ方をした。
「私が番というものを嫌厭しているのは言った通りなのですけど」
「それは妖との間の事であろう?私は一応神だぞ。君の好きなもふもふだぞ?」
「人型になっちゃったし…」
宵月がそう言うと、少し悔しげな顔をした彼は膝に乗れるサイズの狐へと変わった。「どうだ!?これでも私が嫌か!?」と叫ぶ晴明に宵月は抱きつく。
姉の番のせいで大好きなもふもふと戯れることができなかったのでウルトラハッピーを体現している。至福の表情である。
DV男が身近にいたからか、恋愛とか番に関しては嫌悪感がある。しかし、この状態でならいくらでも側にいてくれて良いと思ってしまった。多少男嫌いの気はあるが、この姿は愛らしいと感じる。
「複雑だ」
晴明の尻尾と耳がしょんぼりと垂れる。けれど、異性の姿を取ったときの宵月の表情と顔のアザ、先程の話を思い出す。彼女に恐怖心を与えたのではということに思い至り、自分の軽率さを恥じた。
「少しずつ変化した姿にもなれて欲しい」
しかし、晴明は宵月をいずれは妻に、と本能的に望んでいる。
男性は苦手で番という言葉にはあまりいい思い出はない宵月だけれど、それは晴明のせいではない。だから彼女はおずおずと躊躇うように、頷いた。
「しかしその鬼とやら、許し難いな。なんの権利があって自分の番の妹に能力を振るうのか……」
「知りませんけど」
「家を出て私のところへ来るといい。番ができた者は能力が上がる。もう後れを取ったりはせぬ。できる事なら、今後は全ての脅威から、私が宵月を守りたい」
真剣な声音で彼は告げる。
制度として“自分の番を守るためなら家族と引き離しても良い”という法もある。宵月の状態を見た彼がそれを望むのも仕方がない。
いきなりそれを適用されるほど虐げられているか。それは宵月には分からないけれど。
彼女が異性に怯える状態であるということを鑑みても、家族に良い態度を取られていないと察することはできる。
守られ慣れていないのだ。
(いつも殴られるわけではないし)
いきなり離れると何か言われるか、と悩む彼女の耳に「ぐぬぬ」と美丈夫に変化する狐が出していい声ではない声が聞こえた。
「うちに来れば、狐がたくさん居るぞ」
「やだ、行きたい!」
即答した宵月を見上げながら、晴明は「変化後の私は普通の女子が大層好むらしい容姿の男の姿であると聞いていたのに、なぜ…なぜ肝心の番はよりによって小狐姿を好むのか……」と心の中で嘆いた。
(全ては例の鬼のせいだろうが。恨むぞ、妖者め)
それはそうと、絶対に宵月を守るぞと彼は決意を新たにした。抱きしめられて撫でられているのが心地よいのか甘えるように頭を擦り付けているのが台無しではあるが。




