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1章 SideN 1-4

 ブランの喉が上下し、生唾を飲み込む音が聞こえる。

 初めて彼の傷口をみた時のより、更に強烈な臭気が鼻を襲った。

 周囲の木々には焼けた跡や刃物の切り傷がつき、綺麗なはずの湖のほとりには、彼らの黒い血の痕が幾つも残っている。

 数十人はいる村の全員が、互いの行く先を互いで確認するかの如く、膝を折って苦しそうな歩行をしているのが、なんとも痛ましい。

 

「むごい……」

 

 ブランは呟いた。

 叫びだしそうな怒りを、喉元で押し潰したような声。

 それは、元人間の俺にとって、生命の危機を感じさせるほど冷たい響きで。

 肩をいからせ眼をほとばしらせる今のブランは、数分前までの明るい少女とは別人みたいに見えた。

 

「大丈夫か?」

「……いや、正気ではない。観光のつもりで出てきたのに、こんな現場を見せられて非常に腹が立っている」

「すまなかった」

「謝る事もないさ。わざわざ父がこんな所にブツを残そうとした理由がわかったからな」


 そう小声で言って村の中央へと進むブランの前に、一回り大きなプラズマガンマの男が現れた。他のガンマと同じく裏側の瞳を潰されており、表の瞳もいくらか充血している。

 おそらく彼がこの村の『アイ』。人間で言う所のボス、ゴリラで言う所のシルバーバックである。

 敬礼のポーズをとる彼の右手を落ち着いた顔でブランは撫でて、小さく頷いた。

 

「ブラン・レジナルドサマですね。このタビは、ゴソクロウいただき、マコトにありがたくゾンじます。チチウエサマにはタイヘンおせわになりました」


 ――結構ちゃんとした喋り方をするな。この目玉。

 少し高めで、鼻にかかったような声は、先に会った彼よりもかなり明瞭に聞き取れる。


「夜分に申し訳ございません。やはり、父上もここに参られたのですね」

「ナニもヨウイできませんで、モウシワケゴザイません。カわりにとイッテはナンですが、デンカがおミえになりましたらと、センダイサマより、オオセツカリましたコトヅテがゴザイます」

「教えて、頂けますか?」

「『ミズウミのサキのガケをノボれ。そこにアるイシがキミをミチビく』とのオオセでゴザイます」

「が……崖、ですか。確かに伝言いただきました、ありがとうございます」


 少したじろぎつつ、頭を下げるブランの周囲には、村じゅうのプラズマガンマが集まってピンク色の波を形成していた。

 彼女はその目一人一人の手をとり、村の奥へと渡り歩く。

 中には全身傷だらけの者やまだ体の小さな者までが居て、その前に立つたびにブランは哀憐あいれんの表情を浮かべていた。

 ――本当は、何か言いたかったのかもしれない。でも、今の彼女が彼らに言ってやれる事は何一つなくて、だからこそ、自分の不甲斐なさを噛み締めているいるみたいに、俺には感じた。

 その時。


「オネガイ、が、ビ、アりマす」


 一人の女性……ガンマが、人の列から抜け出してブランの正面に立った。

 上の手は大きな葉の包みを抱え、何かすがるような視線をこちらに向けている。


「何でしょう。ワタシに出来ることで良ければご協力させて頂きますが」

「このコヲ……。ユイイツぶジだッたこのコのテを、にぎってハもらエませんか?」


 くるまれた中身は、小さなプラズマガンマの赤子であった。

 成体の者より赤みの濃いその体は、指で押しただけで壊れてしまいそうなほど繊細で、肌は虫の幼虫の如くふやけている。

 額に傷が付き、黒く粘ついた血が流れているものの、その両眼はしっかりと埋め込まれていて、不規則に動く全身の節に、生命に満ちた膨らみを感じた。

 

「そうか」


 ブランは葉ごと子を抱きかかえ、赤い瞳を近づける。

 そのまま右手の人差し指と親指で、3センチほどの手をつまむと、愛おしそうに振って答えた。

 

「お前は、強く生きろよ。――ワタシが、何とかしてやるからな」


挿絵(By みてみん)


 瞼を閉じ、艷やかな桜唇を、できたての頭に触れさせる。

 舌先で舐め取られた傷口が、ほんの少しだけ色を変え、はかなげな命が小さく震えた。

 物惜しそうに包みを返す、彼女の微笑みの中には、“あの日”の俺の姿にも似た、決意の灯火が宿っているように見えた。

 

        ◆

        

「崖……だ」

「崖だな」

 

 プラズマガンマの集落に別れを告げた俺達は、二人きりで巨大な岩壁の前に立たされていた。

 真っ黒な急斜面が屏風のように切り出して、ところどころ突き出た石を月の光が怪しく輝かせる。 

 一見した限り、傾斜は70度近くあるようで、むしろ絶壁がこちらを押し返しそうな圧迫感すら感じた。

 

「さーてと……帰るか!!」

 

 踵を返そうとするブランの、襟首を掴んで止める。

 

「待て。逃げるんじゃない」

「だって、こんなの登れるワケ無いだろう!!! 崖っていってもほら、もうちょっと緩やかなスロープ的なのを想像してたのに、こんなのだって、壁ぢゃん!!!!」

「ああ、落ちたら普通に死ぬな。だが、ガトー様だって昔きっとココを登ったんだぞ」

「嘘つけぃ! 絶ッ対飛行魔術でびゅーんと上まで行ったんだぞ! 楽して!!」

「その魔術の習得に、この崖を登る以上の努力が有ったとは考えんのか」

「考えないぞ! 努力した他人と自分の比較なんてしてたら、みじめな気分になるからな!」

 

 ――なんと卑屈な奴だ。向上心というものが根本から足りていないな、コイツは。

 と、一瞬体育会系の考えが脳をよぎったが、それで今の問題が解決するワケではない為、口には出さないでおく。

 

「俺達がここに来た目的は何だ。折角あの屋敷から抜け出してきたのに、手ぶらで帰って良いのか?」

「それは……」

「さっきのプラズマガンマ達だって、キミがこの崖を登りきれなかったなんて知ったら幻滅するだろうな」

「うう……」

「パパさんの威厳にも傷がつくぞ」

「それは、ズルい言い方だぞ」

 

 説教臭い親戚を見るような目で俺を見つめ、口を尖らせるブラン。

 確かにこちらも、目的達成を意識しすぎて、強く言い過ぎてしまったかもしれない。

 彼女は少し考えた風に俯くと、こくりと小さく頷いて、肩を掴む俺の頭を撫でた。

 

「……わかった。出来る限り、やってみる」

 

 ――チョロいな。

 というより、根が素直なのだろう。彼女の『いい子』な部分に俺が付け込んでいるだけだ。

 

「そうか。それじゃ、俺はお先に行かせてもらうぜ」

 

 パタパタパタパタ……

 翼をはためかせ、宙に舞い上がる――

 

「待て」

 

 ガシッ。

 尻尾を、掴まれた。

 全身の神経に電流が流れ「んひぃ」と口から変な声が漏れる。

 

「てめ゛ぇッ! はぁ……はぁ。どうした? ああ、一人で登るのが寂しいんだな。わかったわかった、怖くないように後ろを飛んでいてやるよ。だから手を離してくれ」

「ワタシが汗水たらしてこの崖を登る決心をしたのに、あれほど偉そうな事を言った貴様は平然とパタパタしているだけか……?」

「種族の違いだ。得手、不得手が有るのは当然じゃないか。自分が苦んでいるからと他人にも同じ苦しみを強要するのは非生産的だぜ?」

「キサマっ……いや、名案が思いついた」

 

 闇夜に笑うブランの犬歯が、光を纏ってキラめいた。

 凄く嫌な予感がする。が、逃げられる雰囲気ではない。

 冷や汗が引きつったほっぺを伝い。全身の毛が寒気に縮む。

 そして数秒後、俺の予感は、見事に的中することとなった……。

 

「よーし!! これで良いな!」

「……」

 

 ――何が、「よーし」なのだろうか。

 

 ブランの正装は、紅色のローブのような形をしている。

 ピッタリと体に張り付く生地はシルクのように薄く滑らかで、細い腰回りのラインを強調する為、無駄な装飾は極力排除されている。

 そして今、彼女はその姿のまま俺の背にまたがり、楽しそうに両耳を弄っているのだ。

 つまり、彼女の白パンの如くたわやかな内腿や、ツヤツヤとした尻肉が、薄皮一枚隔てて俺の胴回りをがっちりとホールドしている状態である。

 小股に開かれた鼠径部そけいぶからは、ここまで歩いてきた分の疲れが珠の汗となって染み出し、座りを直すモゾモゾとした腰使いが毛並みに生の暖かさを伝えていた。

 確かに、俺の背についた翼は、物理的には何の意味も持たない飾りに過ぎず、実際飛んでいるのは謎の浮力によるものである。

 よって、翼の上に物が乗っていても飛ぶ事自体は可能なのだが……。

 

「どうした?早く飛ぶがいい。スリムなワタシ一人くらい乗せられるだろう?」

「いや、虐げられる者の気持ちを味わっていただけさ。落ちないようにしっかり掴まっててくれよ」


 そう言って、俺は全身に力を込め――

 ゆっ――――くりと、浮き上がった。


「おお!! やれば出来るじゃないか! 頑張れ頑張れ♡」

 

 ――重てぇぇぇええええええ!!!!!

 いや、構図的に明らかに無理があることは理解していたのだが、浮力を生む物(俺)と積載重量に差が有り過ぎる!

 ケツにペットボトルロケット挿して飛べると思う奴があるかって話だ!

 

「ふぎぎぎ……この……!」

「何か思ったより遅いな」

 

 ぷかり。ぷかり。蚊が飛ぶような速度で上昇していく俺に、乗っただけのブランが野次を飛ばす。

 人の気も知らぬ物言いに一瞬殺意すら覚えたが、ここで泣き言を言ってしまっては男が廃ると、必死に背中に力を込める。

 バランスを崩す彼女が落ちてしまうだけに、急いで終わらせるという訳にもいかず。

 到着した頃には、胃の中の物を全部吐き出しそうな疲労感に浸かされて、俺は地面に突っ伏した。

 

「はぁ……はぁっ……」

「よしよし、よく頑張ってくれたな」

「なに。どうってこと、無いさ」


 岩の冷たさに癒やされる俺を、ブランは勝手に持ち上げ、歩いた。

 短い草原の上に、硬い靴底が跡を残して、その上を冷たい風が吹き抜けていく。

 目的地が近いのを感じているからだろうか、彼女の歩みは少しずつ早足になり、そして。

 

「これ……、が……!!!」

 

 ――驚嘆の声を、漏らした。

 俺達が今立っているのは、四方切り立った崖の上。

 そして、目下に広がる光は。

 

「ああ……《ジリール大帝国》だ」

 

 噂に名高い、“悪の帝国”。

 夜が深まるほどに明るさを増す、大小豊かな家々が、俺達の前に壮大な景観として姿を現していた。


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